2011.06.12 Sunday
今日は朝早くから工房に出かけ、新作のタタラ作りを行いました。タタラと言えども座布団くらいの大きさで、手で叩いて伸ばすので結構体力を使います。5枚作ったところで、残りの時間は東京の美術館巡りをしようと思い立ちました。今日は一人で出かけるので3館ほど回れるのではないかと考えました。家内と出かけると駆け足のように美術館を回るのは勘弁して欲しいと言われるのです。今日は気楽に自分のペースで行きました。まず上野の国立博物館平成館で今日まで開催している「写楽展」。最終日なので混雑していたことは予想通り。写楽の役者絵をよく集めたもので、こんなにあるとは思いもよらず、かなり堪能出来ました。詳細は次回。次に両国の江戸東京博物館で開催している「五百羅漢展」。一人の絵師がよくぞ描いたと思えるほど細密で卓越した具象表現。しかも質・量ともに圧倒され、眼が釘付けになりました。これも詳細は次回。最後に竹橋の国立近代美術館で開催している「パウル・クレー展」。以前静岡で大規模な展覧会がありましたが、ここ近代美術館ではユニークな角度で設置された壁に、テーマごとに掛けられたクレーの作品群が鑑賞者の導線に合わせて展開していく演出がありました。この詳細も次回にまわします。夜はNHK教育「日曜美術館」で彫刻家保田春彦先生が取り上げられていたのを発見してテレビを見ていました。まさに今日はアートな時間を過ごした一日だと感じました。
2011.06.11 Saturday
NOTE(ブログ)は日記として活用している一面があります。ブログである以上公開日記になりますが、そんなことに頓着せず、自分のために書いてしまう日もあります。今日がそんな一日で、休日でも制作はできず雑用に追われていました。午前中は病院に行って定期健診を受けました。午後は職場に行きました。夜は近隣のスポーツ施設に行って泳ぎました。そんなことをやっているうちに時間が過ぎ、それでも合間に工房に出かけ、個展の出品作品のために梱包材を準備しました。これも雑用です。制作をしていなければ何も気にかけることがなく一日が過ぎていきます。制作をしているからこそイメージを広げ、素材と向き合い、自分の内面に問いかけることがあるのです。最近読んでいるA・ブルトンも瀧口修造も、時々出かけていく美術館も自分の制作あってのことで、それら全てが自分の中で課題解決を図る方法なのだと思っています。雑用は嫌でも溜まるので、こんな一日も必要なのですが、今日を振り返っても何も残らない一日でした。明日こそ制作に着手したいと考えます。
2011.06.10 Friday
学生時代、彫刻を学ぶ傍らビジュアルな表現に興味を持ち、手製の絵本を作りました。当時好きだったドイツ表現派のモノクロの木版画を発想の源にして、数ページにわたる創作話を考え、文字のない絵本にしようと企画しました。題名は「ウド」。村で嫌われ者だった一人ぼっちのウドが、池で溺れそうだった少年を助け、それでも理解されずに再び一人ぼっちに戻っていく物語でした。全て自刻手刷りで限定30部。製本も自分でやりました。書物に対する興味関心と、将来絵本で何とか生計が立てられないかという淡い欲求も手伝って一生懸命作り上げた記憶があります。何冊かヨーロッパに持参して、当時ウィーン国立美術アカデミーでクラスをもっていた芸術家フンデルトワッサーに見せたこともありました。創作絵本「ウド」は今どこにあるのか、粗雑に扱っていたため手許に残っていません。でも書物に対する興味関心は今も続いています。今日のNOTEは創作絵本「ウド」の思い出という表題をつけましたが、絵本は思い出にしたくない魅力的な表現方法だと今も思っています。
2011.06.09 Thursday
仕事から帰って夕食をとると、自分は決まって眠くなります。テレビを見る余裕もなく睡魔に襲われるのです。そこを踏みとどまってRECORDの厚紙を取り出し、その日のRECORDの構想を練って下書きを描き始めると、しだいに頭は眠りから目覚め、視野はRECORDの画面だけに固定されて緊張が走るのです。まさに魔術的な覚醒効果です。本当はそのまま眠りつきたいところを創作に気持ちを向けられるのは、常日頃やっているコントロール訓練の賜物です。気持ちの切り替えは、もう20年以上も二束の草鞋をやっているおかげで速やかに出来るようになりました。このNOTEも同じです。眠くて眠くて仕方がない日もNOTEを書いています。これをやらないと一日が終わらない気がしているのです。
2011.06.08 Wednesday
今年、東京国立新美術館で開催された「シュルレアリスム展」を契機に、フランスの詩人で美術評論に関しては桁外れの著述家でもあったアンドレ・ブルトンについて改めてその思想の片鱗に触れました。改めて、というのは自分の学生時代にブルトンの著作を齧ったものの到底歯が立たず、途中で断念した思いがあるのです。あれから30年が経ち、再びブルトンに立ち向かい、この間に国内外で身につけた僅かばかりの知識を活用して、ようやくブルトンの詩的言語で網羅された構築性のある論理を少しずつ紐解ける幸福に至ったように思えます。「魔術的芸術」や「シュルレアリスムと絵画」等々を読んでいると、当時の芸術家は個人的な思索を繰り返し、お互いが噛み合わない状況の中で、ブルトンが提唱した道筋によって統括され、またブルトン流の教義を与えられたように感じます。そこで、ブルトン自身の生い立ちや経歴の上で培われていった個人思想史や行動史が、アンリ・ベアールによって語られる「アンドレ・ブルトン伝」(思潮社)を読むことにしました。ブルトンとはどんな人物だったのか、彼が登場したことによって知的世界観がどのように変容していったのか、また現実世界ではどうであったのか、自分なりに考えたいことは山ほどあります。短い通勤時間で、いつもどおり時間をかけて読んでいくつもりです。