Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • J・コーネル「箱宇宙を讃えて」展
    ジョセフ・コーネルは小箱の中に自分の思いを込めたものを詰め込んで、その小宇宙を表現媒体にしたアメリカ人アーティストです。コラージュがマックス・エルンストらによって考案されたのを契機に、従来の描く行為や彫る行為だけが美術ではなくなり、既製品による表現世界が登場してきます。自分が収集したものが別の要素をもちはじめ、それが自分の中でメロディを奏でるようになったのです。そこに不協和音もあることでしょう。既製品だったモノが単なるモノになって、まるで関連が無いモノと出会い、まったく異質な世界が生まれる、これがシュルレアリスムの始まりと言っても差し支えありません。千葉県佐倉市の「川村記念美術館」で開催されているジョセフ・コーネルの個展は、そんなコーネル自身が収集したモノが詰まった小箱を覗き込んで、コーネルが表現したかった超現実なる世界を味わう絶好の機会です。コーネルは囁くような声で語りかけていて、その内的で深遠な世界をもって、作者が稀な造形詩人であったことを証明するに足る力量をひしひしと感じることが出来るのです。
    若林奮「Dog Field」展
    多摩美術大学美術館で開催されている故若林奮先生の「Dog Field」展は、彫刻数点と多くのドローイングによって構成された個展です。自分は昔から若林先生の個展であれば必ず見に行っていました。若林先生を「先生」と呼ぶのは、自分の学生時代に若林先生が大学の彫刻科で教壇に立っていられたからですが、残念ながら自分とはあまり縁がなく、いつも遠巻きに先生の作品を鑑賞し、また先生が言われるコトバを熱心に聞き入る機会を持っただけでした。作品は難解極まりないと今でも思っていますが、作品が醸し出す何とも言えない魅力が、理屈抜きで自分を虜にしているのです。先生の文章を読むと、作品が意図するところはある程度理解できますし、何を求めていたかもわかります。ところがこの展覧会に同伴した家内の反応はとてもダイレクトでした。「この人は生前ずっと悩み苦しんでいたんではないか。この人なりのカタチで空間を捉えようと、もがいていたのがわかる。だから作品は完成されることがなく、ともかく現状を表現するしかなかったように思う。じっと作品を見ていると何だか涙が出てきそう。」家内は若林ワールドのことはわかりませんし著書も読んだことがありません。それでもこの感想に自分は参ってしまいました。理論に頼る自分と直感でものを言う家内。若林ワールドは決して難解なのではなく、全身全霊をもって素直に作品に接すれば、作者の方から歩み寄ってくるということに気づかされた貴重なひと時になりました。
    週末 千葉と東京の美術館へ
    ちょうど見たい展覧会が2つあって、今日はそれぞれのの展覧会に出かけることにしました。ひとつは千葉県佐倉市の「川村記念美術館」で開催中の米国人アーティストのジョセフ・コーネルと詩人高橋睦郎の「箱宇宙を讃えて」と題された展覧会。もうひとつは東京多摩市の「多摩美術大学美術館」で開催中の彫刻家若林奮の「Dog Field」と題されたドローイング中心の展覧会。千葉県佐倉市と東京多摩市、2つの美術館が遠距離なためナビゲーションを頼りに自家用車で出かけました。晴れて気持ちの良い天候だったため、家内とドライブ気分になり楽しい一日を過ごしました。2つの展覧会に共通しているのは、極めて質の高い内容であったこと、作品の持つ意味をじっくり読み解かないと作品が放射する力を捉えられないことが挙げられます。自分はもとより家内も真剣に作品に向き合い、車内で意見を述べ合う機会がありました。家内は自分と同じ大学で空間演出デザインを専攻していたので、今回は美術的な刺激があったらしく、家内の言うコトバに自分も深く頷いてしまいました。感想については機会を改めますが、今日は本当に有意義な時間を過ごせたと感じています。
    週末 梱包用木箱作り
    雨が降ったりやんだりの一日でした。家内は東京合羽橋で企画した「おわら風の盆」の胡弓奏者として出かけました。雨を心配しながらの興行でしたが、何とか興行は成功したようでした。自分は工房に行き、個展搬入のための作品梱包作業に追われました。陶彫は木箱をひとつずつ作ることにしましたが、時間がかかって大変です。梱包は退屈な作業ですが、搬入搬出だけでなく工房に保管するので、作品の劣化を防ぐためには大切なのです。かつて作品を梱包していなかったため損傷が烈しく廃棄したものがありました。作品が気に入らなくて廃棄するのとは違い、熱心に作ったものを捨てるのはつらいものがあります。集合彫刻なので梱包すると量が増えて場所を取りますが、それでもしっかりした梱包材を使おうと決めています。工房は住居空間ではないため湿気や暑さの影響を受けやすく、汗が滴る作業になりました。夏になれば例年こんなものと覚悟してやっています。シャツが数枚汗でびっしょりになりました。
    頭の中のエスキース
    ひとつ立体作品のイメージが浮かぶと、スケッチブック等にエスキースをしてイメージを確かめながら、平面作品として残しておきます。一日1枚のペースで小さな平面作品を作り続けているRECORDの場合も同じで、立体作品のエスキースとして画面に定着させていることがあります。ところがエスキースをしてしまうと、それだけで満足してしまい、なかなか立体として作らないことがあります。エスキースはたくさんあるのに、立体になった作品はそれらエスキースの中にはないのです。木彫や陶彫の立体作品はどんな場合に具現化するのかと言えば、むしろ頭の中でエスキースをしていて、そのイメージを覚えている場合に限って、立体として制作を始めるケースが多いのです。ですから今までの立体作品にはペーパーベースで残っているものがないのです。平面は平面として、それがエスキースであろうがデッサンであろうがタブローであろうがひとつの作品として自分は認識してしまい、立体に繋がっていきません。自分のやり方と言うか癖と言うべきかわかりませんが、立体作品を作るときは、自分は決まって頭の中でエスキースをしていると考えるようにしています。