Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 週末 作品に容貌を見る人
    週末になると、美大生が工房にやってきます。現在、工房に出入りしている美大生は2人いて、染織を専攻している子とグラフィックデザインを専攻している子です。2人とも大学が夏休みに入り、バイトの合間に夏季課題をやりに来ているのです。今日は時折強い雨の降る日でしたが、グラフィックデザイン専攻の学生が工房に来ていました。私は新しく仕入れた陶土を使って土練りをしていました。工房は蒸し暑く、私の頭に巻いた手ぬぐいやシャツは汗でびっしょりになっていました。先日終わった個展に来ていただいた人の中で、嘗ての管理職仲間だった人の感想が今も頭に残っています。彼は幾度か個展に来ていただいていて、いつも印象的な言葉を残してくれます。前にも同じことを言っていましたが、私の陶彫作品に彼は顔というか容貌が見えていて、しかも笑っているように感じると言うのです。私は具象を作っている意識はなく、ましてや陶彫立方体に開けた穴が顔に見えるようであれば、デザインを変えています。それでも容貌に見えるのはどういうことなのでしょうか。無意識でも私が創作する時に、生に対する喜びは確かにあります。それは顔が綻ぶというような表象的なものでなく、造形そのものに喜びを覚えるような根源的なものです。具体的な顔の要素がない中で、彼は私の心中にのみ沸き立つ喜びを見取っているのでしょうか。今回、個展会場で彼と時間を取って話をしていくうちに、彼が早大でフランス哲学を専攻していたことが分かりました。成程、彼は書籍を多く読んでいる空気を感じていましたが、そうした深い洞察力があればこそ、こういう感想を持ってくれていたのだということも分かりました。私も人が創作した造形物には、何か説明のできない気配を感じることがあります。私もそこに拘りを持つ人間なので、彼に共感を覚えました。自作が象徴性、抽象性を持っているからこそ、鑑賞者の視点によってさまざまな感想を導き出すことに、私は確かな手応えを感じているのです。
    週末 鑑賞が充実した1週間
    週末になりました。今週の状況を書いていきます。今週も酷暑が続く日になりましたが、相変わらず工房で陶彫制作に明け暮れていました。陶土代金を郵便局から明智鉱業に送金したり、歯科医院に出かけ、歯のメンテナンスをしてきました。今週の特記すべきことと言えば、月曜日の夜に映画「キングダム 運命の炎」に家内と行ってきました。私はよくミニシアターに出かけますが、映画によってはエンターテイメント系の映画館にも足を運びます。娯楽作品を観るために家内と外で夕食を取り、ゆったりした気分で映画を楽しむのです。木曜日には私一人で、東京の六本木にある国立新美術館で開催中の「毎日書道展」に行き、竹橋まで移動して東京国立近代美術館で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行ってきました。映画館や美術館に行くと漸く自分の個展が終わった実感が湧いてきます。私は鑑賞と実技制作は車の両輪のようなもので、両方がバランスよく実践されると、大変心地よい気持ちになるのです。とりわけ「ガウディとサグラダ・ファミリア展」では刺激を受けました。昨日その感想をNOTE(ブログ)に書きましたが、まだ足りない部分があります。作品を鑑賞することは自らの感覚に働きかけることであり、思索を深めることでもあるのです。個展前は武蔵野美術大学美術館で開催されていた「若林奮 森のはずれ」展のことが頭を離れず、その空間の意味するところを探っていました。私の個展でも何かしら自分の作品について考えていて、個展後は「ガウディとサグラダ・ファミリア展」のことが頭を離れません。空間とは何か、空間を変容させる装置としての彫刻の在り方などが、私の拘っている思索の内容です。昼間は毎日制作をしていて、素材との関わりが全てなので、陶土を触りながら彫り込みを入れ、暫し自作を眺めながら、周囲の空気感をじっくり味わっています。立方体は人工物としては美しいと感じながら、そこに穴を開ける意匠が自分としては納得できるかどうか、常に考えているのです。
    竹橋の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」
    昨日、東京竹橋にある東京国立近代美術館で開催している「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行ってきました。本展には建築に関する図面や模型等さまざまな資料があって、私の心は浮足立ちました。当時の建築家は現代のような分業化したものではなく、構造から装飾に至るまで全て建築家の力量に負うところが多かったのではないかと感じました。アントニ・ガウディは天性の感覚を持った独特な建築家でしたが、一世一代の大聖堂建築に資金を募ったり、私生活を仕事に捧げていました。それを受け継ぐ人々の力の結束が現在のサグラダ・ファミリアの全貌に繋がっていると思います。私は彫刻に関心があるため、図録に掲載された次のような文章に惹かれました。「ガウディは建築をつくるように彫刻を制作していた。サグラダ・ファミリア聖堂の降誕の正面には、聖書の様々なシーンを表現した彫刻群が配置されている。しかしながら、彫刻は観者の視点と距離が変わると、その見え方が異なってくる。そのため、いかなる距離や角度から観られても、自然にみえるように膨大なスタディ(制作と検証)を繰り返した。」さらにサグラダ・ファミリアに40年以上も関わっている唯一の日本人彫刻家外尾悦郎氏のインタビュー記事がありました。「ガウディは完成というのはこれ以上付け足すものがないという状態ではなく、これ以上省くものがないときに完成だという考えをもっていたと思います。ですから、ゴシック様式にしても極力削って、ほとんど構造上もたないようなゴシックにしておきながら、そこに必要最小限とも言っていいような、いろんなシンボルとなる彫刻を付けていった。生誕(降誕)の門は非常に饒舌な、いや饒舌すぎると言ってもいいような見事な彫刻が施されていますけれども、あれでもガウディにとっては足りなかったのではないかと考えます。ただ、これだけの彫刻があるからこそ、生誕(降誕)の門があのような不思議な形をしていても成り立っているのです。」建築も彫刻も構造体である以上、形態把握は同じで、それが一体化しているところに面白みがあると私は考えます。図録にはまだまだ興味関心があることが満載で、私はつい手に取って読み耽ってしまうのです。
    東京の美術館2カ所を巡って…
    今日は工房での作業を休みました。個展が終わったばかりなので、映画館に行ったり、美術館に行ったりしたいと願っていました。先日は映画「キングダム 運命の炎」を観てきて、大いに楽しんだところでした。家内は和楽器演奏を控えていたので、今日は私一人で東京の美術館を2カ所巡ってきました。最初に訪れたのは東京六本木にある国立新美術館で、「第74回毎日書道展」が開催されていました。校長時代の同僚に書道をやっている人がいて、彼から毎年この書道展の招待状が送られてくるのです。彼は漢字一筋の人で、今回も彼の卓抜した作品を味わってきました。毎回私は思うのですが、書道展の出品人数が多すぎて、受付で展示部屋番号を聞かないと、彼の作品を探すのに苦労してしまうのです。作品の中にはまるで抽象絵画のような思い切った書道もあり、充分目を楽しませてもらっていますが、書道は表現幅が大きく、また深みもあり、墨と余白のせめぎ合いが面白いなぁと感じています。書道にはそれぞれの流儀があるのでしょうが、私は自由な解放感の中で筆を振るってみたいと常々思っています。絵心があれば何とかなるのかなぁと不埒なことも考えてしまいます。次に向ったのは東京竹橋にある東京国立近代美術館で、ここで開催されている「ガウディとサグラダ・ファミリア展」は、どのくらい人で混雑しているのだろうと不安を抱えながら当館の前に到着しました。今日は整理券を配るほどではないにしろ、会場は相当混みあっていました。かなり大掛かりな展示作品が来日していて、見応えは十分ありました。私は家内と1981年にバルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂を訪れています。もう40年も前のことで、オーストリアのウィーンに居住地を決め、列車に乗ってスペインまでやってきたのでした。その頃のサグラダ・ファミリア聖堂はいかにも工事中で、こんな資材置き場に入っていいのか分からない状態でした。私たちは工事現場をウロウロして「受難の正面」にある鐘塔に登ってみました。まだ安全性にも配慮がなく、高く登っていったら恐怖を覚えました。そんな思い出が蘇ってきましたが、サグラダ・ファミリア聖堂が完成した暁にはもう一度行ってみたいと思っています。展覧会に関しては詳細な感想は後日改めます。今日は連日続く酷暑の一日でしたが、気持ちは充実していました。
    映画「キングダム 運命の炎」雑感
    映画「キングダム 運命の炎」は実写版映画としては3作目になります。私は漫画やアニメを日本が世界に誇る文化として捉えていて、今や私も漫画「キングダム」の虜になっています。これは紀元前の中国・春秋戦国時代を描いた物語で、後の始皇帝になる若き王と、天下の大将軍を目指す元戦災孤児を主人公としています。大筋は司馬遷が著した史記を参考にしていますが、細かい部分は創作によっていて、多くの魅力的な豪傑が登場し、歴史的なドラマを紡いでいくのです。過去に「キングダム」のⅠとⅡを私は観ていて、日本の映画もハリウッド並みのスケールになったのかと感心しました。映画「キングダム 運命の炎」は超娯楽大作なので家内を誘って、エンターテイメント系の映画館に足を運びました。封切られて数日なのに、かなり多くの観客が入っていました。映画の内容は2つあって、前半は若き王が、秦の敵国である趙で虐げられて育った幼少期を描いていました。そこに女性の闇の商人が登場し、彼女は若き王を秦に逃がすために命を張るのです。彼女によって人間性を取り戻した若き王。これが人との争いを鎮め、中華統一を目指す動機となったのでした。それを若き王から聞いた大将軍の下で、趙との馬陽の戦いに挑む主人公。彼は百人将になっていて、大将軍によって「飛信隊」という隊名を戴きます。規模の大きい戦いの中で「飛信隊」は別動隊となって、敵将の首を討ちに行くのでした。「キングダム 運命の炎」は終始熱量の高いシーンが続いていて、楽しめる要素が満載ですが、漫画で言えば現在69巻まで刊行しています。実写版映画としては、まだ物語のさわりに過ぎず、この映画は今後いったいどのくらいが連作されるのか、俳優も有名な人ばかりでスケジュール調整も大変だろうと、観客が要らぬ心配をしてしまうほど、物語は遅々として進まぬところが気になります。次回作品に期待を膨らませるような終わり方をしていたので、観客は多少消化不良を起こしたかもしれません。でも思い切り楽しめた歴史絵巻のエンターテイメントでした。