2023.08.31 Thursday
今日は8月の最終日です。毎日熱中症を心配するような酷暑が続き、工房での制作時間も身体のことを考えて、早めに切り上げることをしています。陶土の乾燥は高温のために早くなり、乾燥スペースに置いた陶彫作品は、見る見る乾燥が進んでいる状態です。先月、東京銀座での個展が終わり、今月は一段落したいところですが、今までの習慣もあり、私は来年の個展に向けて日々制作に没頭しているのです。その習慣は容易に変えられるものではなく、教職との二束の草鞋生活で培った「焦らず、休まず」という座右の銘に相変わらず従っています。そうしている方が私の精神状態は安定しているようで、今は時間があっても、そんなものは関係なくコツコツ作ることが私の習性になっているのかもしれません。ただし、今月の鑑賞は大変充実していました。先月の個展まではなかなか展覧会や映画に行けなかったせいで、その鬱憤晴らしだったかもしれませんが、ともかく鑑賞を満喫した8月になったことは確かです。まず、美術関係の展覧会ですが、「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(国立新美術館)、「聖像・仏像・彫像」展(日本民藝館)、「古代メキシコ」展(東京国立博物館)、他に昔の同僚が出品している「毎日書道展」(国立新美術館)にも足を運びました。映画鑑賞では「キングダム 運命の炎」、「君たちはどう生きるか」(両方とも鴨居ララポートTOHOシネマズ)、「オオカミの家」(渋谷イメージ・フォーラム)に行ってきました。娯楽作品から問題作品まで幅広く鑑賞できたと自負しています。鑑賞に出かける時に工房を完全に閉めるか、また多少作業をしてから出かけるかを判断していますが、酷暑の毎日とあって工房を閉めて出かけた日もありました。読書では相変わらず和辻哲郎著による2冊の書籍をじっくり読んでいて、今月中に読破できませんでした。来月に持ち越しますが、内容が面白く、また密度の濃い論考があるので、楽しみつつ読んでいきたいと思っています。気がかりなのは窯の状況がおかしくなっていることです。以前ヒーター線を1本だけ交換しましたが、残り5本のヒーター線にも不具合が発生しているらしく、来月涼しくなったら業者に修理をしてもらう予定です。陶彫作品は最終工程の窯入れがあって、初めて作品として成り立つものです。窯の具合が悪くなると、忽ち制作の全てが滞ってしまうことを改めて気づかされるのです。
2023.08.30 Wednesday
先日、東京駒場にある日本民藝館で開催されている「聖像・仏像・彫像」展に行って、ミュージアムショップに立ち寄り、同展の図録を求めました。図録はポストカードの入った簡易なものではありましたが、これと同時に「世界の美しい民藝」(巧藝舎)を見つけました。私は世界の民藝品が大好きで、海外で生活していた頃もそうでしたが、日本にある民藝店でも気に入ったものがあれば購入していました。ルーマニアでは村に残されたイコンのガラス絵を、村人に頂いたこともありました。民藝品の中でも私がとりわけ美しいと感じていたものはアフリカの仮面でした。日本で売られているものはなかなか高価で、手が出ないものもありましたが、新旧取り交ぜてさまざまな仮面を私は入手してきました。ピカソやモディリアーニ、クレーなど、ヨーロッパの近代美術の芸術家が創作活動をする上で刺激としたアフリカの仮面や立像は、精霊や神、祖霊という目に見えないものが表現されていることに、彼らが惹かれていたことがあるのは事実です。それは「プリミティブアート(原始美術)」と呼ばれて、ヨーロッパの美術館や博物館に展示されていたのです。その朴訥な造形がとりわけ私には現代的に見えたのは、彼ら近代美術の芸術家のおかげかもしれません。本書からアフリカの仮面等についての説明を拾います。「それぞれの部族は独自の神話を持ち、祭祀では神話の場面で踊りを再現し、神話の中の人物や動物、精霊、祖霊がマスクとなって登場する。そのマスクの造形には民族固有の美意識や精神をもとに、美しいとされる顔、、髪型、化粧、動物の動きなどの特徴がデフォルメされ、民族の様式に沿って1本の木からくり抜きでつくられる。大きなものは2mを超えるものもある。一方立像は祠に置かれる祈禱用のものや祖先像、王宮などの飾り、玩具などに使われる。マスクは共同体の儀式など、公的な場面に使われるが、立像は私的にも使われることが多く、公の目に触れることはない。立像も精霊や祖霊をかたどったものであり、マスクと同様大胆にデフォルメされる。」アフリカの仮面や立像は、ざっくりと丸彫りされ、そこに魂を吹き込まれているように私は感じます。彼らが生活している部落の周囲には密林が広がり、密林の暗闇の中には動物だけでなく、人を超えた何かが潜んでいて、時にそれらに守られ、時に災いを齎されると人々が信じていたと私は考えます。そうした超自然的なパワーが芸術家を刺激してやまないのだろうと思っています。
2023.08.29 Tuesday
先日見に行った東京国立博物館で開催中の「古代メキシコ」展。巨大な石彫や素焼きされた土製の出土品があって、私の興味関心が尽きない展覧会でしたが、古代メキシコと聞けば、生贄の儀礼があったことは有名です。この生贄に関する造形物が出品されていました。儀礼用ナイフやチャクモール像があって、つい想像を逞しくしてしまいました。図録には生贄儀礼についての文章がありました。「メソアメリカ文明の最大の特徴の一つが、現代人が理解し難いこの生贄儀礼の慣習であろう。スペイン人も目撃したアステカ王国における生贄儀礼は、マヤ、テオティワカン、そしてはるか昔のオルメカからも認められ、少なくとも3.000年以上も継続した儀礼といえる。キリスト教徒であったヨーロッパからの征服者たちは、この風習を『邪宗教』『悪魔』の仕業として徹底的に破壊したが、この儀礼が長く社会的に存続した理由は、先住民が野蛮人だったからではなく、自然と融合した彼らの世界観が根底にあったと考えられる。~略~アステカの人々にとって自然の万物・現象は神聖なものであり、人間のコントロールを超えた力、つまり神々の意思によりその秩序が保たれていた。過去には、人間の神への敬いが欠如して秩序が崩壊し、すでに4度にわたって世界が創造と破壊を繰り返したと、アステカ神話は語る。第5番目の世界である現世の初めに、ナナワティン神とテクシステカトル神が燃えさかる焚き火の中に飛び込んで、現在見られる太陽と月が生まれ、また人間やトウモロコシも、神々の勇気と犠牲の加護により日々生かされていると信じた。したがって人間も神々を敬い、人間にとって最も大切な命を神に捧げて自然のサイクルと再生の原理を保たねばならなかった。この『神々との契約』を遂行するため、アステカ王国の大神殿では、最も衝撃的な生贄儀礼という方法で人を神々に捧げたと思われる。」(杉山三郎著)人は信じるものによって、さまざまな風習を生んでいくのだろうと思います。私は幼いころから身近にキリスト教があったので、十字架にかけられたイエスの磔刑像は見慣れたものになっていましたが、仏教徒からすれば、これだって生々しい具象に他なりません。生贄儀礼はその地方の王国の曙期から捉える必要があると改めて感じました。
2023.08.28 Monday
先日、東京駒場にある日本民藝館で開催されている「聖像・仏像・彫像」展に行ってきました。副題を「柳宗悦が見た『彫刻』」とあったことで、私の興味関心は一気に高まっていました。展示されていたのは円空や木喰の菩薩像や木造の神馬や三重塔、石造の釈迦如来坐像や菩薩像、楽人坐像などで、他ではサントスと呼ばれるキリスト像、加彩舞楽女子の陶俑、沖縄のシーサーもありました。民藝運動を推進した柳宗悦はこれらに彫刻的観点を持っていたというので、私はその背景を探りたいと思いました。学芸員白土慎太郎氏による解説書がありましたので、部分的に引用させていただきます。「日本民藝館の創設者である柳宗悦(1889-1961)が深く関わった初めての彫刻作品は、オーギュスト・ロダン(1840-1917)によるブロンズ像であった。1910年、柳も同人の一人であった文芸雑誌『白樺』がロダン号を発行したことを機に、本人から小品のブロンズ像三点が送られて来たのである。」彫刻への理解はそこから始まり、器にも彫刻的素材を見て取るようになったようです。「彫刻は素材から形象を生み出す芸術と言えるが、器の形状と素材が醸し出す肌とに注目する点は、彫刻鑑賞の延長線上にある。『彫刻』として見ると、陶磁器の見え方さえも変わってくるのではないだろうか。」また地蔵についてもこんな文章がありました。「1924年に柳が見出した、木喰による穏やかな微笑の素朴な仏像も、柳は『彫刻』として捉えていた。『木喰上人発見の縁起』(1925年)によれば、柳は木喰の『地蔵菩薩像』を初めて見出した日、友人に宛てて『上人は幕末における最大の彫刻家だ』と書き送ったという。」沖縄に関する文章もありました。「16世紀に最盛期を迎えた沖縄の石像彫刻は、玉陵を始めとする王陵、墳墓に納められた石棺、石橋の勾欄の浮彫、首里城から村落の入口までと広く設置された守護霊像としての石獅子などが豊富に揃う。柳はこれらに感嘆し、日本民藝館には当時撮影された石像彫刻の写真が多く残されている。」最後にこんな文章で締め括られていました。「民衆の生活には『彫刻』は基本的に不要なものだが、美術用語である『彫刻』を用いて柳が『民藝』の美を説くのは、美を見出す視座の根底に、美術的な視点があることを物語るのではないだろうか。」彫刻制作を続けている私にとって、この最後の文章に勇気をもらいました。
2023.08.27 Sunday
週末の話題として創作活動のことを中心に据えています。今日は平面作品のRECORDを取り上げます。一日1点、ポストカード大の小さな平面作品を作り続けている私は、これをRECORDと称して文字通り一日の記録を行う創作行為としています。日付のある陶彫立方体を作り続けてから、RECORDとの関連性を重視したものを発想したことで、畢竟、立体と平面の表現の相違を考えるようになりました。同じデザインにしても立体と平面の在り方がまるで異なり、無理して関連を持たせることが必要かどうかを自問する時もあります。鑑賞する立場からすれば、同じデザインが立体でも平面でも存在していることは面白いことであるようで、個展に来た人の中には確認する人もおりました。立体は素材を介しているので、甚だ不自由な表現ですが、それなりに空間を占めるので、実際に存在するものとして触知的な面白さがあると言えます。平面は自由な反面、存在ではなく存在感になってしまうので、幻視的な面白みがあり、そこに色彩を加えているので、立体とは別の世界が創出されています。色彩を意識することをRECORDの中で私は重視しています。現在は色彩にアクリルガッシュを使っていますが、平塗だけではなくモダンテクニックを用いてあらゆる効果を狙っています。2007年から制作しているRECORDなので、大量に購入していたアクリルガッシュが足りなくなる事態を招いています。私が最近好んでいるのは苔色とか棕櫚色などの和製色彩で、それらを含めて20色ほど足りない色彩をリストアップしました。東京の博物館に行った帰りに横浜駅に隣接している画材店に寄って、それらを購入してきました。高校時代、私は色彩構成が苦手で、工業デザインを専攻することに躊躇いがあり、彫刻に専攻変えをした経緯があります。そんな私が毎晩色彩を用いているのは運命の皮肉としか思えません。不思議と色彩に苦手意識がなくなり、今では色彩の組み合わせを楽しめるようになりました。色彩感覚は鍛えられるものなのかなぁと思っています。