2023.09.20 Wednesday
ビジョン企画出版が刊行している新報には毎月「評壇」の欄があって、美術評論家の瀧悌三氏が執筆しています。ここに毎年私のギャラリーせいほうでの個展の批評を載せていただいています。瀧さんは初日に個展に来ていただいて、暫し私の制作裏話を聞いていただきました。毎年のことなので私も気兼ねなく瀧さんと話ができ、しかも好意的な空気を私は感じていて、作家冥利に尽きるものがあると思っています。「評壇」の文章を引用いたします。「陶彫。『発掘』シリーズⅩⅤ。今回は、表面を文様で加飾した立方体151点(1月1日から5月31日まで日付入り)を創出。円形に積み上げながら並べ、とり立てて整然とした構成にしていない。他に湾曲面に穴の明いたオブジェ4点を並べ、回りに玉砂利を敷いた箱形のもの(壺庭)があるが、壁面には、アクリルガッシュの抽象画を、同じく日付入りで、5面151点掲出。従来と異なり、1日1点のペースで制作する運びを構想、絵画はそれが可能で実現しても、立方体は陶彫なので、遅れて纏めて作るほかなかったが、それでも1日1点と定めた処は新たであり、その点やはり大きく動いたと言っていいようだ。」確かに今回の個展に展示した作品は、従来の発掘現場のような様相はなく、素材が出土品のような雰囲気を持つだけで、実際は造形を日記のように蓄積していく意図がありました。技法としては新しいものは何もなく、今まで培ってきた陶彫に次の展開を用意したと言ってもよいと思います。ただし、今回は全体構想の半分しか出来なかったので、来年には1年間分365点の作品が完成するので、自分の意図するところが鮮明に出るのではないかと思っています。小さなユニットを集合・拡散させて大きな空間を創出したいという私のアイデアは、随分前から考えていたもので、さらに次の展開もイメージしているのです。
2023.09.19 Tuesday
「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)の「第四章 芸術の風土的性格」の中で気に留めた箇所をピックアップします。今回はその➂です。「東洋と西洋というごとき『ところ』の相違が精神的構造の相違を意味することになる。それはただに芸術の特殊性の問題に関するのみならず、物質的生産の仕方にも、世界観や宗教の形式にも、総じて人類の一切の文化産物に関する。我々が初めに単純に『湿気』として言い現わしたことは、ただ単に気象学の問題とさるる現象ではなく、一方に峻厳な人格神の信仰を産んだ乾燥な沙漠生活の極度に意志的実践的な生き方、他方にあらゆる生物の一であることを信ずる湿潤な地方の極度に感情的冥想的な生き方、そうしてその両者に対して人間中心的な知的静観的な生き方を区別せしめる精神的構造上の一つの原理である。」ここでは芸術の相違というより、まだ人間の精神的な風土上の相違に留まっていますが、次の文章では芸術の風土的性格の根幹をなすところが述べられていました。「我々は自然の合理的な性格と非合理的な性格とのいずれが著しく目立っているかによって芸術に著しい相違が現われて来たのを見る。それはちょうど人が自然において何を求めているかを反映したことにもなるであろう。ヨーロッパにおいては、温順にして秩序正しい自然はただ『征服されるべきもの』、そこにおいて法則の見いださるべきものとして取り扱われた。特にヨーロッパ的なる詩人ゲーテがいかに熱烈な博物学的興味をもって自然に対したかはほとんど我々を驚倒せしめるほどである。人はその無限性への要求をただ神にのみかけて自然にはかけぬ。自然が最も重んぜらるる時でも、たかだか神の造ったものとして、あるいは神もしくは理性がそこに現われたものとしてである。しかるに東洋においては、自然はその非合理性のゆえに、決して征服され能わざるもの、そこに無限の深みの存するものとして取り扱われた。人はそこに慰めを求め救いを求める。特に東洋的なる詩人芭蕉は、単に美的にのみならず倫理的に、さらに宗教的に自然に対したが、知的興味は全然示さなかった。自然とともに生きることが彼の関心事であり、従って自然観照は宗教的な解脱を目ざした。かかることは東洋の自然の端倪すべからざる豊富さを待って初めてあり得たことであろう。」東洋と西洋の風土が齎す文化土壌が極めて異なることを浮き彫りにした論考でした。今回はここまでにします。
2023.09.18 Monday
今日は敬老の日で三連休最終日となります。昨日NOTE(ブログ)に書いた創作活動に関する覚書を今日も続けます。私の仕事仲間には校長職を退いた後、改めて自分の好きなことをやっていくと言っている人がいました。趣味の範疇であれば、そこは理解できますが、私のように生涯をかけた表現活動となると、自分が思い立った時から、それが多少無理を承知の二束の草鞋生活になったとしても実践していくべきだろうと思っています。それなりの自己表現には研鑽が必要だからです。ひとつの仕事をやり遂げた後で、そこから創作活動をスタートさせるには技術面や環境面で難しいことが多々あります。何か造形物を作ろうとしても、その人がどんな世界を描いているのか、そのための技術習得は出来ているのか、実際にはやるべきことが多いし、それは思っているより退屈な訓練かもしれません。また脳内世界を構築するにしても、何もないところからは何も生まれません。造形的視野を持つことにより、見たものが自分の中に取り込まれ、頭で醸成されて視覚化や具現化が成され、漸く作品にしようとする意志が芽生えます。ある意図を持った知識の蓄積も重要で、創作活動にはある意味での哲学が存在すると言っても過言ではありません。私自身は大学時代から彫刻を学び始めましたが、当時は人体塑造をやっていて、人体が有する複雑な構造と立体把握にどうしても納得することが出来ませんでした。結局は4年間を通じて習作に終始していて、何か創作的なものをと思ってもそこまで到達できないのでした。版画で試みても創作としての表現にはなっていないという残念さがありました。工房に出入りしている美大生の関係で、例年美大の卒業制作展に行きますが、学生の中には表現に説得力のある作品を作っている人がいて、私からすれば羨ましい限りです。私には外部刺激と内部思考の時間がたっぷり必要でした。それでもそれがしっかり具現化されているかと問えば甚だ疑問なのです。毎年開催している個展では、これが最終ゴールとは思えず、説得力のある作品が作れる美大生からすれば、私は何て時間がかかる先輩だろうと思っています。私の創作活動は未だ道半ばなのです。
2023.09.17 Sunday
週末は創作活動に関する記事を書くようにしています。今日は三連休の中日に当たりますが、教職を退職した自分にとっては三連休の有難味はありません。平日も週末もなく陶彫制作を続けています。今日も陶土を彫り込みながら、創作活動とは何だろうと自分に問いかけていました。私は20歳の頃に彫刻の魅力に憑かれて、40年以上も彫刻に関わってきています。自分のことながら余程の物好きと思いますが、生活も成り立たない世界でかなりの労力を使って彫刻という課題を抱え込むのは、物好きを通り越しているのかもしれません。教職だけでも充分多忙で骨が折れましたが、それだけでは満足が出来なかったのは事実です。それでは自分にとって創作活動とは何か、いつ辞めても誰も文句を言われないもので、そこが教職とは大きな違いです。教職に疲れ切った時は創作活動の細い糸が切れそうな時も度々ありました。教職だって自分の思い通りにならず、自分の不甲斐なさを嘆くこともありました。自分は自分が思うほど力がないと自覚したのにも関わらず、週末になれば気分転換を図り、創作活動に期待を持って取り組んでいました。そこでも期待通りにならない時は、自己肯定感をどう保ったら良いのか、悩む毎日もありました。ただし、教職は組織があって、頼りになる仲間がいました。そこが救われる要素だなぁと感じていて、たった一人で思い悩む創作活動とは違っていました。結局、自分にとって厄介だったのは他者に頼れない創作活動だったのかもしれず、また誰に遠慮することなく辞めてしまえる活動でもありました。それでも細い糸を手繰り寄せるように続けてきたのは、自分だけの世界観を培いたいという願いだけでした。空間芸術はそれほど魔性的な魅力があったと今も思っています。それは強烈な自己満足です。その頃になると、教職はあくまでも他者のため、創作活動は自分のためにやっていると割り切っていました。つまり教職公務員には退職というシステムがあり、創作活動は自分で辞めない限り生涯をかけて続いていけるという割り切り方です。最終的には創作活動しか私には残らないと自覚した瞬間から、細い糸が徐々に太くなって紐になっていきました。
2023.09.16 Saturday
週末になりました。今週も毎日工房に出かけて陶彫制作に精を出していました。今年の暑さは異常で、秋の気配を感じさせてくれません。汗で服が滲むのは慣れてしまいました。頭や顔からも汗が流れます。陶土に汗が滴り落ちて、そんな陶土を板にして組み立てたり、彫り込み加飾を施しています。作業時間を短くしたいと思いつつ、陶土の都合で夕方まで作業をせざるを得ない日もありました。平日も週末もない制作継続の毎日に少々辛くなってきています。というのも創作活動は型通りの作業ではなく、常に自分自身にその在り方を問い続け、また緊張も強いるので、日々新鮮で困難を伴う時間を過ごしています。勿論制作に対する緩急はありますが、心のヴァイオリズムを一定に保つことを長年培ってきているので、経年による辛さが蓄積されているように思います。そこで週に1回は陶彫制作を離れることも考えました。先週も木曜日に美術館に出かけましたが、今週も木曜日は美術館に行きました。これが良い刺激剤になるなぁと実感しています。観たい展覧会があれば、この週1回の鑑賞の機会はとてもいいものです。ましてや連日の制作で私自身も課題を抱えているため、展示作品から受ける啓示は何事にも代えられないものがあると思っています。今週は彫刻家土方久功のプリミティブな木彫が心に響きました。とりわけ木彫による仮面の数々は楽しさに溢れていました。こんな機会が持てるのも気軽に都心の美術館に出かけていける条件が整っているからだろうと思います。首都圏に住んでいるからこそ可能な機会です。また自家用車で行くとしても公共交通機関を使うにしても、展覧会場ではよく歩くし、神経を集中させて鑑賞するので、その意欲がなければ、これは出来るものではありません。健康にも気遣う必要を感じます。末永くこうした機会が持てるようにしていきたいと思っています。