2023.12.29 Friday
何気なく見ていたテレビ番組につい惹き込まれ、そのまま2時間近く番組に付き合ってしまったことが、昨晩ありました。見ていたのはBS日テレの「ピカソの視線」。いろいろ番組を選んでいると画面にピカソのモノクロの風貌が偶然映し出され、その後、風光明媚な快い場所にタレントのはなさんが歩いていました。この番組は何?と思ってスマートフォンで調べてみたら、ピカソが晩年を過ごした南フランスをはなさんが旅をしていて、ピカソの創作活動の痕跡を辿っていたのでした。ピカソはアトリエに小さな町の古城を借りて制作スペースを確保していて、その環境の素晴らしさを羨ましく感じました。(現在アンティーブ美術館)ピカソの晩年と言えば、私は陶芸制作に没頭しているピカソの写真を何点か見ていて、その作品が箱根彫刻の森美術館に収蔵されているのを鑑賞しています。自由な発想によるピカソの陶芸作品が、陶彫をやっている私の意欲を搔き立てたのは事実です。そのピカソが陶芸と出会った町ヴァロリスも、当時作業をしていたマドゥーラ工房も登場しました。ピカソの作陶を手伝っていた生存する職人にもはなさんがインタビューしていて、貴重な内容になっていました。そのヴァロリスにピカソの美術館があり、ヴァロリス礼拝堂のためにピカソが描いた巨大な壁画「戦争と平和」がありました。ピカソが戦争をテーマにした大作は「ゲルニカ」(ソフィヤ王妃芸術センター マドリッド)、「朝鮮虐殺」(ピカソ美術館 パリ)とこの「戦争と平和」が有名です。「戦争と平和」は他の2点の作品に見られない要素があります。それは戦争に相対する壁に平和への祈念が描かれている点です。いずれも私はオリジナルを見たことがないので、一度は訪れてみたいなぁと思っています。番組に出ていた旧市街や海の風景があまりにも美しかったので、心に安らぎを覚えました。
2023.12.28 Thursday
昨晩、家内と映画「PERFECT DAY」を観てきました。「第76回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞 役所広司」というニュースが流れたので、ベテラン俳優の演技に期待してワクワクしながら映画を観ていました。本作は東京のトイレ清掃員の日常を描いたものでした。図録によると「THE TOKYO TOILETとは、渋谷区のトイレをリノベーションし、今までの公衆トイレのイメージを刷新する柳井康治が生み出したプロジェクト。この新しいトイレには専門の清掃員がいる。その清掃員を主人公にした短編映画をつくろう。そんな企画からすべては始まった。~略~『清掃の仕事をみていると、修業をする僧侶のように見える。他人のために生き、それをひたすら繰り返す。その姿はとても尊く美しい。その先に悟りのようなものがあるのかわからない。それを期待すらせずにただ黙々と日々を生きる。何か自分たちに足りない大切なものがそこにあるような気がする』」これは監督と共同脚本を作った髙﨑卓馬氏の言葉です。監督は「ベルリン・天使の詩」で有名なドイツの名匠ヴィム・ヴェンダース。映画はフィクションですが、そこにドキュメンタリーの要素が加わって、主人公の日常生活が描き出されていきます。平坦な日常の中に、主人公の眼に映る木漏れ日や出会う人々の軽い会釈などに、観客は麻薬のように誘われて、主人公の目線でその世界に入っていくのです。私はそこに演じている役者の姿ではなく、生きている人々の自然な状況を見取っていました。とりわけ役所広司という俳優は、完全にトイレ清掃員である初老の男が乗り移っていて、その表情や仕草では、あたかもドキュメンタリーとしか見えなかったのが、何とも凄かったなぁと振り返っています。俳優の中にはどんな役を演じてもその人らしさが出てしまう人がいます。スターであればそれを有難く思うファンもいるでしょうが、私はスターよりアクターとしての存在が断然好きなので、本作は大満足の出来栄えだったと感じました。
2023.12.27 Wednesday
私が教職に就いて10年ほどしたら、当時の管理職から、来年度から学級担任を外れて教育相談の担当になってくれないかと言われました。横浜市では生徒指導専任という名称がついていて、反社会的行動をとる生徒には警察の生活安全課との連携によって更生させていく仕事がありました。非社会的な生徒には児童相談所や福祉関連の行政部署と連携をして相談をしていました。学校が抱える課題が学校だけでは解決しないことが多く、まず担当が生徒達の相談役になり、他機関に繋げていくのでした。そんな時に専任研修が市教育委員会で組まれ、ある歌を聴いてグループで話し合う機会がありました。その歌がザ・ブルーハーツが歌う「チェインギャング」という歌でした。「人をだましたりするのは とってもいけないことです モノを盗んだりするのは とってもいけないことです それでも僕はだましたり モノを盗んだりしてきた 世界が歪んでいるのは 僕のしわざかもしれない」これは歌のフレーズの一部ですが、私はこれを契機にザ・ブルーハーツのファンになり、ほとんどのCDを購入しています。最近、夜の食卓でRECORD制作中にこの歌を聴くことがあり、当時の生徒との相談内容を思い出し、複雑な思いに駆られました。「世界が歪んでいるのは 僕のしわざかもしれない」生徒の中には親との葛藤により家庭に居場所がなく、学校に行けば他の生徒達から疎外を受けていた子がいました。全て自分のせいだと言っていて、死んだ方がマシと生徒がボソっと呟いた時、私は悩みに悩みました。自己肯定感が底辺にまで落ちてしまう状況をどうしたらいいのか、生徒が時折無口になることが怖くて、相談を何度もやっていました。この子はまだ私に心を打ち明けているので、ここで何とかならないものか、私は自分にも虚無感を感じていました。私たち教職員には限界があります。こうすれば救えるかもしれないと思っていても、他機関に任せれば、この子はきっと心を閉ざしてしまうだろうと察することが怖かったのです。それでも私は決断をして、学年職員や管理職と情報共有をしました。この子は職に就いたことで自立し、今も元気に生きていることを聞き及んで、内心ホッとしています。歌によって思い出されるあの日あの時の心境。自分もいろいろな思いを抱えて生きてきたなぁと感じるこの頃です。
2023.12.26 Tuesday
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の第2章「1600年前後のローマ画壇とカラヴァッジョ」の中の「3 ロンカッリとダルピーノ 」の気になった箇所を取り上げます。題名になった2人の画家はカラヴァッジョの師匠でありライバルでもありました。「クリストファノ・ロンカッリ通称ポマランチョ(1552-1626)は、ちょうどカラヴァッジョがローマに来た頃アカデミア・サン・ルカの総裁となり、世紀のかわり目に旺盛な活動を展開した画家である。~略~《キリストの埋葬》は、現在ヴァチカンにあるカラヴァッジョの同主題の作品との関係が指摘されてきた。右端で悲嘆のあまり両手を高く挙げて天を仰ぐマリアを導入した点や、キリストの遺体を安置するための大きな『終油の石』を描いた点など、両者のいくつかの図像的共通性はカラヴァッジョがこの作品を研究したことをうかがわせる。」次にダルピーノです。「カラヴァッジョがローマに出て間もなく1593年にその工房に入り、八カ月そのもとにいたジュゼッペ・チューザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(1568-1640)にカラヴァッジョが大きな影響を受けたことは間違いなく、一種の定説と化している。しかし、ダルピーノのもとで描いたとされる静物画の問題を除いて、カラヴァッジョの作品にその具体的な痕跡が見出されることはほとんどなかった。~略~ロンカッリの場合と同じく、《慈悲の七つの行い》に直接的な人物像の借用が見られ、《生誕》にはそれをより発展させた形の人物像が登場しているのがわかる。《貧者と病人の中にいる聖ラウレンティウス》はカラヴァッジョがグルピーノ工房に入る少し前の作品だが、一時的にせよダルピーノ工房で修行したカラヴァッジョは、ダルピーノの構想過程や制作の手順などを習得しており、そのため他の作家の作品よりダルピーノの作品を印象深く受け止めていたに違いない。カラヴァッジョはかつての師にして画壇の頂点に君臨する人物に反逆し、超克しようとすると同時に、時にそこに着想源を求めたのである。」今回はここまでにします。
2023.12.25 Monday
世界中から「メリークリスマス」という挨拶が聞こえてきます。この日だけは平和で穏やかに過ごしたいという思いが伝わってくるのは私だけではないはずです。12月25日はキリストの降誕を記念する日とされていて、イエスの正式な誕生日ではないというのが定説です。この日はローマ歴の冬至に相当します。宗教は人々が関わる農耕牧畜と密接なものだと私は考えていて、キリストに纏わる物語も例外ではないはずです。キリスト教はユダヤ教から発祥していますが、選民意識の強いユダヤ人が唱えた教えに、誰もが信仰できる国際性を備えたものがキリスト教だということをどこかで聞いた覚えがあります。そんなこともあって、世界人口に占めるキリスト教徒は31%もいて、イスラム教、仏教と並ぶ三大宗教のうちで最も多い信徒を持ちます。イエスが誕生したベツレヘムにしろ、イエスが処刑されたエルサレムにしろ、当地にあるイスラエルは、現在ガザ地区にあるハマスを撲滅しようとして、戦時下にあり、毎日のようにそのニュースが飛び込んできます。瓦礫と化した街で平和を願う人々の映像は胸を打ちますが、イエスが負った受難が現代に降りてきたような光景に、私は心が痛みます。クリスマスとは、イエスの死を通して贖罪信仰が確立された宗教儀式を執り行う日でもあり、そういう時だからこそ平和で穏やかに過ごしたいという思いが全信者にはあるではないでしょうか。20代の頃、ウィーンで過ごしたクリスマスは、人が集まって騒ぐことはなく、それぞれの家庭で静かに過ごしていました。私にとってクリスマスとは何かを考え始めた時期に、そんな経験がありました。イルミネーションが美しく輝く環境も素晴らしいとは思いますが、クリスマスが宗教行事であるからには、その意味するところをほんの少し考えてみるのも必要かもしれません。