2023.12.19 Tuesday
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の第2章「1600年前後のローマ画壇とカラヴァッジョ」の中の「2 クレメンス八世治世下のローマ画壇 」の気になった箇所を取り上げます。「クレメンス八世(在位1592-1605)は反宗教改革の熱心な推進者であり、その治世下は美術史上きわめて多産で重要な変革期となった。~略~1600年の聖年に備えて多くの枢機卿がローマの教会を増改築し、装飾させた。反宗教改革の成功を祝すかのような盛大な造営や装飾事業が見られ、それらがバロック美術を開花させる契機となったのである。大規模な美術活動の中心となったローマには、仕事の機会を求めてイタリアのみならずヨーロッパ中から多くの才能ある芸術家が集まり、諸流派が混交して新たな美術が生み出された。その結果、18世紀半ばまでローマが西洋美術の中心地となった。」こうした動向を私はよく知らず、バロック美術に対して貧困な知識しか持ち合わせていないことを恥じています。「世紀のかわり目には、イエズス会においても血生臭い殉教を強調する必要がなくなり、美的な鑑賞に適したものが好まれるようになった、つまり反宗教改革の闘争的な精神がすでに和らいでいたことがわかる。こうした、『移行期』の画家たちとカラヴァッジョとの関係については、ほとんど明らかになっていない。しかし、カラヴァッジョは1603年の有名な『バリオーネ裁判』において、ローマ中の画家を知っていると証言していることから、同時代の作品には敏感に反応していたと思われる。~略~彼は同時代の後期マニエリスムや折衷派の画家を高く評価しているにもかかわらず、従来の研究では、ロンバルディアの伝統やミケランジェロやラファエロの古典が彼の画風に果たした役割を強調するあまり、同時代の画家の影響を軽視するきらいがあった。また、当時のローマ画壇については、本格的な研究がなされてこなかったという事情も、両者の関係を不明瞭にする一因となっている。16世紀末、教会や宮殿において膨大な美術作品が生産されたにもかかわらず、質的な低さのゆえに研究が立ち遅れ、その全貌や画家の事蹟についてはいまだ不明瞭な点が多い。」今回はここまでにします。
2023.12.18 Monday
先日、映画「鬼太郎誕生」というアニメ映画を観に行った日の夜に、私は久しぶりに夢を見ました。映画に登場した戦後復興期に都市化から取り残された農村風景が、どうやら私を刺激したらしく、私の夢には自分が幼い頃、近所の友達とよく遊んだ田畑が出てきました。事実、私の実家の前は、まだ舗装もされていないデコボコな道路があって、その脇には小川が流れ、田んぼが広がっていました。田んぼの畦道を行くと広い畑があり、さまざまな農作物を生産していました。その頃はスイカ泥棒もいました。そんなムラには因習も残っていたはずですが、私にはその記憶がありません。母は東京から嫁に来ていたので、きっといろいろなことがあったのでしょうが、私には何も言いませんでした。私の実家には、祖父母や父の2人の妹(つまり私の叔母)がまだ未婚で同居していたため、母はきっと苦労していたはずです。実家の近くには雑木林がいっぱいあって、苔むした地蔵もよく見かけました。私は土地の御霊を祀った場所に、畏れを抱きながら惹かれていたのは事実で、見えないものを感じる力があればいいのにと思っていました。そんな私の怪奇趣味を両親は嫌っていて、友人から借りた「墓場鬼太郎」など読むのは止めろと言われました。ただし、私の住む横浜は都心に近く、田畑や雑木林は忽ち開発されて宅地になっていきました。横浜が都心に通勤する人たちのベッドタウンになっていくのを見るにつけ、私は小さな地蔵や稲荷はどこへいってしまったのだろうと思っていました。捨てられていた稲荷を拾って裏山に据えたと祖母が言っていたのを私は覚えていて、これは大切にしないといけないと今も思っています。横浜は地方の農村ではないので、あっという間に都市化が進み、今では港周辺は観光地として成立しています。私の朧げな記憶も消えかけています。でも日本古来が発祥となる幻を尊ぶ文化は、どこかで残したいと私は考えていて、絵巻物などに表現された魑魅魍魎が跋扈する世界を忘れてはならないと思います。
2023.12.17 Sunday
日曜日になりました。今日も朝から工房に籠って制作三昧でした。午後4時に制作を終えて自宅に帰ってくると、彫刻家の師匠から電話がありました。師匠の池田宗弘先生は長野県筑摩群麻績村に住居兼工房を構えていて、現在は一人暮らしです。年齢は84歳。私が大学で師事していた頃は、東京都東村山市秋津町に住居兼工房があって、私は幾度となく師匠宅にお邪魔していました。その頃のご自宅は師匠自身で建てたものらしく、漆喰の壁に真鍮直付けのレリーフが所狭しと立てかけられ、また雑木の茂る庭には同じ真鍮直付けの、あたかもジャコメッティのような細長い彫刻が数体置かれていました。奥様が手料理でもてなしてくれたことが印象に残っています。現在住んでおられる麻績村にはもう20年以上になるのか、初めの頃は奥様がまだご存命で仲睦まじく暮らしていたように思います。麻績村の住居「エルミタ」は師匠の世界観を表した教会のような造りになっていて、実際にキリスト教に纏わる天井画を制作されています。師匠は創作に生涯を賭けていて、学生だった私にもその頃から彫刻魂の片鱗を覗かせていました。今日は久しぶりの師匠の声を聞いて、思わず長電話になり、老齢とは思えないハリのある声に私は勇気をもらいました。私の近況の話で、師匠にも元気を与えられたのではないかと勝手に察しています。私が山奥に一人でいる師匠を心配するのと同じくらい、師匠は私を心配してくれているのには驚きます。というのも会社を退職した人が、認知症になったり、亡くなったりしたのが師匠の周囲であったらしく、私も2年前に退職したので、その心身の変化を師匠は心配してくれていたのでした。確かに校長職と彫刻家の二束の草鞋生活は激務でしたが、彫刻があったために私は変わらず前向きでいられるので、これは20歳の頃、厳しい言葉で私を指導してくれた師匠のおかげだと伝えました。師匠と話をしていると、私はあの頃の私に戻っていきます。初心忘れるべからず、という言葉が頭の中で再三甦り、明日からの活力を与えてくれているように感じました。
2023.12.16 Saturday
週末になりました。今週も毎日工房に通い、陶彫制作に明け暮れました。一度窯入れをしたので、工房での作業は一日休みましたが、自宅でRECORDの遅れを取り戻すために時間を費やしました。混合化粧土の追加分の攪拌も行いました。陶彫制作は順調のようでいて、決して単調ではなく、その都度創作行為に緊張を覚えることもありました。それが創作活動というもので、常に自分の精神状態を前向きにしておく必要を感じます。毎回異なる作品を作っているので、何年やっていても慣れが生じないのです。今週は映画を観に行きました。映画「鬼太郎誕生」はアニメ作品でしたが、妖怪キャラクターが登場するファミリー向けの内容ではなく、昭和の時代にあった地方の農村と戦後復興が目覚ましい都会の狭間を描いた面白い内容でした。横溝正史の「犬神家の一族」を彷彿とさせるムラの掟と、そこに封印された魑魅魍魎を絡ませたもので、私自身も感じる要素があって、テーマを絞って別稿を起こそうかと考えています。私はその土地を祀った霊場に惹かれるものがあり、映画はそんな私の興味関心を刺激してくれました。私は特定の神も仏も信じませんが、何かを信仰する心は持っています。人類が知性を持った初期の学問としての宗教の意義にも興味があります。理屈では説明のつかない世界観にも興味があります。そうしたことが自分を創作に向わせているのではないかとさえ思っているのです。人にとっては何の意味もないものなのに、自分にとっては生涯を賭するほどのもの、それが創作ではないかと考えます。今週はそんなことに考えを巡らせた1週間でした。
2023.12.15 Friday
昨日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「道化ほど完全な人間役が他にあろうかとつくづく思う。ヨネヤマ ママコ」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「『人間生態の可笑しさ、悲しさ、あほらしさを黙々と表現すること』は、切なくも楽しい仕事だったと、パントマイマーはふり返る。仕事も愛も思うようにならず、ボロボロになって知ったのは『自分が自分の支配者でないこと』だったと。その後ろにある『日常の動作の中に沈黙の深さ』に身を寄せることこそ、道化の業なのか。半生記『沙漠にコスモスは咲かない』から。」人間の存在を表現して、それを周囲に伝えていく人の言動には考えさせられることがあり、つい私は眼を留めてしまいます。以前、「マルセル・マルソー 沈黙のアート」という映画を観た時に同じような気持ちになりました。身体表現であれ、造形表現であれ、黙々と表現し、鑑賞者に提示することは、自分自身を知る手掛かりになると思っています。私の場合、造形を通して人に知ってもらいたい、訴えたいと一所懸命やっている時は、自分が思っているほど人に伝わらず、たとえば彫刻の場合でいけば、私が提示した物体と物体の隙間や空間がいいと言ってくださる人がいました。それは私の中では無意識であり、意図するものではなかったのでしたが、それも含めて私自身なのだと考え直すことにしました。造形表現はパントマイムのように人間生態を切り取って見せることはないけれども、動作の中の沈黙というのは、自分で意図しなかった自分自身の自然な姿が密かに現われている状態かもしれず、それを可とすれば表現の深みや広がりもあるのだろうと思います。創作行為の中で意図が空回りしてしまうことはよくあることで、それを上手に避けることは今も出来ない私ですが、人の心を虜にする雄弁な沈黙を求めてやまないのは事実です。