2022.12.20 Tuesday
先日、「機能と装飾のポリフォニー」展を東京都庭園美術館に見に行きました。昨日のNOTE(ブログ)に会場で購入した図録を利用して、その全容を書きましたが、私自身が心を動かされた作品を今回は取り上げたいと思います。東京都庭園美術館はもともと朝香宮鳩彦王が住まわれていた御殿でした。旧御殿は関東大震災で被害を受け、新邸を建設する際に、朝香宮夫妻が滞欧中に見た「アール・デコ博」によって感銘を受けたことが建設の動機になっています。フランスから有名な装飾美術家を呼び、夫妻は実際のアール・デコ様式の邸宅を作ったのでした。1983年に美術館として公開されたのですが、改修は僅かにとどめられ、竣工当時の様態を伝える貴重な文化財に指定されています。そんな美術館に入ると、最初に大広間があります。壁面はウォールナット材を使用しているので重厚さがあり、中央にある階段の手摺りにはアール・デコの嵌め込み金属があって、ちょっとした威圧感があります。今回の展覧会では、その大広間に「座るための機械」と題されたヨーゼフ・ホフマンの椅子が展示されていました。大広間の持つ雰囲気に融和する造形作品に私の足は止まりました。さらに奥の部屋にはコロマン・モーザーの椅子「アームチェア」がありました。私は椅子の形態が好きで、椅子は実用を伴うオブジェだと思っているのです。ホフマンの椅子は直線と曲線が巧みに調和しているところが、私は美しいと感じています。モーザーの椅子は市松模様の座席がきりっと引き締まった印象を与えていました。ウィーン工房を牽引した2人のデザイナーの実際の作品が見られたことは、私には幸運でした。バウハウスまで時代が経つと、幾何学的要素が強くなり、社会が量産体制に向うことになるのですが、そこまで到達しない前時代的な装飾と先進的な機能を双方併せもつ日用品に私は魅力を感じています。確かにホフマンやモーザーの椅子は折り畳むのは不可能で、ある程度の場所を占領してしまいますが、その美的形態は、利便性を重んじる現代の日用品からすれば、新鮮な驚きがあるのです。懐古趣味と思われるかもしれませんが、当時のアール・デコ様式に現代では失いつつある人間感情の発露を見取るのは私だけでしょうか。
2022.12.19 Monday
先日、東京白金台にある東京都庭園美術館に行って、「機能と装飾のポリフォニー」と題された展覧会を見てきました。本展に出品されている作品は、家具や工芸、服飾といったもので1900年代から第二次世界大戦までの、モダニズムと呼ばれ、当時としては時代の先端をゆくものでした。私は個人的にはこれらアール・デコと称された建築や日用雑貨が大好きで、前時代の装飾的な傾向と新時代の機能的な傾向が鬩ぎ合っていた状況を、興味関心を持って眺めている者の一人です。図録にこんな箇所がありました。「本展覧会で強調したいのは、対立構造にあるかのように描きだされてきた機能/装飾、モダニズム/モダニティの概念が、近代(そしてポストモダン以降の現在)を駆動させる両輪として、密接な関係性の上に成り立っていたことである。実際、常に変化・更新するからこそ、私たちは消費し続けるのであり、更新がもはや純化ではなく、装飾の変更と言い換え可能であることに気づいている人も多いことだろう。~略~当時の総合芸術の代表ともいえるウィーン工房とバウハウスを軸に、それ自体が含んでいた周縁的活動とその外部で関係を持った動向に着目する。また享楽的な芸術の象徴とされる1925年のフランスのアール・デコ博(現代産業装飾芸術国際博覧会)を一つの指標にしながら、ファッションおよび博覧会から溢れでたいくつかの現象を取り上げる。そしてそれらへの応答として日本の動向にも目を向けたいと思う。」確かに展示作品は多義にわたっていて、20世紀初頭のヨーロッパ文化を網羅しているように思いました。本展の新館にはバウハウスのまとまった展示があって、その機能性に秀でたデザインを堪能しました。「私たちはバウハウスと聞くと、おおよそ機能主義的なプロダクトデザインや建築を思い浮かべてしまうが、一方で近年見直されているのが女子学生たちが担った織物工房の活動である。そこで自主的・主体的に織物に取り組んだ作家たちの理論的支柱となったのが、設立当初のバウハウスの基礎を作り、自らもテキスタイル制作に携っていたヨハネス・イッテンであり、その後1923年から27年にかけて夏期講習を担当し、31年の辞職まで同工房に関わったとされるパウル・クレーであった。」(引用は全て千葉真智子著)本展には染織作品の展示も多く、当時としては革新的なデザインを配していたと思われます。アール・デコ様式の東京都庭園美術館で見るウィーン工房とバウハウスの作品は、その雰囲気からしてフィットした情緒を醸し出していて、前時代のヨーロッパにいるような錯覚を覚えました。個々の作品に関しては別稿を起こします。
2022.12.18 Sunday
昨日は東京白金台にある東京都庭園美術館に出かけてしまったために、先週日曜日から土曜日までの振り返りを今日行うことにしました。この1週間も朝から夕方まで陶彫制作に精を出していました。月曜日の夕方は工房の大型ストーブの給油が必要になったために近隣のガソリンスタンドに行って来ました。灯油が結構高価になっていたので、大切に扱いたいと思っています。水曜日の午後は家内の定期診察のために行きつけの病院まで付き合いました。最近完成した集合住宅「RAUM」の税務資料を揃えて、懇意にしている税理士に渡しました。私はこうした書類が苦手で、何かにつけて家内に頼っていますが、学校管理職の時はそれでも頑張って自ら作っていました。校長になった時は、書類作成のために副校長がいてくれて本当に助かっていました。退職後は創作活動に精一杯力を尽くしていて、若い頃からずっと夢見ていた生活を送っています。創作活動も神経を使うのですが、校長職とは違う神経の使い方をしています。でもこれは全て自分自身のためなので幸福感がまるで異なるのです。私は65歳で横浜市を退職し、残りの人生を自分のために有効に使いたいと決めていて、ずっとイメージしてきた自分の世界観を具体化しています。このところ造形イメージの枯渇を恐れていましたが、今まで思うように出来なかった分、まだまだイメージは泉の如く湧いてきて私を安堵させてくれます。若い頃に海外で目に焼き付けた風景が甦ってきていて、私の背中を押しているように感じます。昨日出かけた東京都庭園美術館の「機能と装飾のポリフォニー」展では、嘗て暮らした国の工芸品の数々が来日していて、自分の創作活動の出発点に立ちかえったような思いが込み上げてきていました。私はウィーン工房やバウハウスの作品を見て、そこに簡潔な美を見出し、また旧市街のもつ幻想的な闇を吸収しつつ、自分のオリジナリティを求めていったのでした。今日はいつものように美大受験生が工房に来て、課題に打ち込んでいました。私は昨日見た作品群に思いを馳せながら、眼前の陶彫制作に取り組んでいました。
2022.12.17 Saturday
週末になりました。このところ土曜日にいろいろな予定があって、1週間の振り返りが日曜日になるケースが増えています。今日も東京白金台にある東京都庭園美術館に、工房に出入りしている美大生と一緒に行って来ました。東京都庭園美術館に私はよく出かけます。この美術館のもつ独特な建築様式が好きなので、展覧会とともに美術館そのものを鑑賞する目的もあります。その建築様式と言うのは20世紀初頭にヨーロッパで誕生したアール・デコ様式のことで、鉄筋コンクリートが新素材として登場し、近代的造形が形作られる初期の時代に、フォルムが鋭角なのに建築等に新鮮な息吹を私は感じとってしまうのです。それまではアール・ヌーボー様式がありました。アール・ヌーボーは曲線的、有機的、平面的であり、アール・デコはその逆で直線的、無機的、立体的となり、幾何学的や対称的な側面も含まれます。私がアール・デコを好む理由がここにあります。東京都庭園美術館は解説書によれば「都心の閑静な環境にある美術館本館は、1910年代から30年代にかけてヨーロッパを席巻したアール・デコとよばれる装飾様式を、パリ滞在中実際に見聞された朝香宮ご夫妻の意思によって取り入れ、1933(昭和8)年に建てられたものです。当時を代表するフランス人装飾美術家アンリ・ラパンに、玄関、大客室、大食堂、書斎などの主要部分の内装を依頼し、ルネ・ラリックもこれに参加しています。」とありました。そんなアール・デコ様式の美術館で、「機能と装飾のポリフォニー」と題された展覧会が開催され、近代のモダニズムのあり方を、当時のさまざまな作品を通して展示された空間を味わってきました。今年私が読んだ書籍に「ウィーン工房」や「バウハウス」があり、今までは概要しか知らなかった内容を詳細にわたってチェックしたので、その実物が展覧会で見られたのは幸運としか言いようがありません。展示作品の中には、私が20代の頃のウィーンに滞在中に見ていた作品もあっただろうと思っていますが、その時は雑駁な知識しかなかったためにきちんと認識して見ていたわけではありませんでした。展覧会の詳細な感想は後日改めますが、今日は充実した時間を過ごしました。
2022.12.16 Friday
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「ゴシックの廃墟から」で19世紀ドイツと内面の美学のゆくえについて論考です。もうひとつは「ゴッホとモネの狂気のなかの日本」でジャポニスムについての論考でこれは前半になります。まずドイツロマン主義とは何か、本書では「肉眼で見える表層よりも心眼で見える深層の方にこそ真理は宿っている。だから表層から深層に遡ってゆかねばならない。」とありました。「精神はひるむことなく死の恐ろしさを直視しなければならない。フリードリヒの《雪のなかの修道院墓地》のような不気味な光景を、あるいはヘーゲル自身が講義のなかで語った『こちらに突然血まみれの顔が現れたかと思うと、あちらに白い亡霊が現れる』という闇の光景を、しっかり見つめなければならない。そしてそれを一つの経験にして自分の存在を構築してゆかねばならない。死の恐怖の前に立ち続けるのではなく、そこから学んで自分を新たに建設してゆかねばならない。」当初はこんな思想があったにも関わらず、時代を経るとドイツの民衆にも変化が生じてきます。「ヘーゲルのようにキリスト教神に寄り添う必要性を徐々に感じなくなっていった。『魔法の力』などと言わなくてもよくなったのである。科学、産業、軍事の面で発揮される即物的な理性の働き、政治交渉の舞台で発揮される実利的で巧妙な理性の働きに自信を深めていった彼らは、キリスト教神を従とし、人間こそ神なのだという人間中心主義の信仰へ移行してゆく。」次は日本の浮世絵が影響を与えた2人の画家についての論考です。「パリ時代のゴッホは、この江戸後期の強烈な色彩感覚、意想外な画面構成に衝撃を覚え、とくに色彩の面で深い啓示を受けて、そのままアルルへと旅立ったのだった。そして強い陽光の下、ものみな色鮮やかに見えてくる南仏の光景に、ここは日本だと上ずった調子でテオを始めとする仲間たちに書簡を重ねて伝えたのである。このようにアルルは日本だと綴るゴッホに幻視者を見てはならない。今日では忘れられた江戸の審美眼を生きた者、そう捉えたい。そして狂気に陥ったことでゴッホのジャポニスムは江戸の庶民文化の深層に達したと私は強弁したい。」続いてモネです。「モネは、ゴッホに劣らないほど日本の美術を愛好し、浮世絵版画から多くを学んでいたが、ゴシックの大聖堂を変化の相で描くにあたっては、近代西洋の認識観から離れられずにいた。あるがままの現実こそ真実であり、真実であるからこそその現実を捉えきらねばならない。変化する現実こそ真実であるのだから、それを画布に描き取らねばならない。信と偽の識別、真実に対する所有欲。広重、北斎が聞いたなら、一笑に付してしまうであろう認識観だ。そして西洋の遠近法をこともなげに解体した彼らが《ルーアン大聖堂》の連作を見たならば、せっかく遠近法の漸増観を無視したのにもかかわらず、まったく同じ構図で変化の相を際立たせてゆくモネの発想に、稚拙で硬直した執拗さを、早い話、曲のなさ、遊びのなさ、芸のなさを実感したことだろう。」