2023.04.13 Thursday
先日、窯の修理を行い、日曜日の夕方に窯入れをしました。月曜日は焼成の関係で窯以外の電気が使えず、照明がない中で陶彫制作を行っていました。窓を開ければ日が差し込んで、手許は明るくなって作業が可能でしたが、どうも自然光では通常とは勝手が違って、作業のやり難さを感じました。昨日、窯を開けたところ、焼成が成功していて、ホッと胸を撫で下ろしましたが、窯出しをしてすぐに修理前の窯で焼成した作品を再度窯に入れたために、今日は月曜日と同じ照明が使えない一日になってしまいました。陶彫制作をやりたくて仕方がない逸る気持ちを抑えて、今日は工房では焼成温度の確認だけをして、きっぱりと作業は諦めました。創作活動には実技と鑑賞が両輪となって進んでいくものと私は考えていて、今日は鑑賞に当てることにしました。東京上野にある東京国立博物館で開催している「東福寺」展は、平日にも関わらず多くの観客で賑わっていました。京都の東福寺に私は幾度となく訪れていて、そのほとんどが庭園を見るための観光でした。教職にあった頃は修学旅行の生徒引率で行っていましたが、それは仕事だったために落ち着いて観光が出来ずに、機会を改めて個人旅行で東福寺に足を運びました。造園家重森三玲による「八相の庭」はその空間解釈の素晴らしさに毎回感嘆し、自ら創作している彫刻表現に生かせないか、当時から思案していました。今回の「東福寺」展では、東福寺が所蔵する宝物に触れ、とりわけ吉山明兆による「五百羅漢図」や鎌倉時代に作られた慶派仏師による仏像の数々に目を見張りました。吉山明兆は雪舟等楊と並び称される画聖であり、その力量を惜しみなく発揮されたのが「五百羅漢図」で、その全容を見て気分が高揚しました。詳しい感想は改めて別稿を起こします。今日は初夏を思わせる一日で、上野公園には多くの人々が訪れていました。新緑の中、大陸からやってきた黄砂を心配しながら、上野公園を歩いて気分転換を図りました。今日は充実した一日だったと思っています。
2023.04.12 Wednesday
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第一章 花嫁のヴェール」は多くの単元に分かれていて、そのうち最初の2つの単元で注目した文章を引用いたします。まずその「序文」となる単元ですが、マルセル・デュシャンが熱心に造形作品やその構想に取り組んだ時期のことが書かれていました。「実際われわれの作者にとって、1912年から1920年までの期間は芸術活動・構想推敲の濃密な時期であり、とりわけ〈レディー・メイド〉の創案と〈大ガラス〉の部分的制作がその特徴である。〈大ガラス〉の制作作業は1915年秋に行われたが、それはアメリカの大都市〔ニューヨーク〕に(6月15日ころ)到着して数週間後のことである。しかし、造形美術の創造力のこうした展開は、異常な知的興奮によって倍加する。つまり、10年ほどのあいだ毎日彼は紙片にこれらノートを綴るのである。ノートは、ほんとうの対位法のレチタチーヴォとしてのこの時期の作品の基盤に横たわり、作品を解説しあるいは反対に隠蔽する。」(※レチタチーヴォ=「叙唱」と訳される。)デュシャンの代表作品はこの時期に集中して考案され、また制作されたようです。次に「1914年のボックス」という単元がありました。デュシャンにはメモをボックスに入れて保管する習慣があり、有名なものでは「グリーン・ボックス」がありますが、これはそれ以前に存在するボックスらしく、かなり貴重なものだろうと思われます。そこで書かれていたこんな文章に目が留まりました。「デュシャンは即興の人ではない。その最も自然発生的に見える創案でもゆっくりした成熟の産物である。そのようにしてデュシャンは、1914年早々にパリで、『文学的』作品の受容器としてボックスを利用するという着想を抱いたのである。彼は個人的な使用のために、公表の意図もなく、15のテクストをまとめることまでしていた。」今回はここまでにします。
2023.04.11 Tuesday
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の巻頭にある「1958年の序文」の中で、気に留めた箇所を引用いたします。著者は序文の中にもマルセル・デュシャンという特異な芸術家の考え方を反映させていて、私としては嘗て見たデュシャンの造形作品を思い起こしながら、序文を丁寧に読んでいました。「アンドレ・ブルトンは次のように的確に指摘する。『現実の問題は、可能性との関係においては、苦悩の大きな源泉であり続ける問題であるわけだが、ここではもっとも大胆なやり方で…つまり〖物理化学法則を少しゆるめて〗解決されるのである。』ブルトンは続ける。『疑問の余地がないことだが、造形芸術の領域でデュシャンがこうした方法によって辿り着きえた独創の数々の厳密な時間的順序を人々はのちになって確定しようと躍起になるだろう。後世の人々がもっぱらできることといえば、その流れを体系的に遡行し、慎重にその紆余曲折を描き、デュシャンの精神だった秘匿された宝を探求すること、そしてその向こうに最もまれなるもの、最も貴重なもの、つまり時代の精神そのものを探求することなのである。そこでは、最も現代的な感じ方の奥深い秘伝伝授が問題になるのである。そしてそのユーモアはこの作品のなかに暗黙の条件であるかのように提示されている。』」これはシュルレアリスムを体系化したアンドレ・ブルトンによるデュシャン評が端的に述べられている箇所で、デュシャンの秘匿された宝とは何かを知る手掛かりが本書には書かれているようです。ただし、デュシャンの表現に対する特徴が書かれた部分もあって、私はホッと胸を撫で下ろしたところでもあります。「デュシャンの手は、彼が何を言おうとパレット向きにできており、ペン向きにはできていなかった。書くことは彼にとって嫌な仕事なのである。その作品の少なさは、それゆえこうした嫌悪感による。しかし、デュシャンの精神はそれでも知的表現に向けられるのであり、その最も適切な表現はやはりエクリチュール〔書くこと〕なのである。」今回はここまでにします。
2023.04.10 Monday
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)を読み始めました。本書はどこで購入したのものか忘れていて、以前から自宅の書棚にあったものです。自分で手に入れておきながらデュシャンの全著作というタイトルに興味半分と一抹の不安を覚えます。前に読んでいた「アンドレ・ブルトン伝」と同じく本書も分厚い書籍ですが、頁を捲ってみると図解やメモがあったりして、私にどの程度理解ができるのか、甚だ心もとない限りです。マルセル・デュシャンは多様化した現代美術の礎を作った立役者で、それは美的価値の転換を図った革命家であったと私は考えています。デュシャンが登場したことで、私が今も信奉する彫刻表現が解体されてしまいました。そんな現代美術はどこへ向かうのか、デュシャンの思考にもう一度立ち返り、造形そのものを問うてみることも必要かなぁと思っています。本書は4章から成り立っています。「はしがき」にある4つの章に関する短文を引用いたします。「『花嫁のヴェール』は、〈大ガラス〉つまり『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』に関するメモ全体である。『ローズ商会』は、『ローズ・セラヴィ』(1939年)の場合と同じ形式のコントルペトリー、地口、言葉遊びの集成である。『批評家マルセル・デュシャン』は、評論、略注、批評的警句である。『テクスティキュール』は、以上の章に入れられなかったその他の全般的に短いテクストである。」この4つの章の分類を見ても、私には何のことか分からない状況ですが、ガラスが嵌め込まれた作品「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」は複数作られたうちの1点を見たことがあり、「ローズ商会」についても言葉遊びという手段がどういうものか、何となく知っています。日本で開催された「マルセル・デュシャン展」には足を運んでいるので、造形作品に関しては私でも多少の理解はしているつもりです。本書によって、どんな思索が自分に与えられるのか、出来るだけ感度を良くして読書に臨みたいと思います。
2023.04.09 Sunday
日曜日になり、工房には若い世代の人たちが来ていました。私は先日修理の終わった窯に作品を入れ、作業が終わった夕方から窯を焚くことにしました。果たして焼成はうまくいくでしょうか。このところ恒例になった7月の個展と、その前段階での図録用写真撮影のことが気になりはじめ、軽い強迫観念が頭を過ります。現在作っている新作は、同じサイズの陶彫立方体で、それぞれに日付をつけています。1月1日から12月31日までを1年間として最終的には365点を作る予定ですが、今回の個展までに365点を作り上げるのは時間的に到底無理であることが判っています。それならばどこまで作るべきか、どのくらいを来年に回すべきかを考えました。陶彫作品は窯入れをする前に乾燥期間が必要で、2週間程度は放置した状態にしておきたいのです。陶土が白くなり、そこに仕上げと化粧掛けを施して窯に入れます。陶彫作品は制作と放置を繰り返して最終的な形になっていくのです。そのためにかなり時間的猶予がなければならず、そこから考えると今年発表できる作品は1月1日から5月31日までの151点になるのかなぁと思っています。今年発表する作品はこればかりではありません。坪庭をイメージした中規模の作品も考えていて、これは私が建てた集合住宅の階段下に置くオブジェでもあるのです。来年の個展には立方体365点をギャラリーに並べますが、今年の状況からしても来年は立方体365点だけになってしまい、中規模作品を作る余裕が持てないという公算が大きいと思います。陶彫による立方体のコンセプトはまた別の機会にNOTE(ブログ)に書く予定です。今日はこんなことを考えながら作業をしていました。夜になって家内と統一地方選挙の投票に出かけました。今回はどの候補者も政策等でピンと来る人がいなかったので、正直に言えば選挙は厳しかったなぁと感じたのは私だけでしょうか。