2022.12.15 Thursday
NHKのBSプレミアム「ザ・プロファイラー」で、フランス印象派の画家クロード・モネをテーマにした番組を放映していました。最近のバラエティや報道番組の中で、知的好奇心を掘り下げる番組が増えてきたことを私は歓迎しています。今日も新聞の番組表でモネを取り上げることを知り、テレビを見るのを楽しみにしていました。私は最近まで印象派の先陣を切ったマネの伝記を読んでいたので、後続の画家モネにも興味の対象は広がっていました。私は20代の頃にパリに出かけていって、オランジェリー美術館(一時休館の前だったと思います)の楕円状に展示されたモネの「睡蓮」の連作を見ています。それは刻々と変化する水と光を捉えようとした意欲作で、そこに暫し佇んでいました。モネは青年時代にカリカチュア(風刺画)で知られ、その後は当時サロンで持て囃された神話や宗教を扱った絵画ではなく、身近な風景を描きました。展覧会に出した「印象 日の出」が酷評され、その「印象」という言葉を逆に好意的に用いて、移ろいゆく光を描く印象主義を謳うことになりました。番組ではモネの私生活にも触れ、破産したパトロンの家族を引き取ったことも話に出ていました。妻カミーユとパトロンの妻との間で微妙な関係があったとされ、それでもカミーユが若くして亡くなる寸前まで、モネはカミーユの顔を描いていました。描写によって妻を看取りたいと考えていたのでしょうか。モネの絵画に対する考え方に私が納得した箇所は、一枚のカンバスで描き終えたと思うのは画家の傲慢で、同じモチーフを何度も描いていくというものでした。それがよく表れているのが「睡蓮」の連作で、時間を変え、場所を変え、光の瞬間を捉え、何枚も描いているのです。その姿勢は画家と言うより狩人だろうと番組では言っていましたが、まさに水と光の在り様を捉えようと追求する画家の姿がありました。晩年に白内障を患い、色彩が激しいものに変っていきましたが、それも魂の籠った作品として異彩を放っているように感じます。モネの絵画は日本人が好む画風があって、日本にも数多くの作品があります。水に浮かぶ睡蓮は日本画のようでもあり、その解釈に共通したものがあるようにも思えます。
2022.12.14 Wednesday
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「まがいものの美学」で18世紀イギリスの庭と館について論考です。もうひとつは「溢れでる夜の証言」でフランシスコ・デ・ゴヤについての論考です。まずイギリス庭園についての考察です。「イギリスの庭園は、地方の貴族や郷土の地所のなかに作られたが、1600年代にはまだそのほとんどがイタリア風あるいはフランス風と呼ばれる古典主義の整形式庭園だった。これは、邸宅の前面を四角く塀で囲み、その内部に左右対称の花壇、円形の泉水、まっすぐの並木道、放射状の小道を配する幾何学的な庭園である。~略~実際にストウの庭園のなかを歩いてみると、ラテン的な面に遭遇して驚かされる。ギリシャ・ローマの神殿やイタリア・ルネサンスの建造物を模倣したまがいものがそこここに堂々と建っているのだ。それには、18世紀イギリスの政治的、美的の二つの事情が影響している。政治的な面では、地中海世界を制覇し、イギリスやヨーロッパの内陸まで領土を広げた古代ローマ帝国へのコンプレックスまじりの対抗心があげられる。当時のイギリスは、フランスとの植民地争奪戦にことごとく勝利し、また探検家の貢献もあって、その支配圏を地球規模に拡大しつつあったが、そこには古代ローマを凌ぐ史上最大の帝国になりたいとの政治的な野心が働いていた。」次にゴヤについての論考です。「ゴヤは、1792年、46歳のときに大病をわずらって聴覚を完全に失ったということである。誤解を恐れずに言えば、生まれついて聴覚を喪失しているのと、長年正常な聴覚を経験したのちにこれを喪失するのとでは、後者の方がはるかに強く精神を不安定にする。音のない真空状態に転落したゴヤは、ことあるごとにその落差と絶望的な閉塞状況を意識して、気も狂わんばかりになっただろう。そしてその混乱は、彼の意識の底に住みついて、夜見る夢を悪夢へ変貌させたにちがいない。~略~ともかくゴヤは、レンブラントの光の美学を逆転させて、闇がそれ自体で存在感を放つように描いたのである。ゴヤに至るまで西洋絵画において闇は光の引き立て役に過ぎなかった。夜の狂的な力を昼の覚醒時にも体験し、なおかつ外界の戦時の光景のなかにも見出していったゴヤは、夜こそが、黒こそが、万物の底辺であり母体であると思いなしていった。叫びや歌を大声で発しながら蛇行してくる夜明けの巡礼者たちも、あらん限り大きく目を見開く夜宴の女たちも、夜によって生みだされ動かされている生き物なのである。」黒を基調とするゴヤの独特な世界観を、20代の頃に私はオリジナルを見て、心を動かされました。スペインには僅かばかりの滞在でしたが、当時私が住んでいた中欧とは違う光線があって、今も印象に残っています。
2022.12.13 Tuesday
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「彼方からの笑い」でレオナルド・ダ・ヴィンチについての後半にあたる論考です。もうひとつは「言葉なき大空との対話」でネーデルランド風景画についての論考です。晩年のダ・ヴィンチはどんな生涯を送っていたのか、こんな文章に目が留まりました。「挫折の人。それが後世の人々に『万能の天才』と謳われたレオナルドの実像である。彼の敗北の原因を探れば、自然の偉大さに行きあたる。より正確に言えば、人知を超えた自然界の不合理性が彼の蹉跌の真因だということだ。」晩年の三作品「モナ・リサ」、「聖アンナと聖母子」、「洗礼者の聖ヨハネ」のうち、ロンドンにある「聖アンナと聖母子」の大画稿に触れた箇所にこんな論考がありました。「この大画稿に描かれた聖アンナの微笑は、レオナルドがいかに深く自然と交わっていたかを証している。自然界に弄ばれ、痛みを加えられ、にもかかわらず自然界を愛し続けた人だけが描くことのできる微笑なのである。河の氾濫に土木技師としての面子を丸潰しにされ、また幾夜も、切り開かれた人体を前にその異臭と粘液に耐えつつ腑分けし、克明な素描を残していった人だけが描きうる奥深い微笑なのである。」次にネーデルランド風景画のブリューゲルについて考察した箇所を取り上げます。「単純化して言うと、ブリューゲルの絵には、世界に対する彼の考えを図像で説明してゆくという思想伝達の面と、人知ではとうてい説明しえない世界の魔的な力をそのまま画布に漂わせて世界、絵画、鑑賞者を透明な、しかし恐ろしげな生命の流れでつなぐという交流体験的な面が共存している。」私はウィーン美術史美術館にあるブリューゲルの絵画群を折りに触れて見ていて、当時のイタリア絵画に心酔した画家とは違うパノラマのような「世界風景画」(後世の研究者の命名による)を堪能していました。さらにオランダ風景画についてこんな論考もありました。「1600年代のオランダ風景画は、1517年ドイツで始まった宗教改革の思わぬ副産物だった。ルター、カルヴァンらのプロテスタントの宗教思想家たちは、神と人との直接的な関係をめざし、『聖書に帰れ』と命じて、カトリックの教会堂を飾る宗教画を邪道視し、厳しく批判した。ネーデルランドのプロテスタント民衆はこの批判を聖像画破壊という過激なかたちで実践した。1566年にネーデルランドの四百ものカトリック教会堂で宗教画や彫刻が破壊されている。~略~風景画もそのような無益な嗜好品として民衆から愛された。宗教画を破壊した彼らは、道徳的な寓意に満ちた神話画も嫌った。信仰に役立つ絵、徳育に役立つ絵を拒んだのだ。彼らが好んだのは、何にも役立たない絵、つまり自分たちの生活世界をただ直接に描いた風景画そして風俗画だった。」その風景画は言葉なき大空を描いたものが多かったようです。
2022.12.12 Monday
小田原市江之浦にある「小田原文化財団 江之浦測候所」に先日行って来ました。相模湾を臨む美しい景観を有する本施設は、自然を借景とする自然遺産の中に石材を多く配置した庭園や、日本の建築様式の再現や伝統工法を継承している造形群があって、それぞれに清々しい空間を感じさせてくれました。また、この空間解釈には現代性があり、全てがアートとして認識できるように工夫されていました。私個人としては、香川県高松市にある「イサムノグチ庭園美術館」を髣髴とさせる感覚を持ちました。古来から伝承される古美術と、たった一人が造形した現代彫刻の違いはあっても、同じ空気感を纏っていると私は勝手な解釈をしてしまいました。本施設の概説にこのような文章がありました。「アートは人類の精神史上において、その時代時代の人間の意識の最先端を提示し続けてきた。アートは先ず人間の意識の誕生をその洞窟壁画で祝福した。やがてアートは宗教に神の姿を啓示し、王達にはその権威の象徴を装飾した。今、時代は成長の臨界点に至り、アートはその表現すべき対象を見失ってしまった。私達に出来る事、それはもう一度人類意識の発生現場に立ち戻って、意識のよってたつ由来を反芻してみる事ではないだろうか。『小田原文化財団 江之浦測候所』はそのような意識のもとに設計された。悠久の昔、古代人が意識を持ってまずした事は、天空のうちにある自身の場を確認する作業であった。そしてそれがアートの起源でもあった。新たなる命が再生される冬至、重要な折り返しの夏至、通過点である春分と秋分。天空を測候する事にもう一度立ち戻ってみる、そこにこそかすかな未来へと通ずる糸口が開いているように私は思う。」これは設立者である現代美術家の杉本博司氏の言葉です。本施設の中を回遊してみて、私が気を留めた場所を敢えて選ぶとすれば、明月門と東大寺七重塔礎石です。明月門は鎌倉の明月院の正門として室町時代に建てられたものですが、関東大震災で半壊し、建築家仰木魯堂が解体保存させていました。その後大日本麦酒創業者の邸宅に渡り、さらに根津美術館に据えられました。根津美術館建て替えにより本施設に寄贈されたようです。東大寺七重塔礎石は、東大寺創建の頃、金堂の両脇に東塔と西塔が聳えていて、そのどちらかは不明だそうですが、礎石は藤田美術館創設者の屋敷にあったものだそうです。巨大な礎石は、あたかもイサムノグチの石彫のような流麗な美しさがあって、説明がなければ私は現代彫刻として鑑賞していただろうと思っています。これは「江之浦測候所」が抱えるほんの一部の美術品ですが、とにかく見応えのある造形群ばかりで、私は閉館近くまでここに佇んでいました。
2022.12.11 Sunday
毎週土曜日にその週の制作状況をまとめていますが、このところ土曜日に用事が出来ていて、1週間のまとめは日曜日になっています。この1週間も創作活動に大きな変化はなく、朝から夕方まで陶彫制作に没頭していました。月曜日には立方体の陶彫8点の仕上げと化粧掛けを施し、窯に入れました。火曜日は窯で焼成中のために窯内温度の確認をしてきました。水曜日は新たな陶土の土練りとタタラ、木曜日は成形2点、金曜日は窯出しと最終チェックをしていました。土曜日は工房に行かず、家内の叔父一家と真鶴のミカン畑に行き、ミカンの収穫をしてきました。毎日制作スケジュールが決まっていて、その上で月曜日と火曜日、金曜日の昼頃は近隣のスポーツ施設で水泳をしていました。ここまでは変化のない1週間でしたが、水曜日の夕方に突如思い立って映画に出かけました。前から観たいと思っていた映画ではなく、思いつきの映画鑑賞でした。映画「THE FIRST SLAMDUNK」は、私は往年のファンとして、これを観に行くか否か迷っていましたが、家内を誘って本作を観に行きました。結果として本作は満足のいく出来栄えで楽しかった印象が残っています。映画監督を兼任した漫画家の思いが伝わった映画ではなかったかと思っています。家内はフアンでもないのによく付き合ってくれましたが、動画のクオリティの高さと試合運びの巧みさに、暫し我を忘れて楽しんでいたようです。次の思いつきは昨日のミカンの収穫の後にやってきました。ミカン畑に行く途中に「江之浦測候所」という看板が目に留まり、そこに行きたいと私は家内に主張しました。ここは現代美術家杉本博司氏が設立した美術館で、相模湾に臨む急峻な地形を利用した環境そのものをアートに見立てた特殊な施設で、私はテレビの報道で知っていました。家内は映画同様、何も分からずに付き合ってくれましたが、その景観の素晴らしさが気に入ったらしく、これも楽しんでいたように思えました。何もしなければ失われてしまう古美術品を、新しい解釈のもとで展示するコンセプトは本当に感心させられることが多く、杉本氏の考え方には遥か太古から未来へ続く思想が見て取れます。ここに来てよかったなぁと思える時間を過ごせました。昨日の印象を糧に今日の私は制作三昧でした。日曜日なのでいつものように美大受験生が工房に来て、夢中になって平面構成をやっていました。実技と鑑賞は車の両輪のようだと、私は改めて感じていました。