2022.11.20 Sunday
いつもなら土曜日に1週間の制作の振り返りを書くのですが、先週の日曜日から昨日の土曜日までは鑑賞満載の1週間になり、気持ちが満たされて幸福な時間を過ごしました。陶彫制作では、土曜日以外は朝から夕方まで工房に籠って懸命にやっていました。気候が創作活動にちょうど良くなり、寒さが増す前に頑張っておこうと思っているのです。陶土に手が触れている以外の周囲の風景や時間が消えてしまう、所謂フロー状態が幾度となくやってきたので、陶彫制作は充実していたと言えます。自分には生きている実感が無意識に訪れていたのだろうと振り返っていますが、今週は鑑賞も充実していました。私は実技と鑑賞は車の両輪のようなものだと考えていて、ビジネスシーンとは違う意味で、創作にもインプットとアウトプットがあると思っています。鑑賞で感銘を受けたら、創作にもそれは生きてくると私は信じているのです。水曜日の夕方は映画「すずめの戸締り」を観に行きました。アニメ監督の本気度が感じられる気合の入った力作だと思いました。金曜日の夕方にも映画に行きました。「宮松と山下」は主役をやった俳優の本気度が感じられる秀作でした。ただ俳優が社会的な問題を起こしていたため、案の定観客が少なく、良質な映画が埋もれてしまうのではないかと心配をしています。土曜日は東京渋谷の山種美術館に「竹内栖鳳展」に行ってきました。日本画家竹内栖鳳の写実性に富む画風に久しぶりに触れて、私も活力をもらいました。その中で猫を描いた「班猫」は展覧会の目玉のひとつであるらしく、鑑賞者も多く群がっていました。我が家にも猫がいるので、「班猫」のこちらを睨む猫のブルーアイがひときわ印象に残りました。これは別稿を起こそうかと思っています。この日は工房に出入りしている女子を2人連れていたので、渋谷のセンター街を散策し、Bunkamuraの地下1階にある「ドゥ マゴパリ」でお茶の時間にしました。これはパリにある老舗カフェの日本店で、パリではピカソやヘミングウェイが集った場所として知られています。私は女子2人の前でちょっと洒落た小父さんを演じてしまいました。1週間のうちに映画2本、展覧会1本を見たのは今までになく、今週は鑑賞満載の1週間になりました。今日は美大生と後輩の木彫家が工房にやってきて、それぞれの課題に取り組んでいましたが、私も鑑賞を糧にして新たな気持ちになり、窯入れの準備をしていました。
2022.11.19 Saturday
週末になり、工房に出入りしている若いスタッフ2人と、前から約束をしていた展覧会鑑賞に出かけました。場所は東京渋谷にある山種美術館で、そこでは日本画の巨匠竹内栖鳳の展覧会をやっていたのでした。私は2013年に東京国立近代美術館で開催していた大掛かりな「竹内栖鳳展」を見に行っています。NOTE(ブログ)の2013年10月17日の記述に「ライオンや象、鹿、狐、狸、猫、雀に至るまで動物の描写は特筆に値する表現力をもち、その風貌や動勢、毛の質感さえ見事な筆致を見せていました。西洋画の陰影を取り込んだ作品は、当時の日本画壇で驚かれたのではないかと推察しています。とりわけローマやベニスの構築的な建築描写と日本画的な樹木の描写が相まって統一されていたのが印象に残りました。」と私は些か興奮気味に書いていました。今回見てきた「竹内栖鳳展」は比較的小品が多かったと思いますが、それでも中国の蘇州を描いた「城外風景」や愛らしい動物を描いた「班猫」や「鴨雛」があり、竹内栖鳳らしさを感じさせてくれる作品が展示されていました。西洋絵画の描写方法を取り込んだ竹内栖鳳の作風に、私たち戦後世代は西洋の図工美術教育を受けた者として、親近感を感じたことは否めません。つまり分かり易く形態が視覚に入ってくるのです。勿論日本画独特な線の輪郭も美しいと感じていますが、洋の東西を問わず、その感興が齎すものに私たちは魅入ってしまうのです。図録にこんな竹内栖鳳の言葉が掲載されていました。「日本画家に取っても西洋画に学ぶべきところが全然ないではない、広く泰西の名画を見、之を我に比較し、深く之を研究することが肝要である。例えば印象派などの作に、仕上げの或程度で止めた処に、或る感じを現わす遣り方と、日本画の或程度で仕上げを止めた処に、或情感を出すという様なところに、互に共通の点があるかと思う。~略~又一方から考えれば、ひたすらに西洋画の後ばかりを追うことをせずに、かえって其裏を裏をと行く方が、かえって東洋画の特色の面白い処に達し得るかも知れぬ。例えば、向うの画に陰影というものがあれば、此方では精々陰影を除いて行く、こんな風にしてかえって面白い処へ達しはせぬか。」竹内栖鳳は1900年のパリ万国博覧会視察でヨーロッパを訪れ、翌年帰国しています。そこで感じた西洋絵画の真髄と日本画の現状を見据えて、自らの作風を考えたのだろうと察しています。竹内栖鳳は「面白い処に達する」という絵画の主眼を常に見つめてきた巨匠と言えます。
2022.11.18 Friday
今週は映画館によく行っています。今日の午後は家内と横浜駅に隣接するエンターティメント系の映画館に「宮松と山下」を観に行きました。今日封切りでしたが、この映画は上映されるかどうか危ぶまれていた映画で、主役の俳優が最近になって性加害事件を起こしていたので、それが人気を左右する要因になるのではないかと心配でした。ただ、私は香川照之さんの演技は天性を感じさせるものがあり、その力を遺憾なく発揮したのが映画「宮松と山下」と思っています。この映画の監督は3人がチームとなっていて、3人の対談の中でこんな話がありました。「エキストラを主人公とするならば、端役として映像の中に潜むことが出来る一方で、主人公として物語をぐいぐいと引っ張っていく存在感も必要になってくる。矛盾するこの二面性を持ち合わせている役者はなかなかいない。」そこで白羽の矢が立ったのが香川さんでした。「来る日も来る日も斬られ、撃たれ、射られ、時に笑い、そして画面の端に消えていく。」今まで彼が演じてきた大袈裟な目立つ役とは違い、この映画で求められたのは、あくまでも抑えた立ち振る舞いで、慎ましく静かな日常を送ること。彼は記憶喪失で過去がなく、また未来も見えない中で、その宙ぶらりんな自己存在の隠喩として、端役の他にロープウエイの管理人として働いているのでした。私たち観客も謎に包まれた彼の素性がわからず、どこまでが現実で、どこからが演技なのか攪乱してしまうような演出もありました。端役の演技が終わってもホッとする表情もなく、記憶のない彼はその日を坦々と過ごしているのでした。やがて嘗ての同僚が現れたことで、彼がタクシー運転手だったことが判明し、また歳の離れた妹がいることもわかりました。そこから彼の過去が徐々に説き明かされていくのですが、彼の表情に現れた微々たる痙攣に、私はこれは演技なのか、偶然なのか、彼の風貌の微かな動きをずっと注視していました。ただ、彼の他にも実力派俳優が揃い、大きなドラマのない日常が深く掘り下げられて、映画ならではのじっくり現実と向き合う時間が流れていました。それでも退屈しなかったのは、俳優それぞれの演技に対する解釈と経験の蓄積があったればこそではないかと感じました。
2022.11.17 Thursday
自宅の書棚にはいつどこで購入したものか分からない書籍が眠っています。大手書店に行くと、私は手当たり次第興味の対象になる書籍を複数購入する癖があり、それを忘れてしまっているのです。書棚を眺めているとそんな書籍を見つけて読んでみる事も多々あります。あれ?これは前に読んだかもしれないと記憶している書籍もあるし、途中で放棄している書籍もあります。気分次第で読書をするのは推奨できるものではありませんが、今回は内容的にも面白いテーマが羅列しているので、これは楽しそうと思いました。今日から「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)を読み始めます。内容をざっと見てみると、芸術表現を遊びという概念で捉えているところに面白味を感じました。「まえがき」にあった文章から引用いたします。「人間の遊びとは、自然界の遊びに加わる試みにほかならない。自己への執着、延命への欲求、労働の重視、このような自分中心の態度に亀裂を入れて、自然界の自由奔放な流れにいっとき触れることである。濁流のように圧倒的で危険な流れに、まさに命を賭して接するという行為なのだ。祭儀、そして芸術も、この人間の遊びを本質的な要素にしている。~略~本書がめざしたところは、先史時代から20世紀に至るまでの西洋の芸術作品において遊びの面を際立たせて見せるということである。それぞれの作者が命を賭するほどの意気込みで遊んでいるわけだから、私の話も自ずと人間の厳しくまた異様な面に及んでいる。とりわけ20世紀に入ると、死、破壊、エロスといった生の表出の重たいテーマが何度となく言及される。二度の世界大戦に象徴されるように、西洋近代文明は混迷の度を深めてゆき、これらの生の表出をも、個人から国家まで自己本位に利用していった。20世紀の芸術家たちは、時代のこの大きな流れに抗しながら、作品を遊びへ、生命の広い展望へ、開かせようと悪戦苦闘していたのである。」本書は細かい単元に分かれているので、単元ごとではなく、関連するものを繋げてまとめようと思います。楽しみつつ本書を読んでいこうと思います。
2022.11.16 Wednesday
今日の夕方になって、家内と鴨居にあるエンターティメント系の映画館で、現在話題沸騰中のアニメーション映画「すずめの戸締り」を観てきました。先日、高校時代の同級生竹中直人さんが、監督として制作中の映画「零落」の撮影を励ますためのラインを送り、実写はアニメに負けるなと伝えたばかりですが、私自身は世情に勝てず、結局流行のアニメを観てしまいました。新海誠監督による映画「すずめの戸締り」の見終わった時の感想としては、監督の本気度を感じ、大震災を真正面から描いた力作に、感銘さえ受けました。最近増えつつある日本各地の廃墟が舞台になり、そこにある扉から厄災が現われ出て、人々や街に災害を齎すという映画の大筋があり、さらに扉の向こう側に見える霊界のような世界に、主人公すずめが幼い頃に封印した記憶が見え隠れしているのでした。主人公は東日本大震災で母を失っていました。廃墟にある扉の後ろ戸を閉じることを仕事にして、各地を旅している青年草太と偶然出会ったことで、すずめはその旅に同行することになりました。青年は魔法で椅子にさせられてしまい、その魔法をかけた猫(要石)を追って、すずめと椅子が九州から東北までを旅する物語は、手法的にはロードムービーでもあるなぁと思いました。旅の途中で助けられた人々によって、すずめは成長し、人々の恩と絆で繋いでいくもうひとつの物語の存在も私は感じました。図録から引用すると「場所を悼むというのは人ではなく場所自体を慰め、弔い、鎮めるという発想だ。近年、壊すことも直すこともなく捨て置かれた場所が増えているが、何かを興して始める際には地鎮祭のような祭事がある一方、故人を見送る際に執り行なわれる葬式のような鎮魂の儀式が、土地や街に対してはなされない。廃れたまま放置された寂しい風景が、新海の胸に新作へのインスピレーションを与えた。」とありました。そうした過疎化に災害を絡ませたのが本作であり、自然現象である震災をあたかも日本列島の地下にある構造線のようなもの(ミミズ)にして、草太が祈りの言葉を発しているところが民俗的な要素として、私には日本古来の伝承を感じさせて興味が湧きました。ともかく力の籠った映画だったと思っています。