2023.02.12 Sunday
日曜日になって、いつものように後輩の木彫家や美大生が工房にやってきました。私も含めてそれぞれが自らの課題に一生懸命に取り組んでいる時間は、珠玉のような時間だろうと私は認識しています。創作活動は真摯に立ち向かっている人間でないと分からない側面があります。「良い趣味をお持ちですね」と人から言われて、苦笑いをしたこともありました。機械的に作業をしているだけでは、腑抜けた作品が出来てしまい、自分の納得が得られるものではなくなってしまうのです。心を込めるということはどういうことか、創作活動に関わっているとそれが日常の姿勢になっていることに改めて自分を見直すこともあります。後輩の木彫家は、嘗ての私と同じ二束の草鞋生活を送っていて、双方の仕事に辛さを覚えることがあろうかと思います。私は教職にあって創作活動を続けていく難しさを実感していたからこそ、彼の内情はよく理解できます。初めて教壇に立った頃は、授業のことや生徒理解のことで創作活動のことなど二の次になっていました。美術準備室の隅の方に彫刻の素材を放っておいて、多忙に動き回っていましたが、彫刻をやりたいという気持ちだけは忘れずにいました。これではいけないと思い始めたのはいつ頃だったか、私は焼き物に注目していました。陶土は常に手間をかけていないと、使い物にならない素材になってしまうので、これを創作の契機にしようと考えたのでした。教職に支配されていた生活を、少しでも創作活動に腰を移すためには、陶土を常に気にしておくことが必要でした。つまり私の自由意志ではなく、陶土の事情に問題をすり替えたのです。陶彫は私の都合など関係なく、陶土の乾燥具合で進めていく制作工程があり、人の手が及ばない焼成があるため、それが私をして二束の草鞋生活を成功させる秘訣でもありました。生徒が下校し、学校の会議が終わり、私一人になった時に、毎晩陶土に触れて自分を取り戻す時間、それが私には何より大切な時間だったのでした。私が陶土に拘る理由はそんなところにあったと思っています。
2023.02.11 Saturday
週末になりました。今週の制作状況を含めて、印象的だったことを書いていきます。まず創作活動ですが、相変わらず日々精一杯陶彫制作に明け暮れていました。これは自分のライフワークでもあるので、朝から工房に出かけて陶土に触れていました。さすがに手がガサガサになっていますが、ハンドクリームで補いながら作業を進めています。今週は窯入れも窯出しも行いました。創作活動以外では、まず月曜日の夕方にマイナンバーカードを受け取ってきました。家内は早めに申請していましたが、私は書類を放っていて、マイナンバーカードの必要性を感じていなかったのですが、ここにきて漸く申請をしたのでした。木曜日の夕方は家内と横浜駅にあるデパートに行って自分の水着を購入してきました。公務員を退職して毎週3回は近隣のスポーツ施設に通って水泳をしてきましたが、糸が解れたところがあって、買い替えをしたのでした。金曜日は歯科医院に歯のメンテナンスの予約をしていたのですが、雪が降ってきたので、予約を変えてもらいました。私の車はノーマルタイヤなので、歯科医院にはバスや電車を使って行こうとしたのですが、帰路が心配になり、外出をやめました。この日横浜では珍しく降雪がありました。幸い積雪まではいかず、何とかなりそうかなとも思いましたが、報道番組が不要な外出を控えるように訴えていたので、これを信じることにしました。積雪ともなれば、厳しい事態も予想されるので、勤めがなくなった私は、多少でも安全を考えることにしたのです。降雪の日はとても寒かったのですが、歯のメンテナンスという予定がなくなったので、ずっと工房で制作をしながら過ごしました。そして翌日の今日は気温が上がり、春めいた日になりました。これだけ寒暖の差があると、身体に疲れが出てきて、作業以上の負担が身体にかかっているのかなぁと思っています。
2023.02.10 Friday
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波書店)を読み終えました。読み終えてみたものの本書は理解に苦しむ内容が多く、とりわけ自動記述によって書かれた「溶ける魚」には不条理な語彙の使い方や破天荒な文脈に戸惑うことが多かったと思い返しています。自動記述とは思いついたことを自由に紙に書き連ねいていく表現行為で、それは自己イメージの吐露ではあるけれども、シュルレアリスムの概念に則ったものと理解しました。たとえば「シュルレアリスム宣言」と称された文章についても、書かれている内容が論理的な書籍によくある既知の安定感とはほど遠い宙づり状態であることを感じました。訳者による解説によると「いまも生き、鼓動しつづけているものに特有の、めざましい臨場感」とあり、本書が充足されていない流動的なものであることが解りました。宣言は最初「溶ける魚」の序文として書かれたものらしく、解説の中にこんな文章を見つけました。「(シュルレアリスムは)もともとギョーム・アポリネールの造語であって、ブルトンらは言葉自体を借用していたものの、意味内容についてはまったく新しいべつのものをあたえており、すでに二年ほどまえから、それをあるていど流通させてきたという自負があった。ところがこのころになって、イヴァン・ゴルやポール・デルメのようなモダニズム系の詩人たちが別個にこの言葉を用い、ブルトンらを批判しながら、アポリネールのレヴェルにもどる主張をとなえはじめたのである。したがってブルトンはこの『序文』を草しながら、いわば〈シュルレアリスム〉を奪回するためのポレミックをくりひろげ、『いまこそきっぱりと、…この言葉を定義しておく』必要を感じはじめた。『定義』なるものをふくむ序文はすでに『序文』ではなく、『宣言』に近づいていたといってよいだろう。」(巖谷國士著)そんなエピソードがあって、シュルレアリスムの創始者はブルトンになっていて、彼の仲間たちによって齎されている世界観が、今もシュルレアリスムとして芸術史に刻まれているのでしょう。それにしても文章を読んでいて、迷いが次から次へと生じたのは久しぶりの感覚でした。攪乱の洪水を浴びて、私の頭の中も溶けていきそうでした。
2023.02.09 Thursday
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波書店)の「溶ける魚」の31と32の単元の中で、気に留めた詩文をピックアップいたします。まず単元31ですが、この単元は劇形式になっていて、登場人物サタンの台詞を取り上げます。「わたくしは、みごとにダイヴィングをして人間の意識のなかにもぐりこみ、奇態な偶然、異形の花々、不可思議な叫びなどを、そこにはびこらせました。その日からというもの、父親はもう息子とともにいるだけではなくなりました。父子のあいだの空気の裂け目が、一匹のホタルをとまらせている扇に抜け道をあたえたのでした。各所の工場のなかで、わたくしはありとあらゆる手段を講じて、労働の分割をおしすすめようとこれつとめました結果、こんにちでは、たとえば一個の爪みがきをつくりだすのにも、労働者たちのグループが、昼も夜も、ある者は腹ばいになり、ある者は梯子にのぼって、はたらきつづけることが必要です。そのあいだに、女工たちは野原に出て花束をつくり、他の者たちはせっせと手紙を書きつづっているのですが、その手紙には、おなじ時制のおなじ動詞、おなじ優しいきまり文句が、たえずくりかえされるようになっています。」単元32に移ります。「私たちの最良の時がすごされたのは浴室のなかである。その部屋は寝室とおなじ階にあった。『ナイフで切りたいほどの』厚い水蒸気があちこちにひろがり、とくに洗面台のまわりでは、なにひとつ手でつかむことができないありさまだった。たくさんの化粧用具がわけもわからないままならんでいた。ある日のこと、朝の八時ごろ、なにかしら高次な不安にみたされているこの部屋のなかへと、私たちの身にせまりはじめている神秘な運命をきっと味わえることを期待しながら、まず私がはいってゆき、そこで大きな翼の音と、ついで間髪をいれず窓ガラスのおちる音をきいたとき、私のおどろきはどれほどのものだったろうか、その窓ガラスはいわゆる『オーロラ』の色がきわだっていたが、割れずにのこった窓ガラスのほうは、反対にほんのりと青みをおびていた。」以上で全32篇から成る「溶ける魚」を掻い摘んで記述してきました。これは私独自の感覚による詩文選抜によるもので、ブルトン世界の全てを捉えているとは言い難いものがあります。NOTE(ブログ)を読んでくださっている方々には前後の文脈もなく突如として引用される詩文に混乱された方もいらっしゃったと思います。これは小説ではなく長い詩文によるものなので、私は理解に苦しむ箇所も多々ありました。さらに感性を磨ければ、それに呼応する解釈も可能だったかもしれません。雑駁なNOTE(ブログ)の内容になってしまったことをお詫びいたします。
2023.02.08 Wednesday
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波書店)の「溶ける魚」の26から30までの単元の中で、気に留めた詩文をピックアップいたします。まず単元26です。「私は好んで地上にいるのではない。あなたが子どもの手をとって別荘につれてゆくあいだ、それとも女の腰をだいてよろこばせているあいだ、それとも老人の鬚をつかんで敬意を表しているあいだ、私は私で自分のいつわりの誘惑の布を、非難をよびおこすこの奇妙な多辺形を、稲妻のようにつむいでいる。」単元27に移ります。「むかしむかし、ある堤防の上に、一羽の七面鳥がおりました。この七面鳥は、もうあと何日かすれば真昼の太陽に焼かれてしまうしかなく、そのために堤防の上にすえられているヴェネツィアの鏡のなかに、こっそり自分のすがたをうつして見ていた。するとそこへちょっかいを出したのは人間の手で、これはあなたもうわさにきいていないわけではない野辺の花だった。」単元28に移ります。「市街26の外郭地区であの奇蹟はおこった。私たちの車と反対の方向からやってきて、なにやら不可思議な炎の渦巻模様のなかで私の名前をうらがえしに書きはじめた一台の車が、ついうっかり、私たちの車にぶつかってきたのである。むこうの速度がこっちよりも遅かったかどうか、悪魔のみぞ知るといったところだ。」単元29に移ります。「猟師はこうしてふりかえることもなくフランスの大地のはてまで行きつき、とある峡谷のなかにはいっていった。四方八方に暗闇がひろがり、指の軽率なふるまいは彼に自分の命を気づかわせるほどだった。いくつかの断崖を通りぬけられたのは、ときおりかたわらに花がおちてきたとき、わざわざそれを拾いあげようとしなかったからである。指はそのときくるくると回転しており、狂おしく心をうばうピンク色の星になっていた。猟師は二十歳かそこらの男だった。彼の犬たちは悲しげにあたりを這いまわっていた。」単元30に移ります。「私はいま、見ないふりをしたいときに覗き見するあのやりかたで両手にかくれて話しかけてくるうつろな空気(空気は話すふりをしないように両手のなかから話しかける)に約束をしようとしていたが、しかし、蠟燭はついさっきから笑っており、私の両眼はもはやひとつの影絵にすぎなかった。」今回は以上です。