Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 月を跨いだ1週間
    週末になりました。今週の創作活動について振り返りたいと思います。今週は10月から11月に月を跨いだ1週間になりました。工房での作業が気候の上でもやり易くなってきて、毎日朝9時から夕方3時まで夢中で取り組み、ほとんどルーティンになっています。現在作っている陶彫による新作は、旧作以上に手間がかかるので、今後とも長く工房に留まって制作を続けたいと思っています。月曜日と火曜日、金曜日の昼ごろは近隣のスポーツ施設に出かけて2時間程度水泳をやってきます。水泳の後は、工房に戻って制作をやっていて、この日の制作は筋肉疲労があってなかなか辛いものがありますが、何とか創作に喰らいついて頑張っています。このところ陶土にずっと触れているせいか、手がガサついてきました。今年はハンドクリームを利用するのが早いような気がしています。木曜日の文化の日と土曜日の今日は後輩の彫刻家が工房にやってきて、木彫をやっていました。彼は以前の私と同じ二足の草鞋生活を送っているので、時間的な余裕がないこともあり、制作中はほとんど休憩を取りません。木を彫るのが楽しくて休む必要がないというのが彼の言い分ですが、それもよくわかります。ともかく時間が貴重なのです。珠玉の時間を過ごしていると私も嘗ては感じていたので、昔の自分を見ているような感じがします。今日の私は、乾燥している陶彫の立方体8点に仕上げと化粧がけを施して、窯に入れました。明日は亡くなった叔母の法事があるため、工房での作業が出来ません。そこで明日は窯入れを言い訳にして工房での作業を休むことにしたのでした。久しぶりに工房を休むことで、ちょっぴりホッとしています。私も彼のように制作は楽しくて休む必要がないのですが、気分転換は必要かなぁと思っています。
    「難波一年、そして香櫨園へ」について
    「一期は夢よ 鴨居玲」(瀧悌三著 日動出版)の「難波一年、そして香櫨園へ」についてまとめます。「昭和25年から昭和30年代初め頃までの鴨居一家は、大阪府、兵庫県の間を、転々と間借り生活をしたと伝えられる。」これは姉鴨居洋子(デザイナーとしては羊子と記しています)が勤める新聞社の給与で賄っていたようです。東京の乃村工芸社を退職してきた玲にも、漸く仕事が回ってきました。「田中千代服装学園は、若い女性に服飾デザインを教える機関で、戦前からあり、戦後いち早く復活した。創立者はデザイナー田中千代で、生徒は芦屋及び隣接する兵庫一帯の良家の子女が多く、戦後は時流のニーズに合致して規模を急速に伸ばし、かつては財団法人のちんまりした研究施設だったのが、学校法人の堂々の大組織に拡充、芦屋市大原町の敷地三千坪にハイカラな校舎を擁して、服飾デザインの成果を示すファッション・ショーを学校行事として発足させ、服飾デザイン教育の華やかさを世に強く印象づけていた。しかもなお順調に学園事業が伸びる傾向にあり、玲は、そんな発展期に『ファッション・ドローイング』の講師第一号となったのである。」玲にとって画壇との関わりも大切だったようです。「神戸画壇の様子を、玲は若林和男の口から知った。若林和男は、二紀洋画研究所に学び、『バベル』に属し、バベルの中で最も年が若く、バベルの有力者が二紀の中西勝であることも聞いた。なるほど、神戸はそういう土地柄か。玲は、その時から勃然と神戸画壇への意識が湧くのである。~略~玲が、六甲洋画研究所に入った頃、バベルにも加入した。二紀の中西以外に西村功もこれに属し、行動美術の貝原六一や新制作の誰彼も居て、活発だった。大正一桁から昭和一桁までの年代を集め、若林和男が最年少であることは、前に触れた。またその頃、中西勝は神戸の西代中学で図画教師をしていたが、或時、玲に学校に来て貰い、教室で講和をして貰うと、玲は、動物園の熊のように教壇を行ったり来たりし、『あのですね』を連発して、照れていた。玲は、根ははにかみ屋であるのだろうと、中西は思い、玲の意外な一面を見たような気がした。」表題の香櫨園は玲の住む家の最寄り駅のことで駅の下には夙川が流れていました。
    「文化の日」には文化的な活動を…
    今日は「文化の日」です。文化の日を紐解くと「『自由と平和を愛し、文化をすすめる』ことが趣旨の国民の祝日。1948年(昭和23)制定。46年のこの日公布された新憲法の精神に基づき、平和と文化が強調されているが、この日を祝日としたのは、47年まで四大節の一つの明治節(明治天皇の誕生日)だったためもある。」とありました。自由と平和を愛する日なのに、早朝からテレビでは北朝鮮からミサイルが3発発射され、日本列島の上空を通過したという誤情報も流れ、騒然としていました。迷惑千万なことで、交通の乱れやイベントの一時避難もあったようです。ミサイルにかかる費用を食料に回せば、どのくらいの人々が助かるのか、国家運営の素人の私でも分かることです。でも、今日は晴れる日が多い統計もある通り、相原工房のある横浜市はすっきり晴れて気持ちの良い一日になりました。この日は例年文化的な活動をすると私は決めていて、一日中創作活動に邁進しました。休日なので後輩の彫刻家も工房にやって来て、夢中になって木を彫っていました。私も陶土に向き合っていました。気候のおかげで制作がやり易かったせいか、私も無我夢中になって陶彫に取り組みました。無我夢中と言うのは一瞬でも無我の境地になるもので、陶土しか視界に入らず前後の見境がなくなります。最近の制作ではこんな気分になることがあります。満たされた気持ちになるので、何とも充実感があって、他では味わえないものです。陶彫成形は同じサイズの立方体を繰り返し作っていますが、そこに彫り込み加飾を施すことで、創作意欲を保つことが出来るのです。後輩の彫刻家から「修業ですね」と言われましたが、まさにその通りで、同じものを作り続ける作業は修業そのものです。それだからこそ得られるものがきっとあるはずです。私にしても木彫をやっている彼にしても、生易しい文化的活動ではありませんが、自分を追い詰めたところにある何かを掴みたいと願っているとも言えます。
    「乃村工芸社」について
    「一期は夢よ 鴨居玲」(瀧悌三著 日動出版)の「乃村工芸社」についてまとめます。画家鴨居玲は金沢美専を卒業すると、東京の「乃村工芸社」に入社しました。「乃村工芸社は、戦前に菊人形から発展して博覧会等を手がける展示業者となり、戦後は高島屋のディスプレーを80パーセント請負って、急速に業績を伸ばした。こういう百貨店の催事業務以外に、新聞社の催事も乃村工芸社は始めており、新聞社回りをして注文を取る仕事を乃村長三郎が担当していた。~略~その乃村長三郎が、毎日新聞社事業部の幹部から玲を雇うように頼まれ、またその事業部幹部は宮本三郎と懇意なので、宮本三郎からの玲の就職話を仲介したのであろう、と往時の乃村の課長、課員らは語るのである。」玲の仕事は看板制作であったようです。「制作課長は今村勲である。仕事の上では厳しかった。玲に命じて立て看板を描かせ、うまくいかないと、『お前、絵描きだろ、絵描きが看板くらい描けなくてどうするんだ』と叱言である。玲は、『いや、でも、こればかりは違うんだな、違うんだな』としきりに言い、カンバスに絵を描くのと勝手の違う看板描きに、随分と手こずり、嘆きつつ、しかし素直に努力していた。」挿話として飲酒のことがありました。「酒は、強い方ではなかったとも言うが、よく呑んだ。ドブクロか焼酎か、安酒である。呑み屋は高島屋裏あたりから東京駅八重洲あたりまでの間に、縄のれんの店や赤提灯の屋台があり、そんな処でコップ酒を傾けた。正体無くなるまで呑んで、駅や下宿先まで、上司や同僚らに送られたことも1、2度では利かなかった。~略~絵の能力は、大概の者が認めていた。玲の絵を見た者は、テクニシャンと思った。その暗い調子に、シリアスで深刻なものがあると大概の者は感じるのだった。しかし、日常の行動は、シリアスでも深刻でもない。むしろ、おかしなことの方が多く、時に滑稽でさえあった。」玲の恋愛についても書かれていました。「或る女子社員がB嬢と親しくて、B嬢は『鴨居さんと恋愛しているの』とその女子社員に割と正直に打ち明け、それも相思でなく、B嬢の方が積極的で、一方的であることも告げていたという。そしてまたB嬢は、それから暫くして会計事務所を辞め、その後B嬢の住まいを女子社員が訪れると、既に司法書士とかと結婚していて身ごもっていたそうだから、玲との間は、囁やかれるほどでもなく、特別な処までは至らずに終わったようである。」玲は昭和26年11月頃に乃村工芸社を退社しています。誰にも退社を告げずに挨拶もなかったようで、そんなところが鴨居玲の性格を物語っているとも言えます。
    寒さが増す11月に…
    11月になりました。蒸し暑かった長い夏から一気に冷え込んで、寒さが増す11月になりました。秋の深まりと共に創作活動にも弾みがつきますが、美術館にも出かけて行きたくなる季節です。この季節になると目ぼしい展覧会を探します。ちょっと足を伸ばして首都圏内の美術館にも出かけて行こうと思います。シュルレアリスムの代表格である「マン・レイ」の展覧会が目に留まりました。千葉県にあるDIC川村記念美術館には、私の大好きなジョセフ・コーネルの充実したコレクションがあって、時折見に行きたくなるのです。企画展は勿論のこと常設展にも自分の好きな造形作家がいれば、美術館までの多少の遠さは気になりません。私は素材を扱う彫刻作品でもその背景には詩的世界があると思っています。ジョセフ・コーネルのボックス・アートにはそれが顕著に表れています。詩的世界とはコトバになる前の何か定かでないもの(原型)であって、それを造形美術では形態と色彩で表現しているのだろうと私は感じています。私もコトバで説明の出来ないものに背中を押されて造形を行なっていると感じることがあります。今日も彫刻制作では身体全体を使った土練りやら大きなタタラ作りをやっていましたが、単なる肉体労働とは違うものを感じていました。今月も時間の許す限り陶彫制作に精を出したいと思います。今月は読書でも充実させたいと思っています。現在は画家鴨居玲のノンフィクションの小説を読んでいます。日本人らしかぬ重厚でバタ臭い絵画表現が、前から私は気に入っていて、そこに至る絵画上の動機や表現方法を知りたいと思っています。それとは別に自宅の書棚に面白そうな書籍を見つけました。私は大きな書店に行くと、片っ端から興味の対象になる書籍を複数購入する癖があります。学生の頃は金銭が足りなくて思うように買えなかったので、社会人になってから買い求めた書籍が忘れられて書棚に眠っているのです。バイトで貯めた金銭でやっと買えた難解な書籍は、途中で放り出して書棚の隅で埃を被っていたこともありました。それを最近になって読破したこともあり、また書棚の中に忘れられていた書籍が出てくることもあるのです。今月はそんなことを頭に描いて秋の夜長を過ごすことにします。