2022.06.28 Tuesday
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の「第二部 芸術論の展開」の「3 浪漫主義と日本」を前後半に分けてまとめます。今回はその後半部分ですが、日本浪漫派と称される人たちの考え方を中心に据えています。「ロマン主義をめぐる論議で、岡倉天心に次ぐロマン主義の日本的変容というべきものが、昭和十年三月にその機関誌を創刊した、『コギト』の同人、保田與重郎、神保光太郎、亀井勝一郎らによる『日本浪漫派』の運動ではないだろうか。~略~彼らの理論は、そこから学んだドイツ・ロマン派の思想を日本的精神の風土に移植し、これをもって『前代未だ知らざる切迫の極点に形成され、而して未だ多く常に先代の糟粕を嘗めて去就に迷う』、文学を志す青年たちの新たな指標としようとしたものである。」その中にこんな文章がありました。「日本浪漫派は、今日僕らの『時代青春』の歌である。僕ら専ら青春の歌の高き調べ以外を拒み、昨日の習俗を案ぜず、明日の真諦をめざして滞らぬ。わが時代の青春!この浪漫的なものの今日の充満を心情に於て捉え得るものの友情である。芸術人の天賦を真に意識し、現状反抗を強いられし者の集いである。日本浪漫派はここに自体が一つのイロニーである。」あたかも青春賛歌のような気炎のある展開が想像されますが、迫る時代の風潮によって日本浪漫派は、そもそもマルクス主義からの転向やプロレタリア文学の挫折から生じたものなので、ファシズムへ傾倒していくことになりました。「問題はこうしたドイツ・ロマン主義美学によって理論武装した『日本浪漫派』が、その後次第に対外戦争が激化していくなかで、その多くがファシズムと一体化した、いわゆる『日本主義』イデオロギーへとのめり込んでいったことである。同じくロマン主義が国策に利用されるという、やりきれない事態が、ちょうど合わせ鏡のように、本家本元の同盟国ドイツにも出来している。時代と国境を越えてしばしば発生するこの現象は、もともと民族主義に根ざしたロマン主義の宿痾のようなものである。」今回はここまでにします。
2022.06.27 Monday
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の「第二部 芸術論の展開」の「3 浪漫主義と日本」を前後半に分けてまとめます。浪漫主義と聞くと私には不思議な感慨が込み上げてきます。「日本の近代において、西欧から写実主義、自然主義、印象主義、表現主義などのさまざまなイズムが流入してきた中で『浪漫主義』あるいは『ロマン主義』は、その音訳がそのまま日本語に定着してしまった唯一のものではないだろうか。」私にはセンチメンタルなイメージが付き纏う浪漫主義でしたが、それは与謝野鉄幹曰く「自我独創の詩」を楽しもうとする姿勢があることに尽きるようです。「『文学界』が創刊された頃には、すでに若い世代の意識は一変していた。それまではほとんど知られることのなかった西欧の文学が堰を切ったように、一時にどっと流れ込んで来たのである。しかもダンテも、シェイクスピアも、ゲーテも、バイロンも、ハイネも、それこそさまざまな時代とさまざまな国の文学が後先の関係なしに、一挙に入ってきたのである。その混沌とした状況の中で、これら西欧の文学を貫くキーワードが模索され始める。そしてそこから漠然と見えてきたのが、芸術創造の原理としての『自我』の理念だったのではなかろうか。」浪漫主義文学はこの理念をわがものにしようとして近代化を図ったように思われます。「フランスのロマン主義は、ドイツのロマン主義を誤解するところから始まったというが、日本の浪漫主義は、ロマン主義とは何かをはっきり見定めないまま、いわば見切り発車的に始まってしまったように見える。そもそもの発端においてすら、どのような抵抗物があったのかも判然としないのである。~略~そうした中で、西欧のロマン主義の論理を、確信犯的にわがものにしてしまった思想家がいた。それが岡倉天心である。~略~天心の思想は、かつての西欧的近代の一元的支配から脱却した、多元的な文化の並存という状況において今まさに求められている、アジア的あるいは日本的文化のアイデンティティについての最初の真摯な反省であり、その先駆的主張として、再検討あるいは再評価されなければならないのではなかろうか。」今回はここまでにします。
2022.06.26 Sunday
まだ6月というのに大変な暑さに見舞われている毎日です。横浜でも30度以上の気温があり、空調設備のない工房での作業はなかなか厳しいものがあります。大型扇風機を出してきましたが、多少暑さが凌げる程度で、ここに長く留まっていると体調を崩しそうになります。今日は後輩の木彫家と美大生が工房にやってきて、それぞれ課題に立ち向かっていました。私を含めて3人で作業をやっていると仕事はそれなりに進みます。私は梱包用の木箱作りの追加分をやっていて、創作活動とは異なり、ややもすると意欲は低下していきました。工房には小さな冷蔵庫があり、水分を冷やしておくのには都合の良い電化製品です。冷やした水分を取るだけでも熱中症を免れるのではないかと思います。こうした暑さの中で作業をしていると、私の記憶は忽ち若い頃に戻り、夏休みの間中、あの当時は空調設備のなかった美術室で、汗を掻きながら彫刻を追い求めていた時代に遡ってしまいます。私の集合彫刻は夏の暑さの中で培われてきました。彫刻の動機となるイメージは乾燥した西欧の土地から育まれたものだとしても、陶土を使うようになってから湿潤な日本の気候風土による仕事に取って変わりました。私のやきものによる彫刻は日本そのものなのです。彫刻の立体性や空間性は西欧から得たものでも、日本の詩情に融和して紡ぎ出した私的造形だろうと思っています。酷暑の中の工房で、ぼぅと頭を過ぎった記憶、それは過去からの蓄積であり、今後どうしていくかを方向づけていく道標なのかもしれません。
2022.06.25 Saturday
週末になりました。週末になると1週間を振り返って、今週の創作活動に関することをまとめています。今週は最新作の陶彫部品を2回に分けて焼成したことが特筆すべきことです。窯を焚いている間は工房の電気が使えないので、月曜日と木曜日は窯内の温度確認のために工房に行きましたが、作業はやっていません。木曜日は前日夜にカメラマンに届けていただいた個展案内状を持って、東京銀座のギャラリーせいほうに行ってきました。その際に渋谷へ移動してBunkamuraザ・ミュージアムで開催している「ボテロ展」を見てきました。渋谷はウィークディにも関わらず、人が混んでいて、コロナ渦が落ちついたためか日常を取り戻しているかのようでした。その他の日は、相変わらず工房で作業をやっていました。陶彫部品を収める木箱を13箱作り上げましたが、梱包をしてみるとやや不足していて、もう2・3箱は作らないと全部収まらないことが判明しました。梱包が完成するのは来週になりそうです。同時に最新作の陶彫制作も進めていこうと考えています。私は体力維持のために水泳をやっていて、それが月曜日と火曜日と金曜日の昼11時ごろから13時ごろまで近隣のスポーツ施設に通って泳いでいます。最近は真夏を思わせる気温が続いていて、空調設備のない工房に籠るのが辛いと感じていたので、スポーツ施設に水泳をやりに行くことで、身体としては救われているのかもしれません。水曜日と今日の土曜日は丸一日を工房で過ごしましたが、シャツが汗でびしょ濡れになり、なかなか厳しい環境だなぁと思いました。創作意欲が体力に打ち克って、身体が発する悲鳴が聞こえなくなることが私にはあります。工房から自宅に戻ってくると暫し動けなくなるのが、その証拠かもしれず、久しぶりに今日はそんな実感がありました。もう少し休憩を取る必要があるのかなぁと思っています。明日は教え子たちが来るので、丸一日工房に籠ることになりますが、充分注意をしていきます。
2022.06.24 Friday
昨日、東京渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催している「ボテロ展」に行って来ました。ボテロ生誕90歳を記念して開催されている本展は、現在も生きて活躍する芸術家の中で、ボテロは最長老の巨匠であり、その長年の成果を展示している展覧会なのです。ボテロの世界観は一目で分かるもので、人物も静物も太っています。画面も大きく素描といえども油絵と同じ大きさがあり、あらゆる技法の作品が70点も居並ぶ展示風景はまさに壮観でした。図録にはボテロ本人によるメッセージが掲載されていました。「芸術が普遍的な価値をもつためには、まず地域的、個別的な価値をもたなければならないーこれは私の持論です。画家として歩み始めた頃から、私は自分のルーツ、出自、そして故郷であるコロンビアのメデジンで過ごした子ども時代の現実を、自分の創作活動の主題にしたいと考えてきました。私が描く日常は、記憶に刻まれた田舎の風景です。ただし、私はこの風景を写実的にではなく、ボリュームを強調した世界として描きます。そこでは、あらゆるものが同じ意図と意思をもって描かれます。つまり、ボリュームを表現することで、芸術的な美を表現することを目指しているのです。ボリュームと官能性に対する私のこだわりは、最も初期の作品にも見られ、例えば今回の展示にも含まれる水彩画《泣く女》は17歳のときの作品です。」(ボテロ著)図録には絵画の解説がありましたが、これもボテロが到達した世界観に対するこだわりでした。「1956年、穴があまりに小さくて楽器がずんぐりとして見えるマンドリンの静物画のシリーズで、ボテロはデフォルメ、つまり『形態の高ぶり』の法則を理性的に捉え、これが円熟期の彼の作品の堂々たる効果を決定づけた。静物画が他の絵画ジャンルよりも際立って形式的な探究に適しているのは、その名が示すとおり動かない具象的要素を問題としているからだ。探究していくにあたり、行為や人物の動き、あるいは物語に邪魔されることがない。」(C・ブラスキ著)もちろんボテロの広がる世界は、静物画に留まらず信仰の世界、ラテンアメリカの世界、サーカス、変容する名画に至るまで、どの分野も絵画はボテロそのものでした。名画のボテロ流再現で、私はピエロ・デラ・フランチェスカの「ウルビーノ公夫妻の肖像」に面白味を感じました。これはひときわ大きな画面に男女の横顔が描かれた絵画で、べた塗りで表現した比類ない作品になっていました。これを見ただけでも「ボテロ展」に来てよかったと思いました。