2022.07.23 Saturday
個展は始まれば、あっという間に終わるものだなぁと実感しています。彫刻家一本になった現在、私は個展開催中はずっとギャラリーせいほうに在廊していました。わざわざ東京銀座に足を運んでいただいた方々全員と話が出来て、そこは満足しました。彫刻作品で食べていけないにしても、人との繋がりが持てることに私は改めて感謝しています。考古学者の叔父がやってきて、「発掘シリーズ」を見た後、学者は発掘された出土品の形態や文様を見て、時代や生活様式を解読していくものだけれど、そこに創作を入れて、解読に迷いを生じさせる楽しみに変えてしまうのがこの作品なのかと感想を述べていました。発掘を創作の起点にしている私は、専門家からの視点を大変面白く受け取りました。名のある建築家から、私の作品は売れるようには作っていないと指摘され、それは批判なのか好意的な批評なのか、言われた意味がよく分かりませんでした。個展も17回目となると、最初からずっと見ていただいている方もいて、そうした方々の感想は重く受け止めました。午後6時に運送業者やお手伝いをしていただいているスタッフが集まり、総勢8名で搬出作業に入りました。さすがに皆さんが慣れていて、梱包作業はスムーズに進みました。スタッフの中には図録用撮影日の組立て作業から、搬入搬出作業まで一貫して支援してくれている人がいて、私は大変助かっています。また来年も同じ時期に個展を開催いたします。ギャラリーに来ていただいている鑑賞者との繋がりもそうですが、手伝ってくれるスタッフとの繋がりもあって、私の個展は成り立っています。何度も行き来した銀座と横浜間の高速道路を走りながら、私は毎回手を煩わせている皆さんに感謝を繰り返しました。また来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2022.07.22 Friday
現在、「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)を読んでいますが、この書籍は分厚くて重量があるため、鞄に携帯することが出来ません。横浜の自宅から東京銀座のギャラリーせいほうに通うために別の書籍を鞄に携帯することにしました。「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は、いつどこの書店で購入したものか忘れてしまいましたが、自宅の書棚に眠っていたものを選びました。印象派はどのようにして始まったのか、その起源を探ることは私の興味の対象です。概要として私が理解しているのはエドゥアール・マネによる「草上の昼食」と「オリンピア」のスキャンダルがありました。それがどのように描かれ、大衆からのどんな反応があったのか、時代背景を踏まえた詳細な流れを知らないまま、私は見過ごしていました。絵画の価値基準が変わるときは、人々の冷笑やら摩擦があったはずで、歴史を経た今となっては、そうした動きに納得も出来ますが、当時は当然サロンから落選し、さらに落選者展に出品されても、それだけでは済まない事情があったようです。19世紀の神話的な世界を理想の裸体像の中で表現した絵画では、現実的な世界をそのまま描くことはなく、あくまでも美の基準に則って描くことで、その美しさを競っていました。そうして認められた絵画世界に比べれば、「オリンピア」は何というリアルな裸体像でしょうか。今では当たり前な世界には、どのような運命が待っていたのでしょうか。当時の価値基準を知ることも、現在を生きる私たちにとって、美術史を再考するものだろうと思っています。「彫刻の歴史」と「絵画の黄昏」が今夏、私が読むべき書籍だと決めました。
2022.07.21 Thursday
人生は旅だと達観したように言われるけれど、私にはその実感はありません。強いて言うならば、20代の頃に紀行作家と共にギリシャやルーマニアに行って、遊牧民の村々を歩いた期間があり、そこで創作をしながら生活が出来たら、人生はまさに旅だと私には思えたでしょう。私は30歳で帰国して公務員になり、定住して日々労働を繰り返して現在に至っています。旅の生涯というには余りにも起伏のない人生だなぁと振り返っています。ただし、感受性の高まりは彫刻制作という創作行為によって得られてきたので、内面的には旅をしてきた感覚を有しています。先日観に行った映画「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」は、旅人の生きざまを浮き彫りにした秀逸なドキュメンタリーでした。作家チャトウィンは49年の短い人生の中で、先史時代に興味を持って世界中を歩いて小説を残しました。映画は作家の没後30年で、親交のあった映画監督が、チャトウィンが歩いた道を辿った記録を映像化したものでした。「『放浪者という選択』は、ブルースが若い頃に委託された原稿で、歩くことや放浪に関する持論を書いたものだ。」これに対し監督が応じています。「放浪の生活が消えると、人は定住し、都市生活が主流になる。つまり人類の大部分が技術に支配される。そのせいで人類は今、崩壊しつつあると思う。ブルースは人間の脆さを知っていた。」映画の中でとりわけオーストラリアのアボリジニの生活に焦点をあてた映像に、私は心を揺り動かされました。「彼も私も、歩いて世界を旅した。ブルースは私の警句が気に入っていた。『世界は、徒歩で旅する人に、その姿を見せる』。」主人公ブルース・チャトウィンの登場しない映画は、かえって彼の存在を際立たせ、彼の考え方や詩を謳い上げていました。この映画は日本のミニシアターの草分け的な存在であった岩波ホールの最後を飾る上映作品で、私は岩波ホールにお別れを言うために足を運んだのでした。岩波ホールの54年に及ぶ旅の足跡と終点を、この映画に重ね合わせたように私には思えました。
2022.07.20 Wednesday
昨日のNOTE(ブログ)に新聞に掲載されたエルンスト・バルラッハの彫刻の記事について書きました。その流れで今日は「ルートヴィヒ美術館展」を取り上げます。六本木にある国立新美術館で開催されている「ルートヴィヒ美術館展」は先日見に行きましたが、私の好きなバルラッハやコルヴィッツを初めとするドイツ表現主義の作品が多く来日していました。「ルートヴィヒ美術館は1976年の創設の折より、コレクターであるルートヴィヒ夫妻に敬意を表してこの名を冠している。この美術館が収蔵を誇り、ここを訪れる誰もが、その数え切れないほどの素晴らしい作品、つまり、ポップアートから世界第3位のピカソのコレクション、ロシア・アヴァンギャルド、国際的な現代芸術にまで及ぶコレクションを目にできるのも、この夫妻のお陰と言えるのだ。」と図録にありましたが、私はなかなか日本では見られないドイツ表現主義の作品に関心を持ちました。「19世紀末から20世紀初めにかけてのドイツでは、新たな芸術表現を模索する芸術家グループが生まれ、彼らを支える画廊の活動が活発化した。中でも、1905年にドレスデンで結成された『ブリュッケ(橋)』と1912年にミュンヘンで誕生した『青騎士』は、新時代の芸術傾向を提示した点で重要である。ともに19世紀的な写実主義や印象派的な光学的視覚表現を脱しようとした点は同じだが、前者は、人間がもつ根源的かつ原始的な生命力を激しい筆致と鮮烈な色彩で表現しようとし、後者は、あらゆる芸術に通底する共通項を模索し、その過程で西洋的因習的な造形表現の超過を試みて、一部は非具象的傾向を強めた。」とある通り、原始的傾向や非具象的傾向の作品群に、若かった私は心が湧き立った思いが過ぎります。勿論現代から見れば旧知の作風ですが、その時代の革新性が感じられて、20代にドイツのミュンヘンに降り立った私は、遥々ここまでやってきたという何とも言えない感慨があったのでした。60代になった私が現在でもなお、キルヒナーやカンディンスキーを見ると、自分の原点に還っていくようで、自分が表現主義に引き寄せられた理由をもう一度確認したくなるのです。コロナが落ち着いたら、ドイツやオーストリアを再訪したい願望に駆られた「ルートヴィヒ美術館展」でした。
2022.07.19 Tuesday
今日の朝日新聞夕刊に掲載されていた記事に目が留まりました。タイトルは「穏やかな視線 人間とは」とあって、近代ドイツを代表する彫刻家エルンスト・バルラッハの「うずくまる老女」の大判の写真がありました。先日見に行った東京六本木の国立新美術館で開催中の「ルートヴィヒ美術館展」に「うずくまる老女」が出品されていて、以前からバルラッハが好きだった私は、形態の隅々までじっくり堪能してきました。新聞記事の冒頭の文章を引用します。「ブロンズや大理石が好まれる近代彫刻において、中世ゴシック彫刻に影響を受け、当時廃れていた木彫を復活させた。」とあり、バルラッハは穏やかで朴訥な造形を作り続けていたようです。「バルラッハは1906年、弟を訪ねて第一次ロシア革命直後の南ロシアを旅する。芸術家としての方向性を模索していたこの頃に出会い衝撃を受けたのが、経済的政治的混迷の中で貧困と苦悩にあえぎながらも懸命に生き抜く人々の姿だ。すべての人間は苦悩する存在だとして、『人間』をテーマに生涯、その生命力と諦観が入り交じる表現を追求した。~略~ナチ政権が始まった33年、この老女像は作られた。果たして視線の先にあるものは。バルラッハは『屍の魔女』という別の名も与えている。」屍の魔女とは悲惨な時代を精一杯皮肉ったもので、私は深い宗教性を感じています。内面の強さが現れている「うずくまる老女」に私は暫し時間を忘れて見入ってしまいました。なお、この木彫は木材から直接彫られたものではなく、石膏で模型を作って、それをもとに造形されたようで、作り方は塑像に近いと言えます。いかにも西洋の造形方法で、これは日本の仏像作りとはまるで異なっていて興味深いものがあります。