2022.08.07 Sunday
週末のNOTE(ブログ)には、創作活動に関わることを書いています。現在私が進めている彫刻作品の素材はやきものです。つまり陶彫です。つき合いとしては30年以上にもなり、扱っている陶土は複数の種類を割合を決めて混合していますが、30年以上ずっと同じ割合で作っているのです。私の作品はやきものと言っても釉薬をかけず高温で本焼きをしているため、土肌の効果や釉薬の流れに景色を見ることもありません。そこが陶芸とは違っていて、所謂やきものの情緒的な良さを否定している面もあると思います。私にとって陶彫は単なる彫刻の素材であって、それ以上ではないのです。焼成が終わると、私の陶土は錆びた鉄のような雰囲気を齎せますが、鉄で作るよりも土特有の暖かさを感じさせてくれて、そこが気に入っている要素です。錆鉄であれば時間が経つと、錆が鉄そのものを腐食させていきますが、陶彫であればそれはありません。しかも鉄で溶接したり、鋳造したりすれば相当な手間がかかるところを、陶彫ならそこまで手間がかかりません。ただし、陶土とのつき合い方で難しいのは制作途中で長く放置できないことがあります。石や木や金属ならずっと置いておいても素材が変容することはありません。そこへいくと陶土はまさに生きもので、乾燥具合によって造形が不可能になります。私の造形方法はタタラと紐作りの併用で、タタラは若干乾燥をしていないと、立ち上げることができませんし、裏面補強する紐は乾燥してしまうと貼り付けることが出来ません。畳大のタタラを作った後、ビニールで覆いますが、どのくらいの湿り気が丁度いいのか、自分の感覚に頼らざるを得ません。裏面は櫛べらで削って、そこにドベと呼ばれる陶土を水で溶いた接着剤を塗り、陶土を紐状にしたものを貼り付けて補強していきます。彫刻としての造形をする上で、やきものとしての職人作業が必要なのです。陶土の柔らかさは作品のどこに使うかで微妙に変わってくるのです。そんなことを思いつつ、今日は汗を流しながら土練りとタタラ作りをやっていました。
2022.08.06 Saturday
週末になりました。いつものように今週を振り返りますが、今週の午後はスケジュールが詰まっていました。新作への取り組みがまだ多忙になっていないことが、救いになっていました。月曜日は工房へ行かず、午前中は家内の叔母の告別式があり、午後は歯科治療に行っていました。水曜日の午後は横浜のミニシアターに映画を観に行きました。木曜日の午後は亡母の実家に行っていました。亡母の実家は全てを取り壊して、そこに集合住宅を建てているのです。私の自宅からそう遠くに離れていないので、車で通るときによく目にしていて、今回はまだ内装が出来ていない段階で、業者から見に来て欲しいと言われていました。亡母の実家は誰も住んでいない状態で放置するのは良くないかなぁと考えていて、私が集合住宅に建て替える決断をしたのです。それは私にとって大きな決断だったと思っています。そこは先祖代々住み続けた旧家だったし、私が生まれ育った家だったので、いろいろな思いが交差しましたが、資産の有効利用を考えた結果です。金曜日の午後は4回目のワクチン接種に、横浜のみなとみらいにある大規模接種センター(ハンマーヘッド)に行ってきました。今週の午前中は工房に通って、新作の陶彫制作に励んでいました。真夏の蒸し暑い工房では、制作は午前中にやろうと決めています。今は焦るときではないけれども、毎日少しずつ制作を進めていくことが私のやり方です。今日は8月最初の週末ですが、ワクチン接種の後遺症を考えて、一日休みを取っています。ただ体調不良はなく、とくに問題はなさそうですが、今日はゆっくりすることにしました。
2022.08.05 Friday
新型コロナウイルス感染症の拡大が止まりません。私の住む神奈川県も感染者の数が更新されていて、有難くない報道が連日続いております。もう3年も新型コロナウイルス感染症に翻弄されているのかと思うと、先の読めない事態に気持ちが落ち込みます。私の最後の教職生活は、新型コロナウイルス感染症のせいで哀しいものになりました。とりわけ校長としての判断に苦しむ時もありました。何故こんな時に校長という立場になったのか、今思うとかなり苦しんでいたはずです。でも当時は懸命になって生徒や教職員の命を救うことに精一杯で、何をどうしたのか記憶にありません。当時中学生だった子が新型コロナウイルスに感染して、その状況を知らせてきました。従兄弟家族も感染して自宅療養を続けています。愈々感染症が私の近くにまで迫ってきたなぁと感じているこの頃ですが、日本は制限を設けずに、経済活動を回しながら対応する道を選んでいます。私たちに4回目のワクチン接種券が届いたのは数週間前ですが、家内がその場で連絡を取り、今日の夕方に4回目の接種を受ける予約を取りました。私たちは過去3回は東京大手町の自衛隊大規模接種センターに出かけていましたが、今回は横浜のみなとみらいにある大規模接種センター(ハンマーヘッド)へ行きました。ワクチン接種そのものはあっという間に終わるのですが、明日の後遺症が心配です。そのため今朝は工房に行って、明日は終日休めるようにしてきました。予定していた陶土の練りとタタラの処理は来週に回します。家内も和楽器演奏は入れていないみたいで、明日ずっと休んでいられるように予定を組みました。それでも新型コロナウイルス感染症は治るわけではなく、感染しても重症化しないだけなので、それでも多少でも安心を手に入れたいと私は思っているのです。
2022.08.04 Thursday
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第1章 抹殺されたスキャンダル」についてまとめます。本書は西洋絵画において近代から現代へ価値観が変わっていく時代をピンポイントで取り上げ、詳細な論考を練り上げています。「マネとくればスキャンダルという一般常識の観念連合の最初に位置付けられてきた作品といえば、1863年《草上の昼食》。そして、1863年といえば、フランス近代美術史に通じた読者なら先刻ご承知の、かの歴史に残る『落選者展』の年、と来るのが普通だろう。この年のサロンー当時の画家にとって唯一公式な作品発表の機会ーには、五千点を越える出品応募があったが、審査は峻厳を極め、入選したのは(一説には)わずか2783点。落選した画家たちの非難を懐柔すべく皇帝ナポレオン三世の肝入りで『落選者展』が開催され、これを出発点に画家たちはこの先、国家権力から自由と独立とを求めてゆくことになる…これが、ごく最近まで美術史の概説書に見られた常識的な記述である。~略~はたしてマネの『落選者展』におけるスキャンダルという神話には、その裏返しとなるもうひとつの逸話が隠されている。問題となるのは、マネよりも一世代年上で、《オルナンにおけるある埋葬の歴史画》(1849-50)、《画家のアトリエ》(1855)を初めとする作品で度々スキャンダルを招いていた写実主義の画家ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)だ。~略~《法話の帰り道》なるこの作品、1863年のサロンに落選したのみならず、『落選者展』をめぐるスキャンダルからもいわば『落選』した、という不思議な経歴をもつ、まことに稀有な作品だからである。~略~そこに描かれているのは、真っ昼間から天下の公道で泥酔して醜態を晒している、卑俗にして滑稽なる田舎の坊様たちの姿であった。~略~1863年の『落選者展』でかたや『落選者展』からの落選という不思議な事態を招いていたクールベと、それとは反対に、当時はさして醜聞ではなかったはずの作品がやがて歴史的なスキャンダルに祭りあげられもしたマネ。このふたりが1860年代のフランス絵画史で演じた虚々実々の鍔ぜり合いは、とりわけ裸体画をめぐる醜聞に集約されるだろう。ふたりを比較することは両者の特質を浮き彫りにするだけではなく、両者を隔てる歴史の亀裂をも露呈させつつ、そもそも当時における裸体画という理念に対してふたりの挑発ぶりがいかなる動揺を齎したのかを測定するうえでも有効な作業となる。」今回はここまでにします。
2022.08.03 Wednesday
先月末に東京神保町にある「岩波ホール」が閉館しました。私にとって重要なミニシアターを失いましたが、横浜には「シネマ ジャック&ベティ」があって、救われた気分になっています。その横浜のミニシアターで香港の人々が翻弄され弾圧を受ける様子を描いた映画「Blue Island 憂鬱之島」を観てきました。これは家内を誘わず私一人で行ってきました。香港と言えば2019年の逃亡犯条例改正問題で巨大化したデモが記憶に新しいところですが、第二次大戦後、大陸から流入した難民が人口の多数を占める香港という独特な都市には、現代史にその存在を残すほど多くの暴動やデモが繰り返されてきました。1967年の香港イギリス政府に対する抵抗は六七暴動と呼ばれ、また文化大革命が始まると70年代には文革による下放政策から逃れるため、多くの知識青年が監視の目を逃れ、自由の象徴である香港へ泳いで渡りました。天安門事件では香港から多くの人々がデモに出かけ、そこでは中国の人民解放軍が武力制圧を行ないました。そして最近の雨傘運動と呼ばれたデモがありました。香港人の強いアイデンティティの前では、中国の政府は「香港国家安全維持法」という法律を制定して強権手段で応じたのでした。監督インタビューの中でC・ジーウン氏はこんなことを言っています。「このプロジェクトのテーマは、ある特定の場所や時間に限られたものではなく、『香港人の集団的アイデンティティ』を定義する壊れない鎖、つまり市民的主張の連続性を探求することです。」映画にはドキュメンタリーとしての映像と役者が演じる昔の映像が同居しています。つまり実在する人物を役者が補っているという按配です。こうした社会に対して強いメッセージ性を有する映画は、中国はおろか香港でも上映されず、クラウドファンディングで日本から支援があったおかげで、私たちはこれを観ることができるのです。私は日本の多くの若い世代がこれを観て、隣国の社会情勢を知るべきだと考えます。世界はロシアのウクライナ侵攻に象徴されるように、資本主義国家と社会主義国家の鍔迫り合いにあり、社会主義国家の強権体制が目に余る事態になっています。香港の問題は台湾の問題でもあると私は察していて、民主主義を守るために日本も行動すべき時が訪れると感じています。ミニシアターで上映される映画は、そうした時事問題をいち早く取り上げて、私たちに現在地点を考えさせる重要な役割を担っています。私がミニシアターを大切にしているのは、そんな思いがあるのです。