Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 9月をどう過ごすか?
    9月になりました。今日は沖縄あたりに台風があったために、横浜でも天候が急変して激しい雨が降ったりしていました。陽が射すと猛暑がぶり返してきて、工房にいるのが辛いと感じました。涼風が立つのはいつになるのか、創作活動に拍車をかけたいと考えているところを、なかなか快く制作が出来ない状況が続いています。現在作っている陶彫は、同じ形態を坦々と作るのが新作のコンセプトなので、盛りあがることもなく、また盛りさがることもありません。只管立方体を作っているだけです。日記の如く継続することが全体計画なので、これに従って作るより他にありません。よく1ヶ月の初めに、今月はこんなふうにやってみたいとNOTE(ブログ)に書いていますが、来年発表を予定している新作は、同じ作業の繰り返しを自分に課しているので、焦らず休まず継続することだけを考えて作業をしているのです。ただし、窯出しをしてそれなりに同じ形態の作品が増えていくと、空間に占める迫力は徐々に出てきていると感じるようになりました。まさに労働の蓄積です。9月になってメリハリをつけるとすれば美術館や映画鑑賞以外には考えられず、鑑賞には積極的に出かけていこうと思っています。創作活動一本になったら、もっと美術館や映画館、劇場に行けると考えていたのですが、教職に就いていた頃と変わらない鑑賞ペースなので、それがやや不満です。実のところ、陶彫制作やRECORD制作以外の表現活動も考えていたのですが、それも出来ていません。それでも日々忙しく過ごしているので、退職後に抱いていたイメージとは違うものだなぁと思っています。新しい表現活動は何かきっかけがなければやり出せないと実感しました。とりあえず今月は鑑賞を充実させるのが目標です。
    連日酷暑の8月を振り返る
    今日は8月の最終日です。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、毎年8月は酷暑が続いているようで、昨年は酷暑に加えて多雨のことも書かれていました。今年は横浜で風雨による被害は少なかったものの体温ほどに上がった気温は変わらず、連日汗まみれで制作をやっていました。今月は31日あるうちで工房に通ったのは27日間ありました。横須賀や東京に展覧会を見るために出かけた日や叔母の葬儀、4回目のワクチン接種のために大事を取った日などが工房に行かなかった日でした。創作活動に休憩を取らない私の性癖は健在だったと言えます。ただし、制作時間は気候の良い時期に比べると短縮していて、その分身体を休めていました。加齢のせいとは思いたくないのですが、やはり疲労は溜まるようで、一日6時間作業をした日は身体が動きません。夕方自宅のソファに横になったまま起き上がれないことがありました。胃腸の調子も悪くなったときもありました。これは教職にいた時も同じで、身体が悲鳴を上げているのかなぁと思っています。創作活動は精神的に自己を追い詰めていくので、単純な労働でないことは百も承知ですが、不思議な魔力があって制作中は至って元気なのです。ましてや素材を相手取っている彫刻制作は、魔物が棲んでいるとしか言いようがありません。今月の鑑賞は、まず2ヵ所の美術館に出かけました。「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」展(横須賀美術館)、「ゲルハルト・リヒター展」(東京国立近代美術館)で、仏像と現代アートというまるで異なる世界に触れてきました。そのどちらも自分にとっては感覚に刺激を齎すものでした。映画も2本観てきました。「憂鬱之島」、「アウシュヴィッツのチャンピオン」(両方ともシネマジャック&ベティ)で、所謂ミニシアターで扱っている作品で、どちらも社会的な背景を考えさせるものでした。その他では前述した叔母の葬儀があり、ワクチン接種があり、突発的なものとしては亡父の残した植木畑にスズメ蜂が大きな巣を作っていたので、業者を呼んで駆除してもらいました。駆除代は相当かかりましたが、私の住んでいる横浜市旭区は補助費が出ないことが分かってショックを受けました。今月の読書は彫刻の歴史をテーマにした書籍と、印象派の事件をテーマにした書籍を読んでいて、これは来月に継続いたします。
    「工業と重金属」について
    「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は17番目の「工業と重金属」について、留意した台詞を取り上げます。「ロダンの石膏像の使い方はじつに自由奔放だ。助手たちに粘土の原形を渡して『これで手を30個つくってくれ』と言う。そうしてできあがったものを使って、彼は寄せ集めをつくるんだ。~略~ロダンのそういう作品からは、アンソニー・カロのような芸術家たちが1960年代に工業製品の破片を使ってつくった彫刻を思い浮かべざるをえないね。彼らのような新しい世代が出てくるずっと以前から、ロダンは身体を断片化して、構築的なシステムの部品として扱うことができたように思える。連続的な繰り返しや、ひとつの部品を他の部品と結びつけるさまざまな方法、そして身体をばらばらにしてから再び別の新たなものを創造する能力に関する限り、ロダンはカール・アンドレやドナルド・ジャッドを先取りしていた。」(A・ゴームリー)「ブランクーシははじめてパリにやってきて短期間、ロダンのアトリエで助手のひとりとして働いたことがあります。でも2ヶ月で『大樹の下ではなにも育ちはしない』と言ってそこを出てしまいました。~略~19世紀後期のバルカン諸国について言うと、ブランクーシの生地、ルーマニアのホビツァのような村での暮らしは、本質的には中世と変わるところがありませんでした。少年時代の彼は羊の世話をして暮らしています。そこでは人々の暮らしが求めていたのが、金属製の工業製品よりもむしろ手でつくることのできる品、とくに木製のものだったのです。~略~当時パリといえば芸術の面でもテクノロジーの面でも、地上でもっとも進歩した場所のひとつです。彼の作品は、生き方でありつくり方でもあるこのふたつ、つまり芸術とテクノロジーをつなぐもの、あるいはそれを分かつものに関わっています。」(M・ゲイフォード)ここで工芸に話題が及びます。「芸術と工芸のあいだには単純な違いがある。芸術は世界に疑問を投げかけて、それゆえに人の生活をより複雑なものにする。一方で工芸はその生活をもっと簡単に、より過ごしやすくするためにある。いうなれば工芸は人間が生活するうえで必要とするものと、周囲の環境とを和解させるものだ。それは快適さや、厳しい環境から守ってくれる住処、身体を支えてくれるものなどと関わっている。けれども芸術は物事を複雑にし、心のなかに思考や感情の別々の方向性を提供するものであって、だからこそ世界に対峙するものでなければならない。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。
    「収集と選択」について
    「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は16番目の「収集と選択」について、留意した台詞を取り上げます。「ヨーロッパでは啓蒙思想の時代になって、人々は意識の向かう対象を分類し、収集し、そして展示するようになった。つまり眼に見える世界を構成する動物、植物、そして鉱物などがコンテンツになったんだ。こうした標本の配置ー『好奇心の柵』として知られるーがされることで、そこから自然人類学、解剖学、地質学、天文学、地理学、そして僕ら人類の進化についての理解が生まれた。」(A・ゴームリー)「20世紀後期から21世紀初頭にかけて、相当な数の芸術作品が、このようにすでに世界にあるものからなにかを選びとる、という営みに依拠してきました。つまり『取得物』と呼ばれる方法です。芸術家たちはこれを、かつてはもっぱら科学標本や古典古代の遺物に用いられていた手法にしたがって、陳列しました。」(M・ゲイフォード)現代に通じるアートになる過程で大きな価値転換が行なわれた事件がありました。「20世紀のはじめに、この収集と展示の対象となるものの範囲を根本から拡大するという、知の一大跳躍を成し遂げたのがマルセル・デュシャンでした。そのとき『既製品』ーありふれた日用の工業製品である雪かきシャベルや小便器、自転車の車輪などーを選び出した彼は、それらを芸術作品とし、つまり自作の芸術作品と定義しなおし、そのまま『レディメイド』と名付けました。このときデュシャンの打った手の極意というのは、事物をこの世界の一般的な時間と交換の流れから引き上げて、ギャラリーといういわば建築のかたちをした額縁のなかに持ち込み、さらにはガラスのケースのなかに展示してしまうことです。」(M・ゲイフォード)「芸術とは、大理石の塊から不要なものを取り除いて理想化された物体として磨きをかけることではなく、作者の選択のことである、と。デュシャンが持ち出したのはそういう命題だった。たしかに、美術館の登場とそれに伴う美術のカテゴリー化や制度化から切り離して、デュシャンと彼の考えた策略について考えることはできないね。~略~芸術作品としてのあり方が、作品そのものの主題になった。言い換えれば『美術作品とはなんなのか?』という問いはより難解なものとなり、その答えに当てはまりそうなものの範囲が一気に広がったということなんだ。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。
    週末 TVドラマ「無言館」雑感
    昨晩、何気なく見ていたテレビ番組で興味のあるドラマをやっていました。日本テレビの特別番組を通常なら私は見ていませんが、昨晩のテレビに映し出された女性の裸体画はどこかで見覚えがありました。こうしたスペシャルドラマは、感動の押しつけがあり、ましてやジャニーズが主演しているとあれば、自分の性に合わないものと決めつけていました。それでも昨晩のドラマに目が留まったのは、内容が戦没画学生慰霊美術館「無言館」を扱ったものであったからです。「無言館」は経営者の窪島誠一郎氏に協力した画家野見山暁冶氏の随想により、その存在を知り、過去2回にわたって私は長野県の「無言館」を訪ねているのです。これはドキュメンタリーではありませんが、絵画の収集に関しては実話であり、窪島氏を演じた浅野忠信さんや野見山氏を演じた寺尾聰さんが、秀逸な演技で人物像を際立たせていたのではないかと、私は察しています。遺族の無念や戦没した学生に対する愛慕も見事に描かれていて、ベテラン俳優陣の面目躍如とした演技が光りました。私も美術学校で学んだ学生として、時代が時代なら展示に値しない未熟な作品を残して旅立ったかも知れず、「無言館」を訪れたときは、何ともやりきれない思いに苛まれました。2回目に訪れたときは、前回より気持ちは少し落ち着いていましたが、戦争に向う学生がどんな思いで作品を作っていたのか、どうしてこんな静かな世界を粛々と描けたのか、その境地にならなければ分からないところが今でもあります。私は戦後の平和な時代に生まれ、今も命が尽きることもなく創作活動を続けています。この平和というのが決して通常のことではなく、先人たちの克服なくして成し得なかったものであることが、世界の情勢を見ればよく分かります。戦争が奪った多くの犠牲、そして若くして散った命が語る数々の遺作における無垢な魂。「無言館」は無言であるが故に、私たちはそこで多くの啓示を受けるのです。