2022.09.11 Sunday
今日はいつもより気温が低かったので、朝から夕方3時過ぎまで工房で過ごしました。午後は工房に蒸し暑さが篭るようで、身体には辛い時間帯でしたが、やらなければならない作業があったので、暫し時間を忘れて取り組みました。現在やっている新作は陶彫による立方体で、同じ大きさで作っています。これは幾何形態による無機質な立体ですが、それぞれの立方体には異なる文様を刻んでいるのです。所謂彫り込み加飾で、私の彫刻作品には欠かせない存在です。彫り込み加飾は、以前NOTE(ブログ)にも幾度となく書いてきていますが、表面に浮き彫りを施しているのです。鉄筆で下書きをして、掻出しベラで表面を微妙に削り取って、文様が浮き彫りになるようにしているのです。これは丸彫りとしての三次元彫刻ではなく、寧ろ工芸的な作業です。私は抽象形態を扱っているので、彫刻としての立体は単純なものです。無機的なものでも有機的なものでも単純な形態には変わりありません。これは学生時代に習作していた人体塑造に比べれば、はるかに単純な立体ですが、そこに変化をつけているのが彫り込み加飾なのです。その文様には彫刻作品の個性を決定し、空間を演出する重要な役割があります。私は加飾、つまり装飾的要素においては、自分が海外にいた時に影響を受けました。その僅かな高低差が立体を覆うときに生まれる高度な雰囲気が、彫刻で主張する意思を補っていくのです。極めて感覚的なものなので、私には上手く説明できませんが、装飾が全体の立体を引き締め、さらに強調する要素があるように私には思えています。私が住んでいたウィーンには20世紀初頭に活躍したオットー・ワーグナーの装飾を有効利用した建造物や、ウィーン工房が内装を手掛けた空間があり、それらが常に私の脳裏にあるのです。もうひとつ、私が現在作っている新作に欠かせないものがあります。それは立方体一つひとつに日付を刻印しているのです。これは平面RECORDの発想です。陶彫に日付を彫り込んで焼成しています。1年間これをやり通せば365点で構成する作品になるのです。
2022.09.10 Saturday
週末になりました。週末にはその週を振り返ることをしています。今週も月曜日から土曜日の今日まで、毎日午前中は工房に籠って陶彫制作に明け暮れていました。これは退職前の勤務のように継続しているので、自由の身になった現在でもとりわけ辛いことはなく、一日のルーティンになっているのです。しかも新作は同じサイズの立方体を作り続けているので、作業にメリハリがなく単調な作業を繰り返しています。陶彫は素材そのものに神経を使うために単調な作業でも飽きることはありません。これは労働の蓄積であり、陶土との対話であると自分に言い聞かせています。それが新作のコンセプトなのです。今週は午前中は陶彫制作に精を出していましたが、午後は月曜日と火曜日、金曜日は近隣のスポーツ施設に水泳をやりに行っていました。これも決まったスケジュールで動いています。水泳を始めた若い頃は、近所の仲間とマスターズ大会に出場するために頑張っていましたが、今は体力を維持するためにやっています。マスターズ大会に出ていた頃は、まだ教員として学級担任も部活動顧問もやっていたので、泳力を伸ばすために夜間のコースを利用していたのでした。あの頃はよくぞ身体を保っていたものだと我ながら感心してしまいます。今週の水曜日の午後はミニシアターに足を運び、香港の民主化運動を描いた映画を観てきました。その他では火曜日に「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)を読み終えたことです。これは持ち運びができないくらい分厚い書籍で、毎晩面白がって読み耽っていました。私の読書癖は若い頃と現在ではまるで違ってきています。若い頃は手当たり次第書籍を購入して複数冊を乱読していました。どこまで読んだか忘れるくらい多くの書籍を抱えていて、途中で放棄してしまったものもありました。それらが今も書棚に埃を被って眠っています。今は一冊ずつ丁寧に最後まで読破していて、その章毎にこのNOTE(ブログ)に上げています。現在は「彫刻の歴史」を読み終えて、とつおいつ読み始めていた「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)を再び丁寧に扱っています。そんなふうに書いていくと、今週は充実した1週間だったと言えます。
2022.09.09 Friday
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第2章 死亡記事の闘い」の「1 反響と回顧の視線」についてまとめます。1883年にマネは50歳で亡くなりますが、逝去当時はマネに対し、どんな位置づけがされていたのでしょうか。現在では「草上の昼食」や「オリンピア」が美術史の教科書に掲載される扱いになっていますが、当時の風潮ではそれらの絵画の革新性に価値は見出されてはおらず、サロンの落選展では論争の的として注目されてきたのでした。当時の新聞にもこのような批評が載っていたようです。「この、かなり奇抜なタブローは、ちょっとした騒ぎを起こした。ほとんどの人にしてみれば、それは嘲笑の的であった。この画家は、ぜひとも公衆の注意を惹くことによって日の目を見ようとしているとして非難された。それでも、より偏見の少ない審査員はこの作品の中に、まだどちらに伸びるのか定かではないが、まことの才能の萌芽を認めた。」(「指針」「覚醒」「ラ・マルセイエーズ」など)時代の変遷とともに芸術の価値観も変わっていくもので、私たちが美術史で学習し、現代アートとして認識している作品も、発表当時は批判されるか無視される状況にあったと考えられます。当時の評論家が批判している文章を読んでいると、旧態依然とした考え方に啞然とするのですが、自分もその時代に生きていたら、果たしてどうだったでしょうか。その中でも一歩先を見据えた評論家の文章にホッとするのは私だけではないはずです。「美術学校の一切の伝統と縁を切ったマネは、新しい手法を使って個性を発揮した。マネは慣習による単調さに対抗して、自らの憧れと誇りを頑として犠牲にしようとはしない。かの独立派に共通する運命を蒙った。彼は笞打ちの刑に服したのだ。しかし彼は気落ちすることはなかった。奴は強者だったのだ。情熱に満ちたアルキビアーデス〔ソクラテスの反抗的な弟子として知られる〕として、彼は笑う者を笑い返し、大御所が発した服務規律遵守命令に対して、陽気で風変わりな理論を使って反抗した。」(アンリ・フラマン)今回はここまでにします。
2022.09.08 Thursday
昨日、横浜にあるミニシアターに香港の映画監督が作ったドキュメンタリー映画「時代革命」を観に行きました。本作は香港であった大規模デモを命懸けで記録したもので、撮影現場になった香港ではこの映画の上映はできません。図録から内容の概略を引用します。「2019年、香港で民主化を求める大規模デモが起きた。10代の少年、若者たち、飛び交う催涙弾、ゴム弾、火炎瓶…この最前線を中心に、壮絶な運動の約180日間を多面的に描いたのが本作だ。カンヌ国際映画祭などでサプライズ上映され、国際社会に深いインパクトを与えた衝撃作が、日本で公開される。自由に明日はあるのか。デモの発端は、犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする逃亡犯条例改正案が立法会に提出されたことだった。運動が盛り上がってゆく2019年6月ごろからの動きを追う。参加者たちは『逃亡犯条例改正案の完全撤回』『普通選挙の導入』などを五大要求として掲げ、6月16日には、香港の人口の約3割を占める約200万人(主催者発表)に膨れ上がった。男子学生が力説する。『僕らは(時代に)選ばれたのではない。僕らが選んだ』」というのがデモに至った概略でした。映画を観ていくうちに、デモの中身が「和理非(平和・理性・非暴力)派」と「勇武(武闘)派」があることが分かりましたが、それらが「水になれ」という概念で臨機応変の活動をしていました。デモに中心となる組織がなく、それぞれが主体的に参加している様子が映し出されていました。ドローンによる提供映像もあって、200万人という規模がどれほどのものか、私自身の目に焼きつきました。題名になった「時代革命」とはデモ隊の旗「光復香港 時代革命」から採ったものです。デモを取り締まる警察は、デモ隊に向って発砲も厭わず、とりわけ大学構内での学生と警察との鬩ぎ合いは、閉塞感が漂いつつ、その熾烈な戦いは圧倒的でした。これは民主主義を守るための抗戦であることは、映画を観ている観客全員が知っていて、その後の香港の中国本土に従わざるを得なかった状況も、私たちは知っているわけです。私もこれは現実的な歴史の一幕で、ドラマのような筋立てはないことは承知していました。翻って私たちの日本ではこれは対岸の火事なのか、自由な生活を守るために人はどのような方法や手段に訴えるのか、本作を観ると民主主義がどんなに貴重なものか、平和ボケしている私でもよく分かりました。世界情勢が不安定な今こそ、もう一度本作で主張されていたことを心に刻みたいと思います。
2022.09.07 Wednesday
今日の午前中は相変わらず工房に籠って陶彫制作に精を出していました。陶彫制作は毎日取り組んでいて、あたかも勤務をしているように時間を決めてやっているのです。陶彫制作はその日の体調に左右されることもなく、自分の中ではあたり前の日常として過ごしています。最近はやや涼しくなってきていますが、作業は午前中だけにしようと思っていて、今日あたりは午後どこかに行ってみたくなり、映画でも観に行こうかと思案していました。ネットで調べてみると横浜のミニシアターで、自分の興味関心のある映画を上映していたので、上映時間に合わせて夕方自宅を出ることにしました。私が社会情勢を扱った映画が好きなせいか、娯楽性が少ない映画を家内は遠慮する傾向にあり、今日は私一人でミニシアターに出かけました。今日観た映画は「時代革命」で、先月観た香港のデモをテーマにした映画「憂鬱之島」に続くものと考えられます。「憂鬱之島」では「香港人の集団的アイデンティティを定義する壊れない鎖、つまり市民的主張の連続性を探求すること」を主題にしたドラマ仕立てでしたが、「時代革命」はすべてドキュメンタリーで、実際に起こった場面を繋いで、まさに香港人の集団的アイデンティティを定義する壊れない鎖を浮き彫りにする凄まじい迫力に満ちたものでした。映像を観ていると、スタッフの面々にスプレーが直接顔にかかったり、放水車の水を浴びたり、催涙弾を受ける場面もあり、カメラを持ちながら転倒するところは、私たち観客をデモの渦中に連れ込んでしまっていました。日本のテレビ報道ではこれほどの状況は描かれていなかったことを知り、「逃亡犯条例改正案」に対し、抵抗を続けた香港の市民が、如何に戦っていたのかを具体的に理解することができました。衝撃の158分を息を殺して観続けた感想は、また別の機会に改めて書こうと思います。これは日本のすぐ隣で起こっている事実で、逮捕されている若者たちは、通常なら普通の高校生や大学生だったのです。もちろん私の同年代の人たちもいて、一般人の200万人が戦った記録と言えます。