2022.12.09 Friday
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「哀悼と懐疑のフレスコ画」で画家ジョットについての論考です。もうひとつは「背景への誘い」でレオナルド・ダ・ヴィンチについての論考です。ダ・ヴィンチは前後半に分けて論じられているため、今回は「ダ・ヴィンチⅠ」とさせていただきました。まずジョットから始めます。「彼は、当時のすべての画家と同じく宗教画家であり、イエス伝、聖母マリア伝、聖フランチェスコ伝を画題に選んでいたが、しかし伝承上の過去の場面を、何とか現実の出来事のように描こうと試みてもいた。人物の表情に人間味を与えたり、人物の配置、画面の構図に臨場感を与えたりなどして、彼は、過去を今起きていることのように表していたのである。このような現実主義は、その後、より厳密に追求されて、イタリア・ルネサンス絵画の一大特徴になってゆく。”より厳密に”とは、遠近法表現に、よりいっそうの幾何学的正確さを導入するとか、人物の表情に、よりいっそうの運動感、柔軟さを与えるといったことであるが、しかしジョットは、ジョットで、このような現実主義を追究しながらも、同時にこの現実主義それ自体を絶対視せず、厳密に相対化していたのだ。」次にダ・ヴィンチについて取り上げます。「ダ・ヴィンチ家は、代々、公証人を継承してきた家系であったが、祖父アントーニオは無職をきめこんでヴィンチ村に留まり、農地からあがるわずかばかりの収入で満足していた。叔父のフランチェスコも同様である。都会よりも田園を、実務よりも無為を好む彼らの生き方がレオナルドの精神形成には大きかった。自然界の生命に立ち返って人の世を捉える深い態度を彼に培ったのである。」彼は画家ヴェロッキオの許で修行をしますが、彼が請け負った背景表現は秀逸だったようです。「彼自身の最初の作品、つまり若きレオナルドが初めて単独で(もしくは中心になって)制作した《受胎告知》(1472-73頃)よく見てみよう。場面は、この主題を描いた当時の多くの図像に反して、屋外に、自然のなかに、設定されている。そして、左右かなり隔たって配置された天使ガブリエルと聖母マリアの間の背景に、遠く靄のなかに消えてゆく広大な水辺と雄大な岩山が描かれている。最近の図像解釈学は、この背景に当時の聖母マリア信仰の象徴を見出した。すなわち岸沿いに広がる港町は、”海の星”としての聖母マリア、つまり難破した船人たちを救護する優しき港町だというのである。」
2022.12.08 Thursday
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「闇のなかの生命」でロマネスクについての論考です。もうひとつは「魅惑する列柱の森」でゴシックについての論考です。「今日の美術史家たちは、(ロマネスクは)観念を追い求めたと主張する。ギリシャ・ローマの古典美学が目に見える自然界の事物の中に美の形を、その理想形を見出していったのに対し、中世の美学は、自然界の事物を虚構とし、超自然界の精神的内容(例えば神の崇高さ)こそを現実と捉え、美とみなして、その表現化に努めたと主張する。つまりロマネスク美術は、図像を、精神的内容を指し示す象徴記号として描きだすことに努めた。自然界の調和の再現などにこだわらずに、非自然主義的にそうしたと主張するのである。」その背景となるロマネスクの時代について書かれた箇所を引用します。「10世紀末、ロマネスクの時代に入ると、異民族の侵略はやみ、平和のうちに大地の豊饒が農業生産を活気づけるようになる。それに応じ、民衆は『最後の審判』の脅しに圧倒されなくなり、修道士は”遊び”に向かうようになった。柱頭には、ひょうきんな怪物や繁茂する植物が彫り込まれだす。極端な場合には、タンパン(扉口上部の半円形の石壁で彫刻がよく施されていた)にまで植物は生い茂ってゆき、裁きのイエスを取り囲むようになる。」次にゴシックについてです。「ゴシックの発祥の地は北フランスである。1140年代から、パリを中心とするイル・ド・フランス地方の各都市の大聖堂に、ゴシック様式による再建の動きが広まっていったのである。その建築上の特徴は、昇高性をアピールする尖塔アーチの使用、内部空間の広大さ、長大な窓にはめこまれたステンドグラスにあるが、注目すべきは、堂内に感じられる自然影、とりわけ左右の列柱とその頂きから伸びるアーチがかもしだす森林のイメージである。そこからは、開墾の大規模な進行とともに急速に失われつつあった森林へのノスタルジーがうかがえる。」ここでロマネスクとゴシックの相違について述べられた箇所がありました。「キリスト教と異教の融合ということでは地方のロマネスク教会堂もすでにこの傾向にあったのであるが、ロマネスクの自然影は一見して無骨であり、ゴシックの方は洗練されている。この相違は、しかし、都市民の方が美的感覚にすぐれていたということではない。ロマネスクの方が大地の生命とのつながりを密接に、強力に、持っていたということ、ゴシックのスマートさは、大地とのつながりを失った根無し草たちの悲哀、弱さに発していたということなのである。」
2022.12.07 Wednesday
1990年代に旋風を巻き起こしたバスケットボールの漫画「スラムダンク」は、私も虜になっていました。自宅の屋根裏収納には「スラムダンク」全巻があります。その頃の私は教職にあって、勤めている中学校にはバスケ部があり、スポーツとしては身近な存在であったわけですが、寧ろその物語の画力に美術科教員として感心していました。登場する選手たちのエピソードや人間的成長にも惹きつけられていて、いわば往年のファンとして自他共に認めていました。私のような読者は当時大勢いたのではないかと察しています。この漫画の影響でバスケを始めた生徒もいました。それまでのスポーツ根性漫画と「スラムダンク」が異なるところは、チームに万能のスターがいないことで、全員の協調性や不屈の精神を描いて試合に臨んでいたことです。漫画と並行してアニメも放映されていて、毎週それを楽しみにしていました。アニメの画質としては粗さがありましたが、演じていた声優がキャラそのものとなって、画面の中で活発に動いていました。そのイメージが根強く残っていることで、私は新作の映画「THE FIRST SLAMDUNK」を観に行こうかどうしようか迷っていました。今日、映画「THE FIRST SLAMDUNK」を観てきました。結果として私の心配は一気に吹き飛びました。あたかも会場で実際の試合が行われているような臨場感、高揚感があったからです。これはCGによる滑らかな画像によるもので、緩急織り交ぜた選手の動きに時間が経つのを暫し忘れました。図録に原作者で監督も担当した井上雄彦氏のコメントが掲載されていました。「僕の中に『こんな感じにしたい』というイメージはあっても、その経験や知識がありません。『こんな感じ』としか言いようのないふわっとしたイメージを提示して、それを経験豊かなスタッフたちが『こうなんじゃないか』と解釈したり、『こうしてみたんですが』と打ち返してきてくれて。最初から明確に『ここがゴールですよ』という一点へ向かって全員で突き進んだという感じではなく、そうしたやりとりを積み重ねながら最終的に『ああ、たどりついた』みたいな感覚です。」模索を繰り返して作り込まれた画像は、観ているこちらにも伝わってきました。「連載時、僕は20代だったから高校生側の視点のほうが得意というか、それしか知らなかったんです。そこから年をとって視野が広がり、描きたいものも広がってきた。~略~原作で描いた価値観はすごくシンプルなものだけど、今の自分が関わる以上は、原作以降に獲得した『価値観はひとつじゃないし、いくつもその人なりの正解があっていい』という視点は入れずにいられませんでした。」作り手の成長が創作物に豊饒を齎すことで、単なるスポーツドラマではなく、選手一人ひとりにも生きてきた時間があることを本作では饒舌に語っています。
2022.12.06 Tuesday
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「ディオニュソスの秘祭」で古代ギリシャについての論考です。もうひとつは「形なき生の方へ」でケルトの美を扱った論考です。まずディオニュソス信仰とは何か。「紀元前2000年頃、北方アーリア民族の一派アカイア人が北からギリシャの地に侵入してきたが、アテネはこのアカイア人の後裔たるイオニア人によって誕生した都市国家だった。彼らイオニア人の考える神々の世界は、アーリア民族の戦士貴族性を反映して、天空の父神ゼウスを頂点にする階層化された世界だった。これに対し先住民族の神々は、大地に、あるいは大地の内部に、混然と住んでいた。ディオニュソスもそのような神々のなかの一柱だった。」ディオニュソスの属性は常軌逸脱、錯乱、暴力、性、猥雑さであって、ゼウスの秩序とは相容れないものでしたが、大衆の動向を利用する政治家によって、これを受け入れたのでした。「男根の行列と狂喜乱舞を特徴にするディオニュソスの秘祭は、生の豊饒を称えながら死の不吉さを漂わせていた。死と生が遊びながら共存する有り様を、それも両者が混然と融合する深い有り様を表していたのである。」私が嘗て読んだニーチェの「悲劇の誕生」にはディオニュソスとそれに対比するアポロンのことが描かれていて、興味を覚えたことを思い出しました。「人は、いつの時代においても、ディオニュソス、アルミテス、メドゥーサの体現する生の矛盾に憧憬を持ち続けている。すぐれた芸術家とは、このような人間の内的欲求に応えて、作品という物体に生命の矛盾を、死と生の遊びを、宿らせることのできる者のことである。」次はケルト民族の、とりわけ貨幣の図像について述べた箇所に注目しました。「フィリポス二世金貨は、もはや跡形もないほどに変容を蒙る。表のアポロン神はケルトの英雄へ、裏の二頭立て戦車は馬と戦士に、しばしば馬だけに、変えられる。それだけではない。ギリシャ古典美学の整形美が根本的に否定される。貨幣面の小宇宙は得体の知れない力に襲われて、人も馬も解体を強いられた。渦巻模様、S字形曲線、部分の理不尽な誇張などによって、形あるものがその形を奪われ、異様な流動を表わすようになる。」これは自然環境による美意識が、古代ギリシャ・ローマから北方ケルト民族へ移動変遷する際に相反するものに変化したことを表しています。「巨大な水道橋や闘技場を建設しながら、美術作品としては生彩に欠ける彫刻や壁画ばかり残したローマ人を思うとき、わずかに貨幣と工芸品に装飾図像を表しただけで作品らしいものは何も残さなかった独立ガリア期のケルト人の不在の美学は、逆に生命の息吹を感じさせて、すがすがしい。」
2022.12.05 Monday
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の最初の単元2つをまとめます。ひとつは「揺らめき立つ雪国の情念」と題された単元で、縄文の火炎土器を扱ったものです。もうひとつは「戯れる動物たちの宇宙」と題されていて、これはラスコー洞窟壁画を扱っていて、日仏の先史時代に残された遺物より興味深い考察を進めています。まず縄文土器で留意した文章から引用します。「岡本太郎は、ラスコーやアルタミラに壁画を残したヨーロッパ先史時代の狩猟生活者を念頭に置いて、縄文土器の不合理な荒々しさ、非対称性、不規則を語ったが、しかしよく見ると、火炎土器、そして異様な形状の土偶でさえも、規則性をベースにしているのである。火炎土器の口縁部に隆起する鶏頭冠と名ざされた装飾は、この種のどの土器においても四つであるし、それらはきれいに対称的に配置されている。土偶の右半身と左半身の装飾も対称にほどこされていることが多い。が、それにもかかわらず、規則性には安住していない生の強い息吹がそれらの表現から迸っているのである。その生命の躍動は、ラスコーの洞窟壁画にある牛や馬たちの屈託のない動きとは別種なのだ。規則的なもの、必然的なものに生活の基盤を置きながら、不規則的なもの、偶発的なものの豊かさに魅せられている人の緊迫感、緊張感、そして繊細さに刻印されているのである。」縄文土器には煮炊きした跡があり、それは祭儀などの特別な場合であったろうと推察されています。次の単元にあるラスコー洞窟壁画へ進みます。「自然の生命力は、人間に恵みをもたらしはするが、本質的には人間の個としての存在など意に介さず、無益に自然自身の産物を滅ぼす。太古の人々は、自然界に豊饒を祈願しながらも、その恐ろしい力を称え、かつこれと交わろうとした。人間の弱さ、小ささ、死を意識するなかで、巨大な自然の生命力をできるだけ深く体験しようとしていたのである。芸術の創造は、このような自然崇拝と紙一重の近さにある。自然の力に畏敬の念を覚えていた人々が、その畏敬の念から新たに、道具以上の何かを創造してみたいと思うようになったということである。動物の図像を描いても、動物を捕獲するための道具にはない生命感を、つまり動物が発する力強い生命感を、その図像に込めたいと思うようになったということである。」後世になって芸術の概念が培われた時代に、洞窟に残された図像が、芸術の黎明期として認識されたのでした。