2022.09.26 Monday
私にとってアニメーションは芸術分野のひとつで、とりわけ日本のレベルは世界に通用するものだろうと思っています。日本的な作画技法は自分が幼い頃から馴染んだもので、それが最近はアナログとCGを組み合わせた緻密で滑らかな動画に発展していて、観ていて楽しくなってくるのです。昨晩観に行った映画「ONE PIECE FILM RED」もそのひとつで、初めてじっくり観た私は本作が世界的に人気があるのは頷けるなぁと思いました。本作の内容は音楽で栄えた国エレジアでライブを開催する歌姫ウタを中心とした物語で、海賊の麦わらの一味がウタのライブを見に来たところから始まりました。麦わらのルフィは実はウタの幼馴染で、ウタはルフィと繋がりのある赤髭海賊団シャンクスの娘だったのでした。そのうちウタの不思議な力が徐々に明るみに出て、壮大な計画があることが判明します。その世界とはウタによって現実世界から海賊による略奪のない理想世界への導きであって、人を意識だけの世界に住まわせるものでした。どうも最近流行の架空の空間でもう一人の自分を演じるようなSF映画のように感じたのは私一人だけだったのでしょうか。一緒に行った家内はウタによる新興宗教のようだと感想を漏らしていました。そんなウタは生育歴でトラウマを抱えており、それを取り除くために麦わらの一味が戦いを挑み、素早い展開を繰り返していきました。ネットのワンピースのフアンの中には、本作には主流となる物語と異なる雰囲気を感じた人が多く、感情移入が難しかったという意見がありました。私は初めて尽くしなので、本作をミュージカルとして楽しんでいました。とくにウタの歌唱キャストを担当したAdoの実力に負うところが大きかったのではないかと思っています。数日前のNOTE(ブログ)にボカロのことを書きましたが、Adoはボカロの作曲家によって曲を提供されているアーティストです。明らかに音作りの主流が変ってきていることを私は感じます。CGと組み合わされると創作の未来形が垣間見えますが、芸術の幅は素朴なものから未来形まで、ますます広がっていくように思います。
2022.09.25 Sunday
三連休最終日になりました。台風一過の影響なのか天気が忽ち回復し、気温は上昇しました。今日は工房に美大生と美大受験生が来て、それぞれの課題をやっていました。工房内は夏のように蒸し暑く作業は苦しい時間帯がありました。私も相変わらず陶彫制作をやっていましたが、9月の後半になっても夏のような気温に辟易していました。陶彫制作に関しては、嘗ての二束の草鞋生活のように厳密に計画を立ててやっていたわけではありませんが、それでも考えていたノルマは達成していたと思っています。最近は朝から午後3時まで制作しているので、陶彫による立方体は確実に出来上がっていきます。彫り込み加飾は立方体ごとに異なる文様を刻んでいるので、毎回新鮮な思いで制作しています。午後3時に工房を閉めて、彼女たちを車で送り、夕方には家内を誘ってエンターティメント系の映画館に行きました。観たのは「ONE PIECE FILM RED」で只今人気絶頂のアニメーション映画です。私は今までも「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」や「シン・エヴァンゲリオン」などアニメ映画も数々観てきました。日本のアニメは世界に誇るサブ・カルチャーで、表現力で言えば世界に類を見ない超絶技巧のレベルにあると、私は思っています。ただし、「ワンピース」を今までほとんど観てこなかった私は、その物語の概略しか知らず、今日観に行ったのは本作の何が人気になっているのか、物見遊山に過ぎません。ネットを見ると本作には賛否両論があって、双方とも説得力のある意見が並びますが、熱烈なフアンでもないオジさんオバさんが観に行った本作は、なかなか面白い内容に過度なボリュームを盛り込んだ映画ではなかったかと思いました。始めから終わりまで活力いっぱいで展開も早く、観ている私たちは大いに元気をいただきました。人気の秘密はこんなところにあるのだろうと思います。歌姫ウタが熱唱する抑揚の効いたメロディーが耳に残り、ミュージカルのようなアニメになっていました。家内は数多く登場する個性的なキャラクターが覚えられない嫌いはあったものの、平塗りによる画面構成が綺麗だと言っていました。さすが家内は美大のデザイン科を出ているだけあって、アナログな画面作りにはきちんと反応していました。詳しい感想は後日改めます。三連休は映画鑑賞で締め括り、私自身充実していたと感じました。
2022.09.24 Saturday
三連休の中日ですが、週末でもあるので今週1週間を振り返ってみたいと思います。今週も毎日工房に通い、陶彫制作に懸命に取り組んでいました。日曜日から月曜日にかけて陶彫作品8体の仕上げと化粧がけを行い、窯に入れました。火曜日は窯の温度確認を行い、水曜日はいつものように40キロの土練りと畳大のタタラ作り、木曜日と金曜日は成形、今日は彫り込み加飾を行なっていました。日々まず陶彫制作ありきで進んでいて、その他の用事は全て午後に回していました。また今週は月曜日は敬老の日、金曜日は秋分の日と三連休が2回続いた週で、世間ではシルバーウィークとも言われていました。どこかへ出かけようと計画していた人たちには、三連休が2回とも台風の影響を受けていたので残念な思いをしたのではないかと察します。本当に突然のどしゃ降りに見舞われる日が多かったように感じています。気候は凌ぎ易くなったようで、日によっては午後まで陶彫制作をやっていました。木曜日には家内の叔母の墓参りに行きました。振り返ればこの夏はどこにも行かず、私は陶彫制作ばかりやっていたので、コロナ禍が多少減少傾向に転じたこの秋にはどこかへ出かけたい気分もしています。私は旅行でも目的意識がはっきりしていて、その地域の伝統工芸やら美術品の鑑賞をしてみたいのです。それは分野を問わず、たとえば工芸なら金工、陶芸、染織どれでも興味の対象になります。木材や石材を見に行くことにも関心があります。自然の中に身を置いて、そこで何かを感じ取ることも気分高揚に繋がっています。これからはそんな体験が実現できるでしょうか。
2022.09.23 Friday
私は自らの手で陶土に触れ、それを塑造したり、彫り込んでカタチを表しています。そうしたアナログな創作行為は人類の曙期より何も変らず、言うなれば先史時代も人類は同じことをしていました。人類が神の存在を認め、それを具現化したのが彫刻の始まりかも知れず、相変わらず自分は古代から延々と続く原始的な表現方法を好んでいる次第です。こんなことを考えながら三連休の初日である秋分の日に、工房で陶彫制作に精を出していました。私がやっている原始的な方法から情報機器を操作する現代の方法まで、あたかもグラデーションのように表現が多様化している現状を考えると、私たちには不変なるものと変遷していくものがあり、そのどちらにも心を打つ力があればそれで良しとしている自分がいます。教職に就いていた頃、生徒たちからプロジェクション・マッピングをやりたいと言われ、大学の研究室に助言をしてもらいながら、体育館の内壁に映像を映し出しました。その生徒たちを連れて東京のデジタルアートミュージアムに出かけ、その裏側をチームラボの人たちに聞いたこともありました。別の学校では不登校生徒を校長室に呼んだところ、家でパソコンによる曲作りをやっていることを知り、その楽曲を聴かせてもらいました。中学生と言えどもこんな楽曲が出来ることに私は驚きましたが、これがボーカロイド(ボカロ)との出会いでした。作曲はピアノ等の楽器は使わず、パソコンに入力するだけで歌唱も編曲も含めて出来上がってくることに、現代の表現多様性を改めて知り、さらに現在ヒット中のJポップにはボカロの曲が多いことに、時代を感じずにはいられませんでした。ICTが作り出したアイドル初音ミクの存在もあって、これからの表現世界がどのように変遷していくのか、実は私は楽しみでもあります。忘れてならないのは、こんな表現をしてこんなことを訴えようとしているのは、あくまでも人間で、ICTは人間が効率よく表現を行なえる手段であるということです。そんな思いに耽っている私は、相変わらず原始人のように土を練っていて、今も先史時代を生きています。
2022.09.22 Thursday
今朝になって叔母の墓参りに行けないかと家内が私に言ってきました。叔母は7月末に亡くなり、先月初めの葬儀に家内と私は出席し、その記録をNOTE(ブログ)に書いています。家内は叔母の納骨には用事があって行けなかったのを気にしていました。ちょうど秋分の日が近づいているため、今日は彼岸入りの日なので、私も快く付き合うことにしました。午前中私は工房に出かけ、陶彫制作をやっていました。陶彫制作は自分の都合で止めることは出来ず、成形をするにはちょうどよい陶土の乾燥具合になっているため、今日は3時間ほど集中して作業をしました。気候はかなり涼しくなって作業には絶好の気温になったので、気持ちよく成形をやることが出来ました。午後予定していた作業は明日に回すことにして、車で家内と川崎市高津区にある緑ヶ丘霊園に向いました。以前来たことがある霊園でしたが、私はほぼ忘れていて家内の記憶だけを頼りに墓参りを済ませてきました。緑ヶ丘霊園は川崎市が運営する霊園で、宗教に囚われずに埋葬が可能なようで、キリスト教信者である叔母の墓石には十字架の彫り込みがありました。私たちは日本式に線香を炊いてお参りをしてきましたが、さまざまな宗教が共存する日本では不思議な光景があると私は思っています。私は、死者を大切にするのは生きている私たちの心の安穏のためであり、そこに宗教は関係ないのではないかと考えています。宗教は、自分なりに納得の出来る自身の落日が迎えられるかを委ねるもので、自分の自由意志で選択できるものだろうと思います。墓参りは心が落ち着けば、それで良しとして、生きている私たちの心を整理していくものだと感じています。そんな死生観を私は持つに至りましたが、午前中にやっていた陶彫制作を考えると、死に対して達観も出来ず、やり残していることがいっぱいあるなぁとも思っています。