2021.09.17 Friday
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)の「第10章 結論の試みーピエロとフーケ」についてのまとめを行います。この章で本書は終わりますが、最後に付録があります。この章では国籍の違う画家に関する記述がありました。ピエロとジャン・フーケです。「まず最初に、二人の生まれた環境がまるでちがう。ピエロはイタリア人であり、あの驚嘆すべき都市国家のなかに生きるという特権を享受した。~略~どう見ても僻地としかいいようのないボルゴ・サン・セポルクロ気質を捨てることができず、いつまでも偉大な田舎者であることを脱しえないままに、フィレンツェ、ウルビーノ、リミニ、フェラーラという諸都市で時代の空気に触れたのだ。~略~これに反してフーケはフランス人、しかもロワール河流域育ちの典型的なフランス人である。~略~フーケの生きた場はトゥール、そしてパリだった。パリはすでに数百年前から首府であり、外国からさまざまな文物が流入していた。にもかかわらずそのパリは、時代の変遷を通じてつねに独自なものを保っていた。~略~ピエロとフーケは風土と環境においてもこのようにちがうが、思想においてもたいへんちがっていた。~略~二人の技法もたいていの場合ちがっている。当然のこととして画風はその影響をこうむる。一方のピエロがフレスコ画家として壁面に取り組むのに対し、他方のフーケは挿絵画家としてミニアチュールを相手にする。」ここまでの論考はピエロとフーケの圧倒的な相違を語っていて、この二人を比較するのは恣意的な試みではないかと思わせます。ところが本書は、ここから画家としての本領を語る論調に変わっていき、造形の本質に迫る論考が展開していきます。「どんな環境に置かれ、どんな出来事に出会い、どんな運命に玩ばれようとも、画家は画家であり、画家の心を捉えるのはなによりも描くこと、絵によってひとつの世界を創造することである。ピエロとフーケは、時代環境では説明のつかない同一の態度をもってこの問題に対処した。二人とも大きなスタイルとのびやかなフォルムをもっていた。二人とも強い造形力を備えており、マティエールの重量を感じさせ、絵の平面に強力な厚みを生み出した。~略~ピエロとフーケが求めたのは形態上の調和、つまり形と形、色と色の照応であり、二人はそれを石壁とパネルの上に実現した。~略~ピエロとフーケによって、私たちは絵画の本質に触れるのである。つまり、図像学的ペダントリーや文学趣味から限りなく遠く、純粋に絵画的な関心にしたがって私たちは歩むことができるのだ。」前述した付録については後日に回します。
2021.09.16 Thursday
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)の「第9章 晩年の作品」についてのまとめを行います。最初の文章に「芸術家の晩年はふつうの人の老年とはちがう。芸術家の老いはしばしば衰微ではなく、逆に新しさをもたらすのである。ティントレットもレンブラントも壮年以降に自己を開花させたが、寡黙でおだやかなピエロもまた、人生の暮方において探究をやめなかった。」とありますが、晩年の作品では代表する4作品を取り上げています。まず《サンタントニオの多翼祭壇画》について。「フレスコ画から15年、板にふたたび向かったピエロの喜びといおうか、一種の解放感が伝わってくるようだ。~略~石壁からの解放と油彩の使用が、この祭壇画の『受胎告知』に見られる透視図法を可能にしたともいえる。~略~この祭壇画におけるピエロの点描的な筆づかいは、フランドルの細密画の影響というよりも、板絵の手法への回帰と見たほうがよいだろう。」次は《セニガッリアの聖母》について。「画家の関心は首飾りの細部や衣裳に向けられているが、構図全体の骨組みはいささかも揺るがない。手の線、頭部のまるみにピエロ独特の逞しさが感じられるが、それはやがてウルビーノのもう一人の天才ラファエッロによって受け継がれることになるだろう。」次は《キリスト降誕》について。「これはながくピエロの子孫の家にあったとされ、のちにフィレンツェに移されたものだが、とにかく一風変わった降誕画である。~略~イタリア人文主義の盛期に、人間像において個から離脱するのは至難の技であったが、ピエロはそれをここでも実現しているのだ。」最後に《モンテフェルトロの祭壇画》です。「建築の部分はまちがいなくピエロの筆である。《キリスト鞭打ち》とペルージャの『受胎告知』とが予告し、ピエロが晩年に身を捧げた透視図法の成果がここに見出される。私にはこの建物こそ、ピエロ芸術の頂点を示しているように思われる。~略~晩年のピエロを衰退したと評し、それを外部からの影響によって証拠立てようとする一群の人々がある。それに対しては、この作品こそ力強い返答となるだろう。ピエロはたしかに変化した。しかし晩年にいたるまで、強い意志と思考能力を維持しつつ変化したのである。」今回はここまでにします。
2021.09.15 Wednesday
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)の「第8章 世界像」についてのまとめを行います。この章には建築、風景、時という3つの単元があります。まず建築ですが、「ピエロが絵に描いた建築は、建築家のものとしても価値があるとともに、知性と感性を同時に満足させることによって、人間に平安をもたらす画家の建築であった。たとえば、モザイクの床を配した《キリスト鞭打ち》の部屋、『受胎告知』(《サンタントニオの多翼祭壇画》)のトスカーナ風の柱廊、そして『シバの女王とソロモン王の会見』の場のコリント様式の柱廊を見よう。そこではつねに、野の風景と人間の建物とが巧みに配合されている。」とありました。次に風景です。「《ウルビーノ公夫妻二連肖像画》の背後にひろがる風景を見てみよう。そこにあるのは、現実とは思えないほど魅力的な風景である。流れる雲や翔ぶ鳥まで静止状態で定着されたようなその光景に、私たちはめまいを起こし、深い淵へひき込まれてゆく。」本書には大きな図版が掲載されていて、広大な風景の中を歩む馬車が描かれていました。私は風景画というより、そこにあるもの全てにモニュメンタルな感じをもち、安定した画面になっていると思いました。最後に時ですが、光の扱いに注目しました。「ピエロの場合は、ロンギの言葉を借りれば、超越的で理知的な時、つまり陽が天頂に達する真昼時であった。それはむしろ不動の時、私たちの文字盤には見出されない時であるといった方がよいかもしれない。白い大理石の聖堂内部、上方の開口部から、やわらかな光が降りそそぎ、驚くべき荘厳さを四囲にもたらす時である。空は軽やかでしかも深い青。それをときおり眩い百光が侵食する。すると、一種のメランコリックな精気があたりに漲る…。これがピエロの時であった。」今回はここまでにします。
2021.09.14 Tuesday
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)の「第7章 人間像」についてのまとめを行います。冒頭に「ピエロ・デッラ・フランチェスカの中心課題は人体の研究であった。」とありました。「フィレンツェには人体のカノンが二つあった。~略~ひとつはトスカーナ・ビザンティン派の伝統をうけ継ぐ長身タイプで、痩型で細作り、頭部は小さく、からだ全体をたわめ、じっとしているときでも動きを感じさせるものである。ボッティチェッリの描く人物像がその究極の型だ。もうひとつは角型といおうか、けっして短軀ではないが肩幅広く、手足のがっしりしたタイプである。粗削りの塊のような頑丈な骨格をし、動いているときでも不動を感じさせるようなこの二番目のタイプは、ジョットにより見事に描き出された。~略~ピエロはこの二つのカノンのあいだ、両極のあいだに揺れながら成長していった。」昨日のNOTE(ブログ)に登場したアルベルティがここでも登場してきます。「アルベルティは『数学遊戯』のなかでアルキメデスの原理を取り上げて、人体の力学および運動のと重量の関係について重要な考察をなしているが、それは15世紀にあって画期的なことであった。~略~アルベルティ的運動があくまで純粋な曲線で外部に表現されるのに対し、ピエロの運動は身体の内部に放たれているという点である。人体はピエロにとってただ単に重みをもつものではない。それは密度を異にするヴォリュームの群れの均衡する場であり、重さと力の組み合わせから成立するものである。」最後に類型と心理表現に関する論考がありました。「ピエロに見られるものは、不動で永遠の人間像、心をよぎる情念の影に一切かかわりのない平静さ、顔とからだの表情の無化である。石のように堅固に年を経てゆくピエロの人物を見ると、私はカテドラルの彫刻家の後継者たるジャン・フーケを思い出さざるをえない。」フーケについては本書の後半に登場してきます。
2021.09.13 Monday
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)の「第6章 ピエロとアルベルティ」についてのまとめを行います。初期ルネサンスの天才と謳われたレオン=バッティスタ・アルベルティはピエロの6つ年上で同時代人でありました。「アルベルティの理論はピエロに何をもたらしたのか?私たちが知りたいのはそこである。ピエロはどこまでアルベルティにしたがい、どこでアルベルティから離れ、アルベルティをこえたのだろうか?」アルベルティとはどんな人物だったのか、簡単に説明した文章がありました。「アルベルティは学問に優れていたばかりでなく容姿端麗、しかも筋骨逞しく、なにをやらしても巧みだった。」そんな人物が同時代にいれば、何かしら影響があったと考えるのが妥当だろうと思います。「アルベルティの著述家として仕事は、すでにあげた理論的な諸著作(絵画論や建築論)に加えて、喜劇、対話篇、教訓小話集、『家族論』、そしてリオネッロ・デステに捧げた『数学遊戯』等々、膨大な数にのぼる。『絵画論』のなかでピエロには触れていないが、アルベルティがピエロの画業に重大な影響をあたえたことは間違いのないところだろう。」それでは実際にアルベルティの絵画に関する文章を拾ってみると「輪郭は面と面の接するところであって、面と面の断絶を意味するものではないからだ。これは逆にいえば、明確な輪郭線の消失を意味する。眼差しは境界に対してではなく、境界の内部に向けられなければならない。アルベルティと同時代に生きた画家たちは、多くの場合境界の内部よりも、境界自体に目を向けていた。この点アルベルティにしたがったのは、ピエロただひとりであったといえるだろう。」最後にアルベルティの功績について要約した箇所がありました。「ルネサンス絵画にアルベルティ理論がもたらしたものは何だろうか?それはまず、空間構成と密接に結びついた造形性の優位であった。対象は必然的に『規則的な形体』へと、つまり空間に堅固に存在する形体へと還元された。アルベルティ自身は感性を大切にしつつ、過去を尊重したにもかかわらず、これは帰結として図像学的な配置と心理的ドラマを排除することになった。」アルベルティの後にレオナルド・ダ・ヴィンチが登場して、ルネサンス期の活動が後世にも知られるところとなりますが、その初期段階での時代の変遷に私は興味を抱いています。