2021.09.12 Sunday
8月28日付のNOTE(ブログ)に「3つ目の『島』制作へ…」というタイトルがついた文章があります。この日に新作の3つ目となる「島」を形成する土台となる陶彫部品を作ったのでした。これは大きな陶彫部品だったので乾燥に時間がかかり、今は窯内に入っています。3つ目の「島」は上下2点からなる「島」で、上部の陶彫部品は乾燥を待っている最中です。今日から4つ目となる「島」の制作に入りました。4つ目の「島」は大小8点で形成する予定です。既に8点で形成した「島」があり、焼成が終わっています。この時もそうでしたが、8点で形成していくとなると、なかなか時間も手間もかかります。今日からコツコツ成形やら彫り込み加飾を始めていくことになります。新作が大きな集合彫刻になる予定でいても、一つずつの陶彫部品に関わっている時が、まだ全体を考えてイライラすることもなく、精神的には一番健康でいられる作業です。もちろんその都度神経を使うことはありますが、部分に関わっていると近視眼的になって、それなりに満足を得られるのです。社会全体もそうなのかもしれません。私が美術科教諭だった頃は、学校全体を考えることもなく、目の前にいる生徒たちと触れ合っているだけで楽しかったのでした。その日の授業が上手くいった時もあり、そうでもない時もありましたが、彼らの成長を見ていられるのが教師としての幸せかなぁと思っていました。ところが管理職となると常に学校全体を見て、想定外の危機管理に備え、教員集団の訴えや意見を聞き、何とか日々の安心安全を保っていきました。集合彫刻も同じで、全体を見ていく上で陶彫部品がそれぞれ支えあい、それが集団となってひとつの空間を構築させるように仕向けていきます。学校の校長も会社の社長もオーケストラの指揮者も全体をまとめ上げて評価を得るものなので、私の作る集合彫刻も同じではないかと思っています。制作工程の今の段階では、例えば学校運営ではなく、ひとコマずつの授業をやっているようなものです。授業から学校運営に乗り出した時に、つまり陶彫部品が集まって全体構成を考え出した時に、骨が折れる作業に移っていくのです。
2021.09.11 Saturday
先日、栃木県益子町から送られてきた陶土を早速使うことになりました。昨年購入した陶土が僅かばかり残っていたので、新旧を混ぜて土練りをしましたが、先日届いた陶土の新鮮さが際立ってしまうことを実感しました。陶土は保存して1年くらいが限界かも知れず、新しい陶土はその柔らかさが心地よく、土練りが容易になっていました。私はA土とB土を軽量計にかけ、割合を決めて土錬機に入れます。混合は3回行い、最後は手で菊練りをして、小分けのビニール袋を2重にして梱包するのです。1度に混ぜる陶土は40kg。ビニール袋は10個ほど出来ますが、陶彫成形2点ほどがそれで作れる計算になります。陶彫成形は大きさがそれぞれ違うので、10袋のうち1点で半分を使うことにはなりません。混合陶土が中途半端に余った場合は次の土練に回すのです。菊練りを終えるとビニール袋に入れる前に、掌で叩いて座布団大のタタラを作っておきます。陶彫成形に合わせてタタラの数を調整しますが、次の陶彫部品はやや大き目な成形を考えているので、6枚のタタラを用意しました。その以外の混合陶土はビニール袋に入れて、次の成形に使います。ビニール袋で保存している混合陶土の中から、紐作りに使う土もあり、これが結構な量を消費しているのです。タタラだけでは保てない成形が多く、裏側から紐状にした陶土を貼り付けて支えるのです。糊の役割をするドベもかなりの量が必要です。粉状にした混合陶土を水に溶いて使っています。タタラを置いておくのはビニールをかけてあったとしても一晩が限界です。それ以上置いておくと乾燥が進んで造形が出来なくなるからです。今は毎日工房に通っているので、陶土の乾燥具合をよく見ていますが、教職との二足の草鞋生活の時はなかなか大変でした。学校から帰って慌てて工房に行って陶土の乾燥具合を見ることもありました。私は陶土は生きていると感じていて、常に見守っていかないと思うような成形が出来ないと思っています。
2021.09.10 Friday
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)の「第5章 ピエロと透視図法」についてのまとめを行います。まず当時の透視図法の考え方ですが、空間上に幾何学的に図示するという考え方と、画家や建築家の仕事による詩法として扱う考え方があったようです。「ピエロの理論的考察は、空間中の物体と競い合った自分自身の経験を、記号化して一般化したものであった。そこから生まれたのが『透視図法論』であり、『五つの正多面体小論』である。」とあったようにこれは物理世界の法則ではなく、絵画空間を考える技法(詩法)であったようです。次に同じような考え方をした画家でピサネッロとウッチェッロが登場してきます。「ピサネッロは一方で紋章芸術に従事しながら、他方で肉体と顔を正面から、つまり充実したその形のままに描いて見せたのである。その結果、動物はアラベスクであり表皮であると同時に、また構造としても捉えられた。なかでも馬は臀から見られ、関節のふくれたシンメトリックな四肢でがっしりと立たされた。~略~ピサネッロのこうした面は以降、ジャン・フーケ、ウッチェッロ、そしてピエロ・デッラ・フランチェスカにひき継がれ、大きな臀と四角く張った鼻面を見せる馬が一個の有機体として描かれることになった。」ウッチェッロについてもこんな記述がありました。「ウッチェッロもまたピサネッロ的革新者であり、ルネサンス初期の実験と探求の熱気のなかに身を投じるとともに、もう一方では中世の伝統に忠実だったのである。~略~ウッチェッロは、事物を大きな透視図法にしたがわせて、しかるべき場所に配置しようと努力するのだが、それはむしろ目の悦びのため、言いかえれば、現実の美の秩序よりも架空の美の秩序のためであった。」これをピエロはどう見ていたのか、本書にはそこまでの記述はありませんが、読書している私がこの時代の画家の仕事に疎いために、どうしても私自身の考えが持てないのです。ピエロを含めた多くの画家の仕事を実際に見てみたい欲求に駆られているところです。
2021.09.09 Thursday
大規模な公募団体である二科展が、現在、東京六本木にある国立新美術館で開催されています。二科展に所属する若手彫刻家より招待状をいただいて、私は毎年二科展を見に行っています。若手彫刻家というのは私の教え子で、現在は教職に就きながら木彫をやっている長谷川聡さんです。今回、彼は記念大賞を授賞していて、賞に相応しい力作を出品しています。教職と彫刻家の二足の草鞋生活は、まさに私の歩んできた道そのものですが、私より若い時期より創作活動に邁進しているので、彼は今後のキャリアを考慮しても頼もしい結果を残せるのではないかと推察しています。彼は毎年全力で作り上げた木彫を出品していますが、今年の作品もさらに磨きをかけた造形感覚を見せていました。今まで彼は合板を積層加工した塊に造形していましたが、今年は合板に丸太の直彫りを組み合わせ、水の流れをテーマにした作品にまとめ上げていました。水と言っても噴水のように立ち上がる形状で、塊を彫り込んで蔓状にして、それが絡まって上昇していく按配です。上部には球体状になったカタチが渦巻いていました。蔓のように見える一本一本が捩れていて、そこに生命をも感じさせていました。これはロダンの言葉にあるように、人体の動勢は螺旋であることに依拠していて、人体を観察すれば螺旋を描くように骨や筋肉がバランスをとって成長していくことを示唆しています。捩れはその螺旋の要素を抽出したことに他ならないと私は思いました。昨年の二科展は新型コロナウイルス感染症の影響で延期され、今年漸く2年越しに開催できたことを嬉しく思います。創作活動は感染症が拡大しようが、それによる緊急事態になろうが、個人の意思で継続していくもので、その流れを絶やしてはならないと考えます。私も彼の作品を見て元気をもらいました。教え子と言っても既に彼は同志であり、ライバルなのでお互いが刺激し合える環境をこのまま続けていきたいものです。
2021.09.08 Wednesday
昨日、朝日新聞の「折々のことば」欄にあった「無教会主義」という語彙に思わず反応してしまいました。全文を引用いたします。「『かれの批判は教会そのものに対する批判であるよりは、現代の教会が真に徹底的に教会でないところからおこってきたものである。森有正』評論『内村鑑三』から。キリスト教思想家・伝道者の内村鑑三が教団という組織を離れ、無教会主義を貫いたその姿勢の背後には、こういう思いがあったと作家・哲学者は言う。それを政治についていえば、いつの時代もそれへの不信は、それが『徹底的』に政治的でありえていないところ、政治の基本を怠っているところに生まれる。」(鷲田清一著)小欄では政治について語っているのですが、無教会主義という語彙が登場したので、私は亡き叔父を思い出してしまいました。叔父はカント哲学者で、カントの哲学体系の中でとりわけ宗教に注目し、また内村鑑三を師と仰いで、叔父も無教会主義を唱えていました。叔父の葬儀は無教会主義の方々によって行われ、墓地も宗教宗派を問わないところを探したようです。宗教は信仰にあり、カタチを問うものではないと主張した叔父でしたが、そんな宗教概念について、ついに叔父と話したこともなく他界してしまったのが今となっては残念でなりません。宗教とは何か、ヨーロッパで暮らしていた20代の頃に、私はそこかしこにカトリック教会が立ち並ぶ街の風景を見て、その在り方を考えることもありました。私の先祖から受け継がれる宗教は仏教の浄土宗ですが、あまりにも生活に馴染んでいて、宗教を学問として学ぼうと思ったことはありませんでした。寧ろキリスト教のほうが西洋彫刻と結びついていたので、信仰とは別の学習欲求が出てきたのでした。そうした中で叔父が賛同していた無教会主義に対する理解は出来ました。ただし、キリスト教に関しては私に圧倒的な印象を残したのは心理学者フロイトの「宗教論」で、刊行当時は大変悪評高いものだったようですが、これを読んで私の頭はぶっ飛びました。この論考からして当時は相当不謹慎だったのかもしれませんが、民族や宗教の興った背景は、あるいはそうだったのかもしれないと思わせるところが、ある意味において現代的でインパクトを色濃くしているのだろうと思います。