2021.12.10 Friday
昨日、私の車に故障警告灯が点灯し、原因がわからなかったのでディーラーに持ち込みました。車は一日ディーラー預かりとなり、暫くして警告灯の原因が判明しました。今日は車が使えない一日になったのを言い訳に、工房や近隣のスポーツ施設には行かず、家内と東京の美術館に行くことにしました。向かった先は表参道の根津美術館でした。以前テレビで「夏秋渓流図屏風」を紹介していたので、琳派の画家鈴木其一による大作を見てみたいと思っていました。尾形光琳や酒井抱一に代表される琳派が私は大好きで、本展でも平塗りによる渓流表現に金の線描を用いた「夏秋渓流図屏風」の装飾性に惹かれました。これの詳しい感想は後日改めますが、「夏秋渓流図屏風」の横に円山応挙の「保津川図屏風」があったことが嬉しくて、2点の大作を交互に見て、絶妙な構成力や表現力を堪能しました。円山応挙の「保津川図屏風」は別の企画展で私は何度か見ていて、奔放な水流とそそり立つ岩肌とのコントラストは強烈な印象を私に与えてくれました。完璧な写実でないにしても応挙の筆跡に、若い頃の私は大いなる刺激をもらいました。その頃は具象とは何かを私は考え始めていたので、日本画の中で応挙の写生を基にした一連の作品を、私なりに一番推していたのでした。その時代に鈴木其一の「夏秋渓流図屏風」を見たら、私はどう思ったでしょうか。其一の偏執的な表現を否定したでしょうか。20代から60代に至って私の美的価値観が明らかに広がって、象徴性に富む作品が私を捉えて離さない時期の変遷があり、そこから琳派が漸く好きになり、さらに琳派さえ逸脱した作品をも認めるようになったのでした。今日はウィークディにも関わらず、多くの鑑賞者が美術館を訪れていました。やはり高齢者が多いとは思いましたが、根津美術館の和風の美しさを愛でる方々が結構いました。根津美術館は門から入口までの竹林に見立てたアプローチが素敵です。仏像のコレクションも秀逸です。表参道の美術館までの道も瀟洒な店が多くて、散歩が楽しめる場所かなぁと思っています。
2021.12.09 Thursday
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「五章 名も無き者は」の前半部分をまとめます。聖像画家として日本各地に建てられつつあった正教会のために、山下りんは注文に応える日々を過ごしていました。亡きプウチャーチン伯爵の令嬢オリガが来日していて、りんと旧交を温めていました。そんな折、工房や寄宿舎を併設した神学校が火事になりました。「やけに騒がしいような気がして、首に襟巻を巻きつつ襖に手をかけた。すると荒い音を立てて襖が動き、上級生の一人が叫んでよこした。『火事です、燃えています』すぐさま部屋を出た。廊下の向こうで、看護婦に伴われたオリガ姉が出てくるのが見える。ロシア語で『火事』と伝えると、頬を強張らせながらもしっかりうなづく。~略~火事のあったその日のうちに、オリガ姉が主教に助力を申し出てくれたらしい。本国の知友に電報を打って義援金を募り、自身も寄進して、ほどなく数千円という大金を用意してくれた。」学校は全て焼け落ち、新しい校舎が建ちましたが、りんの集めた海外の聖像画は失われてしまいました。オリガが帰国する際に、りんとこんなやり取りがありました。「『わたくしも日本を忘れません』とオリガ姉は微笑み、『あなたに、これを』と布包みを渡された。包みを開けば、厚い額に納まった聖像画だ。掌ほどに小さいが重い。板画だ。『我が家に古くから伝わるものです』聖像画は有難い。手持ちのものは焼失したので、模写の手本に事欠いている。そう礼を述べねばと思うのに困惑して、口ごもってしまった。表情に乏しく、ぺったりと平板な聖母子像だ。修道院の工房でかくも悩ませられ、自らも嫌悪してきたあのギリシャの黒い画。主教の部屋や伝道館の壁にも小品の何点かは掲げられているが、もう気にならなくなっていた。伊太利画の流麗な線や鮮やかな色が圧倒的で、おどろおどろしい黒画は翳に沈んでいたのだ。~略~『聖書の物語を題材にしていても、それが聖なる画だとは限りません。ルネサンスの伊太利画を無闇に追うと信仰から遠ざかります。ルネサンスは人間性を謳歌する芸術至上主義。大変に魅力的です。でもわたくしは信仰者として懐疑します。聖像画は芸術であってはなりません』」そのうち主教が大変な依頼を持って、りんのところにやってきました。「『イリナ、大切な仕事』やはりそうかと、茶碗を机に戻した。『いずこの教会ですか』いかほど忙しい目をしても、教会や会堂が増えるのは嬉しい。甲斐もある。『いいや、此度は教会用ではねえ。奉呈する聖像画、用意してほしい』戸惑って、『どなたに奉呈なさるのですか』と訊き返した。『ロシア皇太子ニコライ殿下と、ギリシャ親王ゲオルギオス殿下にさし上げるのす。わたしからではねぐ、日本正教会の全信徒から、来日記念お贈りする』~略~『もちろん、イリナが描かねば』と、主教は茶を飲みながら安気な声だ。『日本人が制作する、それが大事。そして日本人の聖像画師、お前さん、ただ一人だ』」今回はここまでにします。
2021.12.08 Wednesday
昨日は工房での作業の後で、横浜の中心街にあるミニシアターに映画「ファンタスティック・プラネット」を観に行きました。本作は1973年に作られたアニメーションで、今を遡ること48年前になります。当時の私はまだ高校生で、その頃にこんな芸術性に優れたアニメーションがフランスと旧チェコスロバキアの合作映画として作られていたことに驚きを隠せませんでした。またこんな映画が上映される機会はミニシアターだからこそ出来るもので、エンターティメント映画とは違う趣向に、私の感覚は刺激を覚えたのでした。本作はシュールリアリスム絵画そのものであり、どちらかと言えばシュールリアリスムより古い初期フランドルの画家ヒエロニムス・ボスの世界観に近いものを感じました。その奇抜で独創的なデザイン性と不可思議な物語に、暫し我を忘れました。CGでアニメーションを制作している最近のものはどこか類型的で、滑らかな動画ではあるけれど、心に引っ掛かるものが足りないと思っていた矢先だったので、本作に流れる朴訥で圧倒的な美的感性が私を捉えたのかもしれません。内容はどこかの惑星の話です。青い肌に赤い目をした巨人族ドラーグと虐げられている人類オム族の種の存続をかけた闘いを描いていて、植物的な形態を持つ兵器が登場したり、集団としての連繋や会議の場面も描かれていて、現代にも通じる要素が取り入れられていました。パンフレットにこんな文章が載っていました。「リアルよりも空想の凄さに重きが置かれています。出てくるシュールなマシーンやクリーチャー。それにストーリー自体がブッ飛んでいますが、現代に於いては決して空想で片付けられない予言的メッセージも感じます。」(みうらじゅん著)
2021.12.07 Tuesday
連日工房に通う毎日です。一日のル-ティンで言えば、朝から2時間程度工房にいて、昼前に近隣にあるスポーツ施設に行って水泳をしてきます。午後も工房に戻って2時間程度制作をやっています。水泳は月曜日、火曜日、金曜日に出かけていて、時間が許す限りこの3日間は休まずにトレーニングをしてきます。お陰で体調は次第に良くなっているように感じています。年齢を考えると体力の維持は必要不可欠で、長く創作活動に関わっていくためにやっているようなものです。新作の制作では、今日から中規模作品の木材側面に描いた文様下書きの刳り貫き作業に入りました。私の作品は彫刻ですが、側面の文様を描いていた数日は、彫刻というより絵画的な作業でした。今日からは木工職人のような作業で、文様として描かれた大小の三角形の内側に穴を開け、そこから電動工具を使って三角形の形に刳り貫いていくのです。文様の場所によっては完全に刳り貫くことはせず、鑿で板材を削いで高低をつけていく作業もあります。それは全体を見ながら判断していくので、造形作家としてのセンスが問われる部分です。最初のイメージを見失わないように、日々コツコツと進めていくつもりです。夜になってネット情報を見ていたら、気になる映画がレイトショーで上映されていることを知り、夕食後に私一人で車で出かけることにしました。映画館は横浜中心街にあるシネマジャック&ベティで、自宅から車で20分くらいで到着します。映画が製作されたのは1973年で、今を遡ること48年前のアニメーションです。フランスと旧チェコスロバキアの合作によるもので、そのデザイン性に注目しました。映画「ファンタスティック・プラネット」は、コンピューターグラフィックスによりアニメーションが作られている昨今の画像処理とはまるで異なり、素朴な動きで表現されていますが、その芸術性の高さにシュールレアリスム絵画に見られるような豊かな情緒を感じました。これはさすが当時のヨーロッパの芸術潮流の中にあった斬新な動く絵画とも言え、50年近く経っているにも関わらず、まったく古さを感じさせない美意識が存在していました。詳しい感想は後日改めますが、夕食後にちょっと出かけた映画鑑賞で、今日は充実した一日になりました。
2021.12.06 Monday
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「四章 分かれ道」の後半部分をまとめます。自らの信仰に疑問を持っていた山下りんは、駿河台の教会を離れることを主教に伝えました。りんが聖像画家になるためにロシア留学の準備までしてくれた正教会に申し訳が立たない気持ちを振り切って、岡村竹四郎と政子夫妻の営む石版画印刷所で版下を描く仕事に就くことにしました。りんの兄も銅版画印刷所に勤めており、さまざまなところでりんの描く画が求められていたのでした。「こうして信陽堂に通ううち、画工らに請われて西洋画法を教えることも増えた。休憩時間に誰かをモデルにして一緒に鉛筆を動かしながら、画板を覗いて気がついたことを指導する。『頬の筋肉のつき方をもっとよく見て。骨格も歪んでいますよ』工部美術学校でもわずかな期間だが助手に任じられていたので教えるのは初めてではないが、今ほど確信を持って話すことはできなかった。」そんな折、教会に背中を向けたりんに主教が聖堂建設に苦心している様子が伝えられ、りんの心が揺さぶられることがありました。「主教が途方もなく孤独に思えてならない。その姿を思い泛べれば、胸の中が波立つ。~略~教団は、ただ一人の聖像画家を失った。主教が受け容れた事実が、頭の中をぐるぐると回っている。~略~主教様が背負っておられる重荷は、誰が分かち合っているのだろう。主教様はお勁いから、お独りでも大丈夫なのか。神がいてくださるから。でもずっと、休んでおられないのではないか。心の休息は一日たりともないのではないか。我知らず右手の指をつぼめ、十字を切っていた。主よ。どうか、あの方をお守りください。~略~信仰心がなくても、聖像画は描けるだろうか。~略~それは許されないだろうか。わたしが主教様のお役に立つことはできないだろうか。せめて、この手に握る筆で。」りんは兄と共に教会の主教をもう一度訪ねることにしました。これは兄が妹のために主教に許しを請うた言葉です。「不埒な願いであるとは、手前も重々承知しております。ですが、妹は聖像画師として生きたいと申してききませぬ。おなごでありながら画業のことしか考えられぬ一徹者、石より硬い頑固者ゆえ、思い留まらせることなどできんのです。どうか、教会に戻してやってくださいませぬか。」りんにとってはまず信仰ありきではなく、画業ありきの信仰だったのではないかと私は思いました。我が師匠の池田宗弘先生を見ていると、芸術家にはありがちな神への信奉なのかもしれません。