2019.11.13 Wednesday
横浜美術館で開催中の「ルノアールとパリに恋した12人の画家たち」展の図録の中で、20世紀初頭のパリに集った芸術家たちが、アフリカ芸術に感銘を受けて、自らの表現の中にプリミティヴな生命を宿した造形を取り入れたことが書かれていました。私も近代西洋美術史の中で、当時の画家や彫刻家を通してアフリカ芸術に触れ、その生命力の強さに惹かれてしまったのでした。私は日本にあるアフリカ系の雑貨店に時々立ち寄り、気に入った仮面等を購入して自宅の壁に掛けて楽しんでいます。そのうち工房にも仮面コーナーを作ろうと思っています。素朴で呪術的な造形が前衛芸術を牽引することになった動機は何か、図録から紐解いてみたいと思います。「19世紀半ば以降のヨーロッパでは、アフリカの植民地化が進むにつれて、同地に関する調査研究も進展した。~略~まずは民族誌的な資料として受容されたアフリカの器物であるが、やがて前衛芸術家たちがその美的価値を見出し、芸術としての側面を発見していく。~略~ピカソが《アヴィニヨンの娘たち》の制作に先立つ数か月前、すなわち1907年6月頃に、トロカデロ民族誌博物館でアフリカやオセアニア美術から啓示を受けたことはよく知られる。」(片多祐子著)そうしたことの動機となるコトバがフランスの美術評論家によって語られています。「われわれは公的なサロンの出品作にはうんざりしている。何か違うものを求めているのだが、それが何であるか確信は持てない。~略~この種の刺激を求めてわれわれはニグロ彫刻を、その迫真性、独創性、生命力といった質ゆえに称賛するようになった。」(アンドレ・ワルノー)画商ギヨームは非西洋の持つ力に共鳴して芸術家たちの橋渡しをやっていたのでした。「ポール・ギヨームの1910年代の活動を振り返ると、そこには、同時代の美術を擁護した姿だけでなく、ハイアートとしての絵画とサブカルチャーとしての〈ニグロ芸術〉の混淆を標榜し、時代を先駆けた文化の発信者としての姿も立ちあらわれる。彼にとっての〈ニグロ〉は、アフリカやオセアニアのオブジェという存在を超えて、『時代の精神』であり『新たな美学』であり、一つの思想であった。~略~モダンアートと〈ニグロ芸術〉は、相互に補完し合いながら、アンドレ・ブルトンが『最も早く近代の啓示を受けた者のひとり』として賞賛した、ポール・ギヨームの先見の明を物語っている。」(片多祐子著)
2019.11.12 Tuesday
先日、開館延長の金曜日に横浜美術館の「ルノアールとパリに恋した12人の画家たち」展に行ってきました。ルノアールを含む13人の画家はA・シスレー、C・モネ、A・ルノアール、P・セザンヌ、H・ルソー、H・マティス、P・ピカソ、A・モディリアーニ、K・ドンゲン、A・ドラン、M・ローランサン、M・ユトリロ、C・スーティンで、錚々たるメンバーの作品が出品されていました。これはパリのオランジュリー美術館所蔵の作品で、この時代の西洋絵画が好きな鑑賞者にとっては嬉しい内容ではないかと感じました。13人に共通しているのは全て画商ポール・ギヨームによる収集品で、時代を読む先見の明があった人の業績を讃える展覧会にもなっていました。図録から引用すると「ルノワールからスーティンまで、このコレクションは印象派から表現主義に至るまでの具象美術の系譜を際立たせている。~略~パリの前衛を好んだ創設者ギヨームの趣味に根ざすものである。一方で、ルノワールからピカソまでの貴重な傑作品によって特徴付けられる世界でもユニークなこの作品群には、どちらかというと古典的な部分を強調したいと願ったドメニカ(ギヨームの妻)の趣味とが、混ざり合ってもいるのである。」(S・ジラルドー著)とありました。コレクションの中でも今回はルノワールに主軸があるように思えて、改めてルノワールに対しての認識を新たにしました。「戦争がもたらした混乱や社会不安に対して人々は安定や秩序を求め、美術においても戦前のキュビズムやフォーヴィズムなどの前衛芸術の『行き過ぎ』に対する反動として、創作の源泉を古典に求め、人間性を回復しようとする動きが現れたのである。このような状況を背景に、女性の肉体美をおおらかに描くルノワールの後期作品に注目が集まるようになっていた。」(沼田英子著)今回の企画展に関するものはこれだけではなく、ギヨームの前衛美術に対する出発点が非西洋にあったことに私は注目しました。「ギヨームは、早くからアフリカ彫刻の芸術性に注目し、西洋と非西洋の美意識の融合のもとに前衛美術を牽引しようとしたのだが、彼のコレクションはそうした芸術観により構築され、この展覧会(1922年)はそれを端的に示したものだったと考えられよう。」(沼田英子著)私はアフリカ彫刻がこの時期の画家たちに影響した形跡に興味関心を持っていて、これに関しては別稿を起こそうと思います。
2019.11.11 Monday
今日は休日出勤日の代休で、貴重な一日になりました。朝8時から昨日準備したタタラを使って、4点目の根の陶彫部品の成形を行ないました。4点目の成形は約3時間かかりました。その次に前に作っておいた3点目の陶彫部品に彫り込み加飾を施しました。これも3時間はかかりましたが、これで今日の作業を終わるわけにはいかず、夕方には乾燥している陶彫部品をヤスリで滑らかにした後、化粧掛けを行い、窯に入れました。新作では2回目の窯入れになりました。この作業には2時間かかりました。合計すると今日は8時間ずっと作業をしたことになりましたが、制作工程の成形、彫り込み加飾、焼成とそれぞれの段階をひとつずつやっていて、なかなかバリエーションに富んだ作業だったなぁと思い返しています。その都度、集中もしていました。昨日もそうでしたが、凌ぎ易い気候のせいか、このところ集中力が増しています。あっという間に時間が過ぎていくので、気持ちが緩むことがありません。寧ろ作業が終了した後で、心身ともに疲労して動けなくなるのです。彫刻はつくづく精神の産物だなぁと思えることは、集中力が緩んだ時に、私の場合は胃腸の具合が悪くなるのです。自分では意識をしていないにも関わらず、陶土に対面している時は前後左右が分からなくなる不思議な緊張状態になってしまうために、身体の調整ができないのです。心理学で言うところのフロー状態とは、これかもしれないと思っているのですが、果たしてどうでしょうか。夜になって家内と母のいる介護施設を訪ねることにしました。腰の骨折で入院していた母は、手術が無事終わり、退院をして元の介護施設に戻っていたのでした。母の穏やかな顔を見たら、私にも元気が甦ってきました。明日からまたウィークディの仕事が始まります。次の週末も頑張ろうと思います。
2019.11.10 Sunday
昨日が休日出勤日だったため、私の職場は今日と明日を勤務を要しない日にしています。明日は土曜日の代休になります。先月から今月にかけて週末に雑多な用事が入っていましたが、漸く丸2日陶彫制作に充てられる週末を迎えることが出来ました。そこで「いつものように陶彫制作」というタイトルを敢えてつけさせていただきました。しかもこのところめっきり涼しくなってきて、創作活動には絶好の季節になり、心行くまで制作に没頭できました。今日は基礎デッサンを学ぶ若いスタッフもやってきていました。先日出かけた美術大学の芸祭に刺激をもらい、スタッフも私も新たな気持ちで今日の制作を頑張っていました。私は根の陶彫部品の彫り込み加飾を継続してやっていました。床置きの第1ステーションは4点の陶彫部品で構成しますが、その4点からそれぞれ這い出してくる根の陶彫部品を作っているのです。3点目まで成形が終わっていて、彫り込み加飾をやっていましたが、4点目になる成形を行うため、午後から土練りとタタラ作りを始めました。朝から夕方まで陶土に触れている一日は久しぶりで、集中力が増していくのが自覚できました。自分を忘れるほど夢中になれるものがあるのは幸せなことだなぁと実感しました。休憩として近隣のスポーツ施設に水泳に出かけました。集中した気持ちをちょっとクールダウンして、また工房に戻ってきました。再び集中するのに時間がかからず、あっという間に陶彫制作に埋没しました。夕方、スタッフを車で送るときはかなり疲れていましたが、心は満足していました。明日も継続です。
2019.11.09 Saturday
毎週末を創作活動に充てている私は、自分の中に一定のリズムが出来ていますが、それでも休日にいろいろな用事があるため、休日出勤に関しては抵抗がありません。寧ろ代休を月曜日に設定しているので、勤務管理のない雑多な用事よりは歓迎出来るところです。休日出勤で有難いのは、他の職場や方面別事務所から連絡がないため、溜まった仕事を片付けられる利点があるところです。整理が苦手な私にとって有効な時間と言えます。来年度人事を考えていると、迷宮に入り込んでしまうので、逆に時間があるのは辛いかなぁとも思いました。創作活動もいくらでも時間があれば良いというものではなく、作品に主張を語らせる思索や表現方法があって、それに向かって集中して制作できれば、自分のイメージ通りの世界が作れると思っています。密度のある時間を過ごすために、自分なりの手枷足枷を課す場合もあります。少なくても私はそうした条件があった方が集中力が増すのです。どうしたら創作の世界に自分を持っていけるのか、私の場合は普段からのトレーニングでしか考えられません。二足の草鞋生活は、社会的に必要とされる昼間の仕事と、社会的ニーズのない創作活動を巧みに組み合わせることで成り立っています。普通に考えれば創作活動を蔑ろにしてしまうところですが、私は物事の優先順位をつける時に思い切った発想をするようにしています。昼間の仕事に押され、また必要とされる昼間の仕事を言い訳にして創作を怠ることがないように、生涯に後悔を残さないために、大きな視野で捉えた結果として創作活動を第一に考えているのです。昼間の仕事は嫌でもやらなければならないものであるならば、自分が生涯を賭けてやりたい創作活動を最優先にすることで、二足の草鞋生活のバランスが取れるのです。余裕のある休日出勤日に思うこと、それは現在の仕事と週末の創作活動の兼ね合いをどうとっていくか、暫し立ち止まって考えることが出来たことです。