2020.02.14 Friday
「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅡ「近世禅僧の絵画ー白隠・仙厓」の中で、禅画とは何かを取り上げた箇所についてまとめを行います。「禅という、彼ら(欧米人)にとってはなはだ異質で難解な、それゆえ興味をそそる思想の図解として、禅僧の遺墨が期待されているむきがある。」という文章に示されているように、日本に興味関心が高い欧米人は、禅を知ろうとしてさまざまなアプローチをしている人がいます。私自身も禅のことをよく分かっていないのに、20代の頃ヨーロッパで暮らしていた時に、禅のことを彼らに問われて苦慮したことが思い出されます。私は禅について無知なことばかりで焦りを感じたと言った方がよいかもしれません。最近になって禅画の代表とされる白隠や仙厓のことを知り、禅画について、またそれが生まれる契機となった禅体験についても多少学ぶ機会を持ちました。「白隠の書画は、彼の禅体験と個性の結びつきから生まれた。他に類のないものであるし、仙厓の戯画もまた、南画や俳画と重なる要素を持つとはいえ、それらと一線を画すその独特な性格は、疑いなく彼の禅体験をくぐって生まれたと見られるからである。」ここで禅画の母胎となった道釈人物画についての説明がありました。「道釈人物画とは、仏教絵画に道教的な主題を合わせた呼称で、釈迦や観音、普賢、文珠、不動、羅漢、維摩といった仏像、達磨にはじまる禅宗祖師像、老子、蝦蟇鉄拐など、そして『禅機図』がこれに含まれる。」これはいわば絵のモチィーフです。さらに先を読んでいくと、私でも知っている禅僧が登場してきました。まずは雪舟の「慧可断臂図」で「禅と絵画との接点を彼なりに真摯に追求した気魄のこもる作品である。」とありました。次に一休で「一休の書は知られるようにきわめて個性的であるが、その画もまた稚拙なままに奔放な彼の個性をよく反映している。」そして沢庵。「春屋門下の傑僧沢庵宗彭もまた味わいある禅機図や山水画を手がけていた。」さらに先日NOTE(ブログ)で紹介した風外慧薫。「関東にあって文字どおり野の乞食僧としての生活に終始した曹洞宗の風外慧薫の画が注目される。~略~彼の画風もまた中世禅道の余技画の継承の、最後の余映として位置づけられるのだが、そこにはまた、同時代の上方の禅僧画の持たない素朴な野性や純真なユーモアが含まれていることも見逃してはなるまい。」禅画に関しては白隠や仙厓にまだ触れておらず、さらに知識をつけていきたいと思っています。
2020.02.13 Thursday
先日から「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)を読み始めています。本書は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、最初の章は両親について書かれていました。日米混血として誕生したイサム・ノグチ。その両親の事情は微妙な関係だったようです。結果論になりますが、イサム・ノグチが世界的な芸術家になったおかげで、両親も脚光を浴びたと言えます。父である野口米次郎は、アメリカでそこそこの活躍はあったようですが、日本では知られた詩人ではありませんでした。母のレオニー・ギルモアはノグチを育て上げた功績だけで、自身の文学は認められませんでした。文中からまず母についての文章を拾います。「レオニー・ギルモアは、並はずれて因襲にとらわれない独立独歩の女性だった。~略~写真では眼鏡をかけ、繊細で女教師風、いかにもアイルランド人らしいが、それが好もしい魅力になっている。」米次郎がアメリカで詩集を出すため翻訳を引き受けたのが、2人の馴れ初めでした。「米次郎のぎこちない英語にもかかわらず、詩の愛好家レオニーは詩の創造に関わるのがうれしかった。米次郎の詩はラプソディ風で陳腐になりがちだったが、レオニーがそのロマンティシズムに惹かれていたのは明らかだ。」次に米次郎についての文章を拾います。「長期にわたって外の世界から孤立していた日本は西欧に追いつくことを希求し、米次郎が慶應義塾に入学したとき、カリキュラムは西欧文化に重きをおいていた。米次郎は英語を学び、当時の多くの学生同様、渡米を夢見た。」アメリカにわたった米次郎は現地の小学校に通い、掃除、皿洗い、給仕などをやっていたようです。また文学者とも付き合い、その中で同性愛者だった詩人ストッダードとの愛情関係も取り上げられていました。米次郎はレオニーとはビジネスライクより一歩進んで親しい関係になったものの、彼にはエセル・アームズという恋人がいたようです。レオニーは米次郎の子を妊娠しましたが、エセルとの関係解消とはならず、レオニーは相当苦しんだことが伺えます。こうした事情を踏まえると、イサム・ノグチは焦がれて生まれた子ではなかったことが分かりました。帰国後の米次郎について、こんなことが書かれていました。「(米次郎は)日本語で書き、出版するのは不可能だと思い知る。日本人は、ヨネ・ノグチはその作品においてもあまりに西欧化されたとみなした。『どうみても異人らしく、眼玉の色の青い所など、なかなか日本人とは思われない』と有名な詩人の荻原朔太郎は書いた。何年もあと、米次郎はひとつの詩のなかで認めた。『僕は日本語にも英語にも自信が無い/云はば僕は二重国籍者だ』。同じようにイサム・ノグチは言うだろう。自分はどこにも所属しない、自分は世界の市民なのだ、と。」
2020.02.12 Wednesday
先日、東京上野にある東京国立博物館平成館で開催中の「出雲と大和」展に行ってきました。前にNOTE(ブログ)に書いた記事では、出雲と大和の相違を図録を利用して述べただけで、展示品については触れていなかったので、今回は銅鐸について述べていきます。さまざまな展示品の中で、私は形状から言って銅鐸に一番惹かれます。その鐸身に施された市松文様や重弧文や絵画的な線描にとりわけ興味が湧きます。私は銅鐸を純粋に美術作品として見て、自作に繋がる要素を見取っていると言えます。銅鐸がアートとして美しいと感じるのは私だけではないはずです。銅鐸は、弥生時代に中国大陸から伝来した鐘(鈴)で、鐸には青銅製の楽器という意味があるそうです。鐸身の内側に舌(ぜつ)を垂らして、それを揺らして音を鳴らしていたようで、梵鐘のように外から叩いた形跡はないのが分かっています。しかも時代と共に大型化して、楽器から祭器に変化したと推察されています。つまり聞くモノから見せるモノに変わったということでしょうか。銅鐸は西日本で多く出土しているため、日本の古代文化は西南が盛んだったことが判ります。図録に「近畿地方や北部九州と複雑に絡み合い、独特な青銅器祭祀を展開した出雲。この地域では弥生時代中期末から後期初頭において、他地域に先駆けていち早く銅鐸が埋納され、それ以降完全な形をした銅鐸は姿を消す。これは銅鐸が単なる農耕祭祀のシンボルではないことを示唆している。」(井上洋一著)とありました。まだまだ謎の多い銅鐸ですが、もちろん芸術的価値観など存在しない時代の産物で、古代の人々がどんな場面で使用したものなのか、またまとめて埋納したのは何故か、さまざまな学者の論考があるのも、私にとっては古代に対する魅力のひとつになっています。
2020.02.11 Tuesday
今日は「建国記念の日」で、職場としては勤務を要しない日でした。今日は国民の祝日ではあるのですが、昔から私は「建国記念の日」がしっくりせず、毎年この日を迎えています。建国記念日はどこの国にもあり、独立記念日だったり、国家が創建された日だったりしますが、わが国は建国した日が定かではありません。言うなれば日本書記が伝えるところの初代天皇である神武天皇の即位日になっていますが、神武天皇が果たして実在していたのかどうか、はっきりした証拠がありません。それでも明治5年(1872)に日本書記の記述を信じて「紀元節」が制定されましたが、第二次大戦後に天皇を崇拝する国家神道を、当時の米軍が排除する動きがあったため、結局紆余曲折を経て昭和41年(1966)に「建国記念の日」として制定し直しました。これは建国がはっきりしないため、建国されたという事実そのものを記念する意味があるようです。「建国記念日」ではなく「建国記念の日」としたのはそんな事情があってのことだとネットで知りました。私はそんな謎めいた歴史を有する日本という国が大好きです。先日、東京上野で見た東京国立博物館平成館の「出雲と大和」展は、そんな日本の謎に挑んだ企画展でした。私は古代が好きで、自らの創作活動も「発掘シリーズ」を突き詰めています。そこで「建国記念の日」である今日は創作活動に邁進することにしたのです。作業内容は相変わらずの板材刳り貫き作業でしたが、屏風6枚のうち4枚目が完了しました。まだ1層目なので、2層目のことを考えるとまだ半分くらいの工程かなぁと思いますが、刳り貫き作業は漸く慣れてきて、手際がよくなりました。5枚目に取り掛かったところで、5枚目と6枚目はそこに接合する陶彫部品の焼成が終わっていないために、正確な大きさが割り出せず、陶彫部品の面積を刳り貫くことは出来ませんでした。次の日曜日に窯入れをしようと計画しています。今日は充実した「建国記念の日」を過ごすことが出来ました。
2020.02.10 Monday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)を読み始めました。副題が「イサム・ノグチの芸術と生涯」とあって、本書は度々このNOTE(ブログ)に登場する日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチの評伝です。イサム・ノグチの評伝と言えば、何冊か自宅の書棚にも置いてあります。既読のものは「イサム・ノグチ」(ドウス昌代著 講談社)、「評伝イサム・ノグチ」(ドーレ・アシュトン著 笹谷純雄訳 白水社)、「夢みる少年ーイサム・ノグチー」(柴橋伴夫著 共同文化社)、「素顔のイサム・ノグチ 日米54人の証明」(四国新聞社)があって、その他にも庭園に関する評論集や作者自身が著したエッセイもあります。作品写真集やイサムの母に関する評伝もあり、和訳されたものはほとんど私は手に入れているのかもしれません。作家別の関連著作で言ったら、ジャコメッティよりイサム・ノグチの方が多く書棚に有していると思います。生い立ちは既読の書籍で十分知っているにも関わらず、また別のものを読み始めることはどういう意味をもつのか、これは著者の捉え方によってイサム・ノグチの世界観に別の視点が加わることを、私は期待しているのです。私の中でイサム・ノグチほど魅力を発信した芸術家はいないと思っているからで、その足跡を辿り、私自身の彫刻を考える上で己の指標になると信じているのです。香川県高松にあるイサム・ノグチ庭園美術館に私は2回訪れていて、普段の生活と創作活動が密接な繋がりがあることを確認してきました。自分の生き方や考え方、生活の周辺に至るまで全てが創作活動に集約されていく人生を自分も送りたいと考えていて、その理想的な人生の在り方がまだ出来ていないことに苛立ちを覚えることもあります。前に知人が言っていた65歳から75歳までの10年が理想的な環境の下で創作活動に邁進できるようになるでしょうか。いずれにしても自分次第ですが、「石を聴く」を読みながら自分の伸びしろを信じ、創作活動をもう一度見直し、自分にとって最良の道を選びたいと考えているところです。