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  • 4月RECORDは「うごめく」
    今年のテーマはひらがな4文字で考えるようにしています。4月のRECORDのテーマを「うごめく」にしました。漢字で書くと「蠢」で、春になって虫が大地から這い出して動き始める様子がイメージされます。所謂生命の萌芽とも言うべきか、殻を破って大気に踊る生命体を描いていこうと思いました。具体性のあるイメージをそのまま写実的に描いても面白くないと考えていて、象徴化や抽象化をしながら、生命体がうごめく状況を捉えてみたいのです。四季の中で、春はモノの始まりをイメージしやすいと思います。イメージとしては定番ですが、周囲の芽吹きだす木々を見ていると、その匂い立つ若葉青葉にこちらも胸が弾みます。時間的な余裕があれば、春を愛でに山野を歩きたいところです。流行の花粉症もありますが、そうした現代病は最近のもので、自分が幼い頃から記憶にすり込まれた春のイメージは、うごめく生命に溢れた爛漫な風景です。春を満喫できれば、RECORDの内容も変わってくるのでしょうが、都会に住んで職場と自宅を行き来する生活では、春は昔のイメージでしか甦ってきません。幸い工房の周辺は新緑に噎せ返り、土から小さな虫たちが這い出してくる様子を観察できます。今月は春めく景色を眺めながら、うごめく生命を表現したいと思います。
    「夢の仕事」(h)と全体のまとめ
    「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)第六章「夢の仕事」の(h)「二次加工」のまとめと第六章全体のまとめを行います。まず、夢における二次加工とはどんなものか、文中より拾ってみました。「表面的に見ると、非の打ち所なく論理的で適正に見える夢が成立することもある。それらの夢はありうる状況から出発し、その状況に矛盾のない変化を加えてさらに進行させ、そしてーこんなことは滅多にないがー奇異ではない結末にまで至る。こうした夢は、覚醒時の思考に似た心的機能による加工を、最深部にまで受けたのである。それらの夢はある意味をもつように見える。しかし、その意味は、夢のほんとうの意味とは、実際まったくかけ離れているのである。それらを分析すると、ここでは夢の二次加工が何の制約も受けずに好き放題に素材を扱ったため、その本来の関係はまったく残っていないと確信できる。」ここでは一度解釈された夢に二次加工が施されることがあることを述べています。第六章全体のまとめでは、今まで論考してきた夢の仕事の要約が述べられています。少々長くなりますが引用します。「今、夢の仕事に関するこの広範囲にわたる論究の要約に取りかかることにする。私たちが直面したのは、心は、いっさい抑止を受けずに、その能力すべてを発揮して夢の形成に取り組むのか、それとも、その働きのうち抑止を受けた断片的な部分だけでそれに取り組むのかという問題設定であった。~略~夢を形成する際の心の仕事は、二つの働きに分かれる。つまり、夢の想念を作り出す働きと、それを夢内容に変換する働きである。夢の想念は完全に適正で、私たちにとって可能な限りの心の力を費やして形成される。夢の想念は、意識化されなかった思考に属しており、また、意識的な想念も、そうした意識化されなかった思考から、ある種の転化を通じて生じるのである。~略~夢の仕事は、覚醒時の思考とは質的にまったく異なっており、それゆえ、覚醒時の思考とはさしあたり比較しえないのである。夢の仕事は思考、計算、判断はまったくしない。それはただ作り替えのみに専念する。それによって産出されるものが満たさねばならない条件を注視すれば、そのことで夢の仕事について語り尽くすことができる。この産物、すなわち夢は、何より検閲を免れねばならない。そして、それを目的として夢の仕事は、心的強度のずらしを用いて、すべての心的価値を転換する。また、想念は、もっぱら、あるいはおもに視覚的、聴覚的な想起痕跡という素材のみによって再現せねばならず、そして、こうした要求ゆえに、夢の仕事は描出の可能性を顧慮せねばならなくなる。そして、夢の仕事はこれに新たなずらしをもって対応する。こうしたとき、夢の想念において夜中に提供されるよりもさらに高い強度が(たぶん)必要とされるのであり、それに奉仕するのが、夢の想念のさまざまな構成部分に対してなされる大規模な圧縮である。」
    28年度の式典イベント
    今日のタイトルを見て理解した方は同業者です。私たちの仕事は式典的なイベントが年2回、祝祭的なイベントが年2回あります。通常は専門分野で分かれて仕事をしている全職員が、お互いの範疇を超えて連携し、ひとつのイベントを成功に導くために努力する場面が、前述したとおり通算4回あるわけです。職場を異動してきた職員や新人を加えて、平成28年度に初めて行う式典が、まさに今日ありました。今年度の職場は極小規模になっていて、職員は最小人数で対応していました。準備から片付けにいたるまで若手職員がよく動いてくれました。心より感謝です。自分が現在の立場になってみると、式典が滞りなく終えられることの有り難さを感じることが暫しあります。自分は目立つところにしかいないわけですが、陰で支える職員の目立たない力が、目立つ私を支えていると言っても過言ではありません。イベントとはそういうものかもしれません。個展も同じで、作品を作り上げていく苦労は忘れてしまって、出来上がった結果だけを見て評価されるのです。そんなことを思いながら、今日のイベントの結果はなかなか良かったのではないかと自負しています。
    上野の「ボッティチェリ展」
    既に終わってしまった展覧会を取上げて恐縮ですが、私も東京都美術館で開催されていた「ボッティチェリ展」に閉幕3日前に飛び込んだのでした。結果として見てきて良かったと感じています。画家サンドロ・ボッティチェリは15世紀にイタリアのフィレンツェで活躍し、有名な「春プリマヴェーラ」「ヴィーナス誕生」を描いた巨匠として知られています。自分は20代の頃、イタリアに出かけてこの有名な絵画を見て、その均整のとれた人物像や色彩の淡い輝く美しさに惚れ惚れした記憶があります。ボッティチェリはメディチ家のロレンツォ・イル・マニーフィコ(豪華王)の注文に応えて名だたる秀作を世に送りました。ボッティチェリの画家としての成育歴には、師であるフィリッポ・リッピとボッティチェリの弟子となったフィリッポの息子フィリッピーノの関わりが深く、とりわけフィリッピーノとボッティチェリはいずれ画業の好敵手になっていったようです。今回の展覧会にもリッピ親子の作品が多く来日していました。聖母子像を比べると、よく似た構成でありながらボッティチェリとフィリッピーノの間に表現の違いが見られます。ボッティチェリの表現はやはり秀逸で、女性の容貌ひとつとっても静謐で肌理の細かい描写が際立っていました。とりわけ「美しきシモネッタの肖像」は理想化された美の規範であり、いつまでも眺めていられる肖像画であろうと思いました。
    週末 陶紋制作を始める
    4月最初の週末をどう過ごすのか、今日は意地でも作品を作り続けたいと思っていました。朝から工房に篭って、陶彫部品の成形を行いました。集中する時間がやってきて、周囲の状況が眼に入らなくなりました。この瞬間を待っていました。取り組んでいる成形を少し乾燥させたいと思い、そのままの状態で近隣のスポーツ施設に出かけ、1時間ほど水中ウォーキングをやってきました。今日は作業に集中しているので、敢えて緩急をつけたいと思ったのでした。長く制作するためには集中したパワーを一度リセットしなければならず、そのためには軽いスポーツが最適です。水中ウォーキングの後、作品に必要な材料を買ってきました。午後になって再び集中し制作に没頭しました。家内に夕食に呼ばれ、その後もう一度工房に出かけました。作業が終わったのは夜7時半になっていました。工房への出入りはあったにもかかわらず、今日は朝から晩まで陶土に触れていたせいで、手がガサガサになりました。今日から始めた作品は陶紋です。陶紋は個展のたびに形態を変えますが、ずっと通し番号で作り続けている小品です。今回は太く短い円柱を基本として、そこに文様を彫っていきます。今日は基本形を5個作りました。サイズが小さく持ち運びが容易なため、図録では野外で撮影をしています。今回もカメラマンにお願いをして野外に持ち出していただこうと思っています。窯入れをしていなければ、陶紋の彫り込み加飾はウィークディの夜にやろうかと思っています。明日から新年度の職場体制が本格的に動き始めます。今週末は明日からの激務に備えて身体を休めたかったのですが、創作活動も佳境を迎えているため、身体を酷使してしまいました。これが一生続くわけではないと自分に言い聞かせ、何とか来週も凌いでいこうと思っています。