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  • ゲーテの「色彩論」について
    ドイツの文豪ゲーテの「色彩論」をきちんと読んだわけではありませんが、現在読んでいる「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」(小林敏明著 作品社)にゲーテの「色彩論」が引用されていて注目しました。著者の解説を引用します。「ここには色彩に関して明確な図式ないしは法則が表現されている。出発点は明と暗ないしは陽と陰を代表する黄と青の二極である。両者の混合から緑が生ずるのは二次的な現象とみなすことができるとしても、赤は両極がともにそれに向かって『高昇』していく目標、いわば第三の極として立てられており、ここに黄、青、赤のゲーテ流三原色が成立する根拠がある。発想の仕方だけから言えば、これはキリスト教理やドイツ観念論の哲学によく見られる三項図式あるいは弁証法の発想と同じである。そしてこの三原色を柱として打ち立てたうえで、それらの中間色となる緑、紫、橙が得られるという六色の図式法則が成り立つが、これがいわゆる色相環と呼ばれるものをなすことになる。~以下略~」学習指導要領中学校版美術科にある色彩の学習で色相環が掲載されています。その色相環はゲーテの色彩論に由来するものであることが分かりました。
    やり残した造形
    以前のNOTE(ブログ)に書いた記憶がありますが、夢の中で自分はもうひとつの人生を生きて、そこでも彫刻を作っているのです。その彫刻は人体を極限まで削り取った具象彫刻です。ジャコメッティとはちょっと違い、全体が細くなっているわけではありません。肩から手にかけて途中の量感がないのです。脚も膝から下がなく、足首と足がそこに在るといった具合です。ギリシャ・ローマ彫刻で失われた部分が、寧ろ鑑賞者に想像する面白さを与え、より広い空間を感じさせるのに似ています。途中の量感を失った人体彫刻は単体では立てません。そこで人体を支える格子で出来た壁があるのです。壁に寄り添うように部分しか残っていない人体があるといった風情です。素材は鉄の廃材です。既成の部品だった鉄材を溶接で組み合わせ、ボロボロになった人体が辛うじて存在している彫刻です。夢の中で若くなった自分は、どこまで鉄を削ったら人体でなくなってしまうのか、グラインダーで削り、また溶接で繋ぎとめる作業を繰り返しています。鉄による塑造は、やがて単体の人体から集団による群像に広がっていきます。これはどういうことでしょうか。自分はどうやらもう一度学生をやり直しているようです。自分の学生時代は粘土による人体塑造をやっていました。考えると自分は人体彫刻をやり切った感じが持てず、中途半端なまま古代都市の構造を取り入れて作品を抽象化していったのかもしれません。やり残した造形が今になって夢の中で現れてきているのではないかと考えています。いつか自分の過去に決着をつけられる時がやってくるのでしょうか。
    ギュンター・グラス追悼
    ドイツ人作家で画家のギュンター・グラスは、自分が滞欧中に知り得た巨匠です。直接ご本人にお会いする機会はありませんでしたが、作品としては映画「ブリキの太鼓」を観て、さらに自分の帰国後にエッチングによる版画展を西武美術館に見に行って、その生々しさのある表現に接しました。今でも頭にあるのは、映画「ブリキの太鼓」で、何かの臓物の中から鰻のようなモノが現れたり、主人公の子どもが叫ぶと周囲の建物のガラス窓が砕け散ったりという不思議な画像です。主人公オスカルは3歳で成長を拒み、その視点からナチス勃興から戦後に至るまでを描いていく物語で、その奇抜な発想に驚かされます。初めて観た印象は超現実的なイメージが交差する奇妙な映画として頭に刻まれました。解説によれば社会的偽善が剥がされることをねらいとしているようですが、現実的ではない部分が妙にリアルだったことが思い出されます。そのギュンター・グラスが亡くなったニュースが入ってきて、エッチングの超現実的でリアルな世界が好きだった自分は残念に思いました。今後まとまった遺作展や作品集が出るのでしょうか。最近、横浜のミニシアターで「ブリキの太鼓」を上映していたことが思い出されます。再上映はあるのでしょうか。もう一度「ブリキの太鼓」を観てみたいと思っています。
    週末 工房の日常
    週末になると工房で制作を続けていて、その進み具合をNOTE(ブログ)にアップしています。現在は木彫をやっていて、単調な作業に明け暮れているため、新たな進展として書ける内容がありません。そこで今回は工房の日常を取り上げてみます。週末になると通常は朝8時過ぎに工房を開けます。照明を点けて、カーテンを開け、ラジオのスイッチを入れます。番組はFMヨコハマです。9時頃に若いスタッフがやってきます。私が最寄の二俣川駅まで自家用車で迎えに行くのですが、工房に来る途中にコンビニに寄って昼食や飲み物を買います。スタッフは一人ひとりがアーティストであって、それぞれの課題に取り組んでいるのですが、場合によって私の作品の手伝いもしています。工房には彼らの制作場所もあって、昼食までそれぞれの場所に分かれて集中して作業をやります。このところスタッフは女性ばかりなので、箱に可愛いお菓子を入れて、冬場は熱いお茶が飲めるようなポットも用意しています。工房にはトイレがあるので、着替える場合はトイレを使用しています。何と言っても私の作品が占める面積が大きいのですが、環境的にも空間的にも自宅とは違うので、スタッフたちの工房利用度は高いのです。昼食の後は夕方4時くらいまで作業に集中し、工房の戸締りをして、彼らを駅まで車で送るのが日常になっています。私もスタッフも集中できる時間には限界があって、朝9時から夕方4時というのが翌日に疲れを持ち越さない時間かなぁと思っています。
    週末 完成を目指して…
    昨晩のカメラマンとの打ち合わせで、新作の完成ゴールがはっきりしました。制作は断然やり易くなり、今日も朝から工房に篭って「発掘~群塔~」の木彫の作業に明け暮れました。毎週末に作業をやっていて気づいたことがあります。土曜日と日曜日のうち、やはり土曜日の方が身体の動きが緩慢になっていることです。ウィークディの疲れが出ているためだと思っています。自分はそのつもりではないのですが、職場の中では神経を使っているのでしょうか。肉体的な疲れと言うよりは、何か気落ちするような疲れが残っているのです。そんな中で木を彫る作業は、心に元気が蘇ってきます。創作活動は麻薬のようです。実際の麻薬は勿論試したことはありませんが、何故か心が軽やかになり、瞬時に嬉しくなります。次の瞬間には作品に対する不満が出てきて、ウィークディの疲れとは違うストレスがやってきます。制作時間はあっという間に過ぎていきます。創作活動をやっていると人生は短いと思うことが暫しあります。今日は朝9時から夕方4時までの7時間、完成を目指して彫りに彫りまくって作業を終えました。明日も続行です。