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  • 「A・ロペス展」都市の変遷
    Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「アントニオ・ロペス展」について感想を書きます。ロペスはスペインの具象絵画界の巨匠で、日本では初の展覧会だそうです。私が見に行った日も多くの鑑賞者がいて熱心に作品に見入っていました。ロペスの描く具象世界は所謂スーパーレアリスムとは異なり、筆致の情感が伝わってくる画風で、古典的な技法を基礎にしています。人体の的確な肉付けを把握するため塑造を試み、またデッサンを多く描いています。スペインはベラスケスに代表される具象絵画の伝統国で、ロペスはその王道を歩く巨匠と言えます。家族や身近な風景を丹念に描く一方で、都市景観を巨大な画面に描き込んでいます。この都市景観の表現の卓抜さに自分は感動を受けました。都市景観の俯瞰。緻密に描かれた箇所と大きく捉えられた箇所の微妙なバランス。現代でも具象は写真とは異なり、作者の意図が抑揚された描写となって表れると自分は思っています。在りのままの情景を描いていても、決して在りのままではなく、たとえば時間を封じ込めた都市の変遷がそこに描かれていて、観る者を悠久の時間に誘います。ロペスのような画家がいる限り価値観が多様化した現代にあっても具象表現は健在であると自分は考えています。
    「佐脇健一 未来の記憶」展
    先日、目黒区立美術館で開催中の「佐脇健一 未来の記憶」展に行ってきました。まず、鉄やブロンズに鋳造された近現代建築を模した雛型が目に飛び込んできました。その重量感、しかも荒廃し錆びついた素材の存在感に圧倒されました。雛型からイメージする広大な風景。それはボックスに閉じ込めた小品にも共通するコンセプトで、撮影された青空を背景にポツンと建つ工場のような廃墟が鋳造で作られていました。それはどこかしら悲壮感が漂う孤独な現代都市の行きつくところを表しているようでした。作者本人が撮影した軍艦島の風化された建造物も、作品制作の動機を担っているようで、滅びゆく物質を提示することによって、あまりにも利便性を追求する現代文明の警鐘ともとれる思索を感じました。自分の作品は陶を素材にしているので、表し方は異なりますが、似通ったコンセプトがあるので、「佐脇健一 未来の記憶」展は大変参考になりました。
    「0・ルドン展」眼の浮遊
    新宿にある損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「オディロン・ルドン展」は、象徴主義の代表格とされる巨匠の多義に亘る絵画作品で構成されていました。ルドンと言えば自分は闇の中に浮かぶ奇怪な生命体を思い描きます。モノクロの画面から幻想が漂い、自己の内面を覗いた深遠な世界という印象を持っています。ルドンの代表的なモチーフに「夢」があります。「夢のなかで」と題されたリトグラフの連作は、生物学的興味と精神主義的意味の双方から眼という器官を重視していたルドンのヴィジョンがよく表れているように感じます。描かれた風貌の中で大きな眼のある生命体が浮遊している画面は、観る側によってさまざまな解釈が可能です。とりわけ眼は人間の器官の中で、内面を示す最も過敏な部分だと考えます。画面の中で、眼が中心に据わると他の部分の印象が薄まりますが、奇怪な生物に人間の眼がつくと愛嬌のある不思議なキャラクターに変わってしまいます。実際に眼が描かれていなくても、観る側に働きかけてくるのは画面全体がルドンの眼になっているのかもしれないと、数々の作品を見ながら自分は感じ取っていました。眼の浮遊、こんなコトバが思いついた展覧会でした。
    「ルドン 私自身に」読み始める
    「ルドン 私自身に」(オディロン・ルドン著 池辺一郎訳 みすず書房)を読み始めました。東京新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催されている「ルドン展」を先日見に行って、その関連として自宅の書棚に眠っていた同書籍を読もうと決めました。いつ購入したものか忘れましたが、再読ではなく初めて読むものです。萩原朔太郎の詩集も同時に読んでいますが、ルドンの著作は通勤電車の中で読むことにしました。ルドンは自分にとって画風に馴染みはあるものの、作者や作品理解に一歩踏み出せないでいる画家の一人です。ルドンの描く不可思議な世界を意識しつつ、その全貌を今まで知らずにきたので、今回は展覧会を含めてオディロン・ルドンその人に迫ってみたいと思います。通勤の僅かな時間を楽しみにしたいと思います。
    萩原朔太郎「月に吠える」再読
    田中恭吉の短い生涯の中で、田中が萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の挿画を担当したことが、自分も田中恭吉という画家を知る契機になり、また稀有な才能を持つこの画家が世に出ることになったと考えられます。詩集「月に吠える」は自分が若い頃に親しんだ詩集ですが、最近復刻版を手に入れました。「田中恭吉 ひそめるもの」(和歌山県立近代美術館企画・監修 玲風書房)を読み終えた後で、田中の挿画の入った同詩集(萩原朔太郎著 日本図書センター)を再読しようと思っていますが、詩集は小説や随想と違い、通勤電車の中では内容が頭に入りにくいため、自宅で味わうことにしました。通勤電車の中では別の書籍を選びます。若い頃読んだ同詩集は若々しい感受性に溢れたものとして自分の印象に残っています。若竹が一直線に空へ伸びていくイメージがあるからです。おまけに恩地幸四郎の装丁が美しく、田中恭吉の絵を生かしています。珠玉の一冊として大切にしていこうと思います。