Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 週末 新作の成形開始
    相原工房に関わっている若いスタッフが今日から展覧会を開催するので、朝早くから工房で額装をしていました。搬入準備が出来たところでスタッフを最寄りの駅まで車で送りました。スタッフの展覧会には明日行く予定です。今日から自分は新作の成形に取り掛かりました。イメージを思い浮かべながら陶彫の一番大きな部品を作ります。部品が連結し合い、地を這うように増殖していくイメージです。この時はとても楽しいと感じます。あらゆる可能性があるからです。タタラを作って乾かす間に、個展搬入用の箱作りも行わなければならず、木箱用の合板を買いに出ました。陶彫部品はそれぞれ木箱に入れておくのです。午後、合板を車に積んで工房に帰ってきました。それから陶彫の成形の再開で、夕方遅くまで陶土と格闘していました。明日は家内と東京の美術展に行く約束をしているので、成形の続きは明日の早朝にやろうと思います。2014年の個展に向けて、いよいよ新作作りが始まりました。
    2013個展打ち合わせ
    昨日のNOTE(ブログ)に個展の打ち合わせを掲載しようと思っていたのですが、中島修さんの急逝をギャラリーせいほうの田中さんから聞いて、取り急ぎ追悼文を掲載させていただいた次第です。昨日は午後から職場で年休をいただき、東京銀座に出かけ自分の個展の打ち合わせを持ちました。個展は例年通り7月15日(月)海の日から始まります。前週まで企画展が入っているため、搬入は前日の日曜日になりました。15日初日の夕方はオープニングパーティーを行います。来月には図録や案内状をギャラリーせいほうに届けます。いよいよ8回目の個展に向けて動き出しました。個展打ち合わせの後、せっかく東京に出てきているので展覧会を2つ回りました。銀座から六本木に移動し、六本木ヒルズ内の森アーツセンターで開催中の「ミュシャ展」に行きました。ウィークディにも関わらず、大変混雑していてミュシャの美しい世界観が多くの人を魅了している様子が窺えました。詳しい感想は機会を改めます。次に六本木ヒルズから歩いて10分ほどのところにある国立新美術館に行きました。開催中の「貴婦人と一角獣展」もミュシャ同様に西洋的な美しさに溢れていました。これも感想は後日にします。
    追悼 中島修 様
    オーストリア在住の石彫家中島修さんが4月4日に急逝しました。自分にとって中島さんはウィーン時代の師匠でした。もうひとりの師匠池田宗弘先生と中島さんは学校で共に彫刻を学びあった仲間で、この2人の巨大な先輩がいてくれたおかげで、自分は彫刻の道を歩いてこれたと言っても過言ではありません。鋭角な幾何抽象形態を作り続けた中島さん。オーバーエスタライヒの工房を訪ねてからもう30年経ちます。2012年には中島修作品集出版を記念した展覧会が、リンツ州立美術館で開催されたと聞き及んでおります。ギャラリーせいほうで自分が初めて個展をした8年前、オープニングパーティーに中島夫妻が来てくださっていて本当に驚きました。その後、下野昇叔父の声楽リサイタルでもお会いしました。その上野の文化会館で一緒に叔父の歌を聞いたのが最後だったのか、ギャラリーせいほうでの中島修展でお会いしたのが最後だったのか、自分の記憶は定かではありませんが、気さくなお喋りと石に向かう厳しい眼光が交互に現れるお人柄に、自分はいつも刺激を頂いていました。稀有な才能が失われていくのは残念でなりません。長年助手を務めてこられた奥様はどんなお気持ちでいらっしゃるのでしょうか。ご冥福を心よりお祈りいたします。
    2013図録打ち合わせ
    昨夜、今年の個展のための図録の打ち合わせをカメラマンと持ちました。今月6日に撮影した画像が一部出来上がってきたので、図録雛型のレイアウトに従って画像を選びました。「発掘~地殻~」「発掘~連築~」の全体と部分写真、表紙、セルフポートレイト等々を選んで組み合わせを考えました。「陶紋」の野外撮影は後日になります。日頃の公務の疲れで、夜自宅に帰ると頭が朦朧としていましたが、カメラマン2人が自宅にやってきて打ち合わせが始まると、気分が変わりました。毎回NOTE(ブログ)に書いていますが、打ち合わせは自分にとっては楽しい時間で、アナログな彫刻がデジタルな画像に置き換えられ、まるで違う相貌を見せるのです。そこが面白いと感じます。視点から処理に至るまで自分は全てカメラマン任せにしています。彼らの感覚に任せた方が大きな世界を獲得できるのです。また、アナログ作者とデジタル作者の個性の相違が刺激的な世界を生み出すと思っています。今回の図録も楽しみです。
    土方巽「病める舞姫」を読み始める
    今は亡き舞踊家土方巽の舞台が見られなかったのが、自分にとっては返す返すも残念でなりません。とは言え自分が表現活動に目覚めた時には、土方巽は自らの出演を辞め、振り付けや演出をやっていました。自分は20代初めの頃、「天井桟敷」や「状況劇場」といったアングラ劇をよく観ていて、大学の帰りに渋谷の天井桟敷館や新宿の花園神社にあった赤テントに足繫く通っていました。暗黒舞踊という言葉や土方巽という名前を知ったのもその頃でした。自分にとっては写真や評論でしか知らない伝説の舞踊家として土方巽は存在していました。手許にある「病める舞姫」(土方巽著 白水社)は限定復刻版で、古い印刷字体に土方独特な感覚が滲む文章です。舞踏の斬新さと土着性が共存する土方巽ワールドに暫らく心を委ねてみたいと思います。