Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 「田中恭吉 ひそめるもの」を読み始める
    「田中恭吉 ひそめるもの」(和歌山県立近代美術館企画・監修 玲風書房)を読み始めました。田中恭吉は明治時代から大正時代にかけて生きた夭折の画家です。23歳で他界した田中恭吉は、知る人ぞ知る画家ですが、私は20代の頃から存在を知っていました。とくに田中恭吉の木版画に見られるムンクのような表現主義的な作風に惹かれていました。自分は高校生の頃から詩に親しんでいて、詩人萩原朔太郎の「月に吠える」も知っていました。その詩集に絵を寄せたのが田中恭吉で、単なる装丁を超えた珠玉の詩画集のような雰囲気を持っていました。あまりにも早く逝ってしまった画家であるだけに資料も少ないと思い込んでいたところに、たまたま書店で本書を見つけ、田中恭吉の23年間の足跡を知りたいと思いました。今回も通勤電車の中でじっくり読んでいきたいと思います。
    「病める舞姫」読後感
    「病める舞姫」(土方巽著 白水社)を読み終えました。秋田県の半農の蕎麦屋に11番目の子として生まれた土方巽は、幼児の頃、農繁期には籠に入れられて田圃の畔に朝から晩まで置いておかれたようです。そうした東北での成育歴と生来の文学好きが相まって、本書が執筆されたのだろうと推測されます。郷土で過ごした少年期を、独特な視点から詩を綴るように描かれた本書は、暗黒舞踊家土方巽の頭の中のイメージから発していて、自叙伝とはまるで性格の異なるものでした。生前、本人も具体的な成育歴を語りたがらない傾向にあったようで、これも推測ですが、舞踊家として自身の周囲を神秘的にしておきたかったのではないかと思うのです。ともあれ「病める舞姫」は目で追うだけでは内容が入りにくく、読んでいる側も頭を空白にしていなければイメージが伝わらないと感じました。最後に澁澤龍彦による土方巽論を一部引用します。「私たちが知りつくしている古典バレエのリズミカルな、様式的な動作への期待を完全に裏切る、今まで私たちが一度として想像したこともないような、奇怪な肉体行使の可能性を暗示した驚くべきダンスであった。~略~ヨーロッパでは肉体のエネルギーはリズミカルな運動というかたちで表現することしか知られていないが、暗黒舞踊はこれを断絶、衰弱といったようなかたちにおいても立派に表現し得ているのである。これが土方巽という天才の発見した、まさしく日本の風土に根ざした踊りの形式ではないかと私は思っているのだ。」
    楽しかった「空想の建築」展
    このところ美術展によく出かけています。感想の機会を改めて持つと断言しているので、最近出かけた順番に展覧会の感想をアップしていきます。まず、連休中に出かけた町田市立国際版画美術館。同館で開催していた「空想の建築」展は自分にとっては大変有意義で、また楽しい展覧会でした。中世の画家ピラネージの細密な建築版画と、粗いタッチが空間を縦横無尽に走る「牢獄」シリーズがもう一度見たくて訪れましたが、現代の版画家であるエリック・デマジエールの室内を描いた版画にも魅了されました。ちょうど来年に向けてバベルの塔のような建築形態を陶彫で作ろうと決めていたところだったので、版画家のイメージが作り出す不可思議な建築物とその構図や独特な視点に自分が取り巻かれる感覚を持ちました。エリック・デマジエールの建築形態のひとつひとつのディテールが自分の感性の襞に触れて、自分が立体として甦らせたい衝動にも駆られました。日本人芸術家では、製図のような技法で近未来の風景を描く野又穣氏や、建築雛型もしくは機械製品にも見えるボックスアートを作っているコイズミアヤ氏の作品にも感銘を受けました。コイズミ氏の作品は、折しもこの時ボックスアートの巨匠コーネルの伝記を読んでいたところだったので、その関連として興味関心を持ちました。
    アングラ演劇に魅せられた頃
    土方巽の書物「病める舞姫」(土方巽著 白水社)を読んでいて、自分は暗黒舞踊を観たことがないにも関わらず、20代の頃によく観ていたアングラ演劇のことが懐かしく思い出されてきました。どうしてアングラ演劇が好きになったのか自分でも定かではありませんが、アングラ演劇が社会現象として当時多くの若者を惹きつけていたことは確かです。アンダーグランド(地下)文化が流行った背景として政治や社会情勢があったのかもしれませんが、自分にはそのあたりの事情がよくわかりません。ただ、不条理で辻褄が合わない内容展開がとても面白かったし、創作活動を始めたばかりの自分には、そうした劇空間に活力をもらえたことが良かったと述懐しています。野外演劇あり、テント小屋あり、都会の中の小劇場もあって、謎に満ちた秘めたる空間に入っていくことで気持ちが昂り、そこで繰り広げられる幻想と現実が交差する演劇に没入していきました。役者の鍛えこまれた肉体、機関銃のように発射する台詞、轟く効果音に感覚が痺れてきて、観客である私たちはムシロの上にギュウギュウ詰めに座っているのさえ忘れてしまうのでした。前段階としてダダやシュルレアリスムの運動がありましたが、時代が既成概念を壊し、新たなものを創造しようとする気概があったのではないかと当時を振り返っています。
    週末 具象・象徴絵画を堪能
    今日は朝から家内と東京の美術館巡りを予定していましたが、昨日新作の陶彫部品の成形が終わらなかったため、朝6時に工房に行って成形をやっていました。何とか目途が立ち、9時半に家内と東京に出かけました。横浜駅から湘南新宿ラインに乗って池袋駅まで行き、西武池袋線に乗り換えて練馬区立美術館へ。同館で開催中の「牧野邦夫展」はレンブラントを師と仰いだ画家が、驚くべき集中力と描写力で描き上げた絵画でした。「写実の精髄」という副題がついていましたが、まさに61歳で他界するまで果敢に挑み続けた具象の極みに感銘を受けました。詳しい感想は機会を改めます。次に向かったのは新宿駅にある損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「オディロン・ルドン展」。ルドンは象徴主義の画家で、お馴染みのモノクロの幻想性に加えて、独特な色感をもつ絵画が展示されていました。これも感想は改めます。次に向かったのは渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「アントニオ・ロペス展」。ロペスはスペインを代表する具象絵画の巨匠で、人体について彫塑を媒体に研究することで絵画性を高めていたことが今回の展示を通して解りました。代表作である都市風景の俯瞰的な視点とその描写力に裏打ちされた巨大な絵画は、今回の出品作の中でも圧倒的な存在感を持っていました。これも感想は後日。最後に訪れたのは工房スタッフのグループ展で、上野毛駅前のダイニングバーが会場でした。先日まで工房で取り組んでいた油絵を含めた数点の絵画を展示していました。3巨匠の具象・象徴絵画を堪能した後でしたが、若いスタッフはまだ自己表現のスタートラインに立ったばかり、これからの精進に期待したいところです。