2023.11.14 Tuesday
とつおいつ考えながら大切に読んでいた「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)を漸く読み終えました。解説には哲学者谷川徹三氏が寄稿しています。「『古寺巡礼』は大正8年(1919)和辻さん30歳の時、岩波書店から出された。昭和21年(1946)の『改訂版』によると、『大正7年の5月、二、三の友人とともに奈良付近の古寺を見物したときの印象記』とある。~略~まだ(谷川氏が)学生であった頃この書の初版本を愛読し、全集刊行の際、解説を書くために、初版本と改訂本とを読み比べた時にも、多くの個所で、和辻さんが削除した部分に、私は若い和辻さんの、全く我を忘れた感激の純度を、ひしひしと感じた。~略~和辻さんが削除した言葉には、感激による誇張があるにせよ、実感の生なましさが素直に出ていて、捨てがたいものがある。と同時に、後に学者として大成した和辻さんが、生来感覚の鋭敏な、感受性の豊かな、さらに感情量の大きな人であったことを証している点で、学者としての和辻さんの理解に資するものを含んでいる。」私が読んでいたのは勿論改訂本ではあるけれども、著者の鋭い感覚はよく伝わってきました。こんな視点もありました。「もちろんこの書の人々の心を捉えるのは、その『若い情熱』だけではない。この書がアジャンタの壁画の模写を友人の家で見るところから始まり、ギリシャ文化の影響が東漸から、初期仏像芸術の成立の経過を詳細に語っているように、世界的視野の中で、広く物を見、伎楽の面に接しても、当時の仮面劇の演出に思いをはせ、ひいては舞楽から猿楽、田楽、能、狂言と展開する舞台芸術を、自由に空想の翼をひろげて述べているようなところにもある。」空想の翼でこんなところにも着眼していました。「薬師寺の東院堂の聖観音の作者についての想像は、玄奘三蔵が長安に伴い帰った西域人で、彼はガンダーラ美術の間に育ち、グプタ朝の芸術に激動を受け、十年近い中国滞在で漢人の美術の素朴と勁直とに愛着をもち、日本に渡って大和の安らかな山河の中でこの像をつくったことになっている。」これは文学的魅力と解説者は捉えていて、著者の豊かな歴史的知識の裏付けがあっての想像だろうと私も思いました。
2023.11.13 Monday
「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)は単元で分けず、内容として私の興味関心を惹いたものを順次取り上げようと思います。今回取り上げるのは「中宮寺観音」です。現在は「伝如意輪観音像」と称していて、京都の広隆寺にある「弥勒菩薩半跏像」と合わせて、比類なき2大半跏思惟像と私は思っています。私が教職にあった時、修学旅行で生徒を引率し、この奈良と京都に坐する2大半跏思惟像を見せて、生徒に感想を言わせたこともありました。では中宮寺の観音についての和辻流感想文を引用いたします。「あの肌の黒いつやは実に不思議である。この像が木でありながら銅と同じような強い感じを持っているのはあのつやのせいだと思われる。またこのつやが、微妙な肉づけ、微細な面の凹凸を実に鋭敏に生かしている。そのために顔の表情なども細やかに柔らかに現われてくる。あのうっとりと閉じた眼に、しみじみと優しい愛の涙が、実際に光っているように見え、あのかすかにほほえんだ唇のあたりに、この瞬間にひらめいて出た愛の表情が実際に動いて感ぜられるのは、確かにあのつやのおかげであろう。あの頬の優しい美しさも、その頬に指先をつけた手のふるいつきたいような形のよさも、腕から肩の清らかな柔らかみも、あのつやを除いては考えられない。だから光線を固定させ、あるいは殺し、あるいは誇大する写真には、この像の面影は伝えられないのである。しかしつやがそれほど霊活な作用をなし得るのは、この像の肉づけが実際微妙になされているからである。その点でこの像は百済観音とはまるで違っている。むしろ白鳳時代のもののように、精妙な写実を行なっているのである。顔や腕や膝などの肉づけにもその感じは深いが、特に体と台座との連関において著しい。体の重味をうけた台座の感じ、それを被うている衣文の感じなど、実に精妙をきわめている。」今回はここまでにします。
2023.11.12 Sunday
週末のNOTE(ブログ)のテーマは創作活動に関連したものにしています。今日は「プリミティヴ・アートと私」と題して自分の趣向の方向性を考えてみたいと思っています。私は小さな手帳に展覧会記録を残しています。最近のもので言えば9月14日「土方久功と柚木沙弥郎」展(世田谷美術館)で見た土方による木彫の仮面や柚木による町の人々を人形にした群像、10月5日「キュビズム展」(国立西洋美術館)で見たアフリカの仮面とその影響下で制作されたピカソやモディリアーニの作品の数々、11月8日「棟方志功展」で見た文様が画面全体に施された豊満な女体像を彫り込んだ板画の数々があります。この展覧会に通底するものがプリミティヴ・アートです。私は10代の頃からこうした素朴で生命力が漲る作品に惹かれてきました。高校生の一時期は作品の巧拙を気にした時期もありましたが、それは博物館で見た縄文土器や民芸店に飾られていたアフリカやアジアの仮面や彫像を見たことで、作品そのものが持つ力強さに惹きつけられていったのでした。縄文土器を美術の視点で論じた岡本太郎の「縄文土器論」も私を後押ししてくれました。海外で購入したドイツ語版「プリミティヴ・アート」も私の手元にあり、私の趣向は完全に人間の生の根源から発せられた表現に向っていったのでした。私自身の作品もプリミティヴなものが常に創作の底辺にあり、土によって現れる造形に生命の根源という魂を込めています。今日も朝から陶土と対話していました。時に私に従順で、時に私に歯向かってくる無言の素材は、私よりずっと永く地球上に存在し、焼かれた後も私よりずっと永く造形を保っているのです。後世、誰かが私の造形の一部を発掘することがあるのでしょうか。その時はそれをプリミティブ・アートと称するのでしょうか。私は想像を逞しくしながら今日の作業を終えました。
2023.11.11 Saturday
週末になりました。今週も相変わらず陶彫制作に精いっぱい取り組んでいましたが、今週は何と言っても月曜日に映画「ゴジラ-1.0」を観に行き、水曜日に東京の美術館に「棟方志功展」に行ったことが印象的でした。「若い頃と向き合う」というタイトルは、ゴジラ映画は私が幼いころから慣れ親しんでいた世界で、映画館で見た初期のゴジラは、ゴジラの着ぐるみを着た人が獰猛に怪獣を演じて、ミニチュアの街を襲う設定に、子どもの私はリアルと錯覚して恐怖を感じていたため、こんなタイトルをつけたのでした。私はゴジラの撮影技術の進歩と一緒に成長してきたと思っています。版画家棟方志功は、私が高校生の頃にその世界を知った人で、当時の私はざっくり彫られた画面を見て、やった者勝ちという評価を下していました。それも私の若気の至りで、棟方ワールドの迫力や生命力を感じるに従って、評価も正当なものに変えていったのでした。ともかく自分自身の振り返りをさせていただいた映画であり、展覧会であったと思っています。一人の人間の成長には、その過程を通じて価値観の変動があり、そこで気づいたことを糧としていくものだろうと私は考えます。私は仕事を退職した後も幸いなことに創作活動に従事しているため、その時その場で得た糧を充分咀嚼するための手段が残されています。私は自分自身がまだ成長過程にいると信じていて、自分が学んだものが、自分の創り出すものに横の振幅と縦の深みを与えてくれると思っているのです。実技と鑑賞が車の両輪となって前に進んで行くイメージは、そこから生まれたもので、私が大切にしているものなのです。
2023.11.10 Friday
先日見に行った東京国立近代美術館で開催中の「棟方志功展」。回顧展としての代表作品が陳列する中で、いくつか自分の心に響いた作品がありました。有名な「二菩薩釈迦十大弟子」や「華狩頌」も久しぶりに眼前に登場したので、じっくり観させていただきましたが、本展で一番私が気になった作品は「鷺畷の柵」でした。この作品は1960年の作品で、青森県庁の知事室に飾られていたようです。図録によると当時の知事が「郷土の遠い遠い過去から連めんとつづいている風土と感情が、目の当たり そこにー深々と存在するのを感じるためであろうか」と書いています。棟方志功は青森県の出身で、郷里のねぶた祭りの豪放な雰囲気を作品に反映させていますが、国際的名声を得ても氏神を祀る土俗性を忘れることなく、一心不乱に己の表現するものに邁進していった稀有な芸術家であったと私は思っています。仏教の用語を散りばめた豊満な女体像を得意としていた作品群の中で、私は敢えて白黒版画の「鷺畷の柵」を選びました。この作品には何が描かれているか、ちょっと見ただけでは分からず、装飾が画面いっぱいに広がった世界がそこに存在しています。鳥形が繰り返し登場し、白黒が反転し、そこに具象的な説明は出来ません。何が描かれているかより、全身全霊で感じ取る究極の象徴があるのです。プリミティブな要素としては彫跡が生々しく残されているので、芸術家の生きざまが全画面に刻印されていて、全体構成の計算と芸術家が挑んだ熱情が巧みなバランスを保っていると私は感じました。この作品に出会えただけでも本展に来て良かったと思えたひと時でした。