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  • 2月をどう過ごすか…
    2月になり、今月について思うところを書いていきます。教職に就いていた頃は、毎月制作目標を決めて、短い創作時間の中でどう効率よく作業を進めるかを考えました。今はそれがありませんが、寒さは相変わらずで、工房での過ごし方にひと工夫必要かなぁと思っています。今日は工房に美大生がやってきました。平日ですが、大学は入試のために休みに入り、次に登校するのは4月だそうです。大学は夏休みより春休みの方が長かったなぁと思い出し、当時の私も肉体労働のバイトに明け暮れていました。教職に就いていた頃は、生徒の入試のための準備資料を用意して、管理職になってからは模擬面接をやったり、入試の日に不測の事態が起こらないことを祈っていて、全員が無事入試を終えて帰宅したという連絡を受けて、ホッとしたことも思い出しました。今は自分の事だけやって一日が過ぎていくので、こんな気楽なことがあるだろうかと改めて思います。それでも私には創作活動があるので、決して暇を持て余しているわけではなく、7月個展に向けて着々と準備をしているところです。今月の予定としては退職校長会主催によるグループ展に出品することになっていて、その準備もしなければなりません。出品作品は小品のため7月個展のような大掛かりな準備が要らないことが救いです。日々の制作は相変わらず陶彫立方体とRECORDをやっていきます。読書も継続です。ここ数日は気温の変化が大きく、私は喉がいがらっぽくなり、咳が出るのが気になるところです。一昨日、昨日と叔父のお通夜と葬儀に付き合っていたのですが、今日2日ぶりに工房で陶彫制作に接して、彫刻と言う表現は結構身体を酷使するものだなぁと感じました。寒い中で毎日こんな作業をやっていたら体調もおかしくなるよなと思いました。
    2月初日は叔父の告別式
    今日から2月です。昨日のNOTE(ブログ)にも書きましたが、叔父の下野昇が亡くなって今日が告別式でした。叔父は声楽家で昨年の4月にはテノール・リサイタルを横浜で開いています。叔父は家内の叔母と結婚した人で、佐賀県に生まれ、東京藝大声楽科を卒業、ウィーンに留学しています。帰国後は二期会に所属し、さまざまなオペラの主役をやってきました。劇団四季のミュージカル「CATS」にも出演し、私たちはその都度観劇に行っています。私たちがウィーン滞在時に、師匠にレッスンをつけてもらうために、叔父は単身ウィーンにやってきたこともありました。家内と付き合い始めてからずっと私は、叔父が親戚になったことで力強い理解者を得たと言ってよく、私の彫刻をも購入してくれました。そんな叔父でしたが、寄る年波には勝てず、ついに享年88歳で逝去してしまいました。告別式は音楽葬とも言えるもので、叔父が最後の舞台でソプラノ歌手と歌った歌曲を、叔父の歌は録音で、ソプラノの女流声楽家がそこに合わせる趣向を行いました。これには多くの参列者の涙を誘いました。女流声楽家は涙ながらによくこんな声量が出せるものだなぁと、私は感涙とともに感銘を受けました。出棺の時は、叔父が地域の合唱団を長年指導してきた功績が光り、その合唱団の方々による合唱で見送られる演出がありました。これにも叔父らしい雰囲気が感じられて、叔父の旅立ちに相応しいものとなりました。地域の繋がりを大切にしているのは私の師匠池田宗弘先生も同じです。それに比べて私はまだ足元がしっかり出来ていないので、これからに向って地域繋がりを大切にしたいなぁと思っています。昨日に続き、今日は疲れました。教職にいた頃は数多のお通夜や葬儀に参列してきましたが、今日みたいな多くの人に支えられ、それが明らかだった告別式は初めてでした。明日から日常に戻りますが、叔父は忘れられない何かを残してくれた気がしています。
    1月の最終日に思うこと
    今日で2024年最初の1ヶ月である1月が終わります。今月を振り返る前に、つい先日、声楽家であった叔父が亡くなり、今日がお通夜でした。享年88歳。親戚の中では唯一芸術表現をやっていた人で、つまり私の最大の理解者でした。たとえ叔父が老齢であっても私には残念でなりません。とうとう叔父が逝ってしまったのかと、私は寂しい気持ちでいっぱいでした。明日が告別式なので、叔父に関することは明日のNOTE(ブログ)に書こうと思います。今月を振り返ると、31日間あったうち工房に出かけたのは30日間ありました。元旦は窯入れの温度確認に行っているので作業はしていませんでしたが、初詣に出かける前に工房に立ち寄ったのでした。工房に行かなかった1日は教え子と映画に行った日で、この日は制作を完全にオフにしていました。展覧会散策の日は工房で作業をしていましたが、美大の卒業制作展に行った日は元旦と同じく窯入れの温度確認に工房に立ち寄っています。ここまで陶彫制作に埋没していると、手がガサガサになり、ハンドクリームがすぐなくなってしまいます。今月も陶彫立方体作りを飽きもせず繰り返し行っているのですが、制作と言うより修行ではないかと思う時があります。でも不思議と退屈はしません。彫り込み加飾で頭を使っているせいでしょうか。今月の展覧会は「みちのく いとしい仏たち」展(東京駅ステーションギャラリー)、卒業制作展(多摩美術大学)の2つでした。映画館には「ビヨンド・ユートピア 脱北」(kino cinemaみなとみらい)、「メンゲレと私」(シネマ ジャック&ベティ)の2本に行きました。鑑賞としてはまぁまぁかなと思っています。RECORD制作は毎晩頑張っていましたが、なかなか追いつけない状況が続いています。これは粘り強く取り組んでいきます。読書はバロック時代の巨匠カラヴァッジョに関する書籍を味わいながら読んでいます。結構面白くなっていて、楽しみになってきています。
    映画「メンゲレと私」雑感
    「ホロコースト証言シリーズ」3部作の三作目「メンゲレと私」を観てきました。前2作を私は岩波ホールで観ていましたが、今回は横浜のミニシアターで上映しているのを知って早速出かけたのでした。3部作とも私は一人で行きました。いずれもオーストリアで制作されたドキュメンタリーで、これを残しておかなければホロコーストの実態が分からなくなるという思いがあったのだろうと思います。解説を引用いたします。「『メンゲレと私』は1930年代から40年代にかけて、苛酷な運命に翻弄されつつも奇跡的に生き延びた、とある少年の数奇な人生を描いている。それは、少年だったダニエル・ハノッホが、生まれ故郷であるリトアニアのカウナスから、ユダヤ人ゲットーや幾つかの強制収容所での生活を経て、パレスチナまで辿り着くまでの『放浪の日々』を記録した、成長物語でもある。ダニエル・ハノッホの家族がナチ・ドイツによってゲットーに収容された時、ダニエルはわずか9歳だった。その後、12歳の時に、ダニエルはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に連行されることになる。彼は、ランぺと呼ばれる降荷場で、木製の荷車に死体や荷物を乗せて、クレマトリウム(ガス室や焼却場などの複合施設)へ運ぶ仕事に従事させられたのだ。時に彼は、双子の人体実験で恐れられ、”死の天使”と呼ばれれていたヨーゼフ・メンゲレ医師の模範的な囚人役を務めねばならず、さらには戦争末期に、西部へ向かう”死の行進”にも連行された。終戦間際、オーストリアにあったマウトハウゼン強制収容所とグンスキルヒェン強制収容所で、ダニエルはカニバリズムを目撃している。」ここで私は身の毛がよだつ戦慄を覚えました。従来のホロコーストには登場しなかったカニバリズム、つまり人が人肉を食らう行為が初めて語られ、そんなこともあったのかと認識しました。ダニエルはこれを真っ向から否定し、戦時下でもやってはいけない行為としていたのには、人間としての最低限の品性があったと思いました。映画のほとんどはインタビューによるものですが、語られる内容の悲惨さに改めて驚愕し、現在もイスラエルとハマスの間で戦争をしている現状を考えると、決してこれは昔のことではなく現在進行形で行われている虐殺行為なのだと自覚しました。
    「バロック的ヴィジョンへ」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第4章 幻視のリアリズム」から「4 バロック的ヴィジョンへ」の気になった箇所を取り上げます。この単元で第4章は終了です。本単元ではベルニーニが登場してきますが、ベルニーニと言えば、私は劇的な彫刻を作るバロック時代の巨匠と認識しております。「現実性を取り込んだカラヴァッジョ的なヴィジョン表現は、ベルニーニによって発展し、変質していったのである。」ベルニーニに関するこんな記述もありました。「ベルニーニはこのように絵画・建築・彫刻、そして光を融合させた総合芸術によって観者のいる現実空間を神秘劇の劇場に変容させたが、カラヴァッジョの場合も、《聖パウロの回心》のチェラージ礼拝堂のように現実の光を取り込むことや、《エマオの晩餐》や《キリストの埋葬》などに見られるように、観者の視点に合わせて画面を構成し、画中から突出するイリュージョンや、画中に民衆や写実的な静物のモチーフを導入することで画中の空間を観者の空間に接続させること、そして《聖ルチアの埋葬》や《ラザロの復活》のように、設置される空間の歴史や環境を考慮してこれを作品に反映させるといった、様々な手法によって現実空間にヴィジョンを現出させる『劇場化』を試みていた。ベルニーニは、カラヴァッジョが絵画のみで行った空間の劇場化を完全に理解し、彫刻や建築を動員して完成させたといってよい。」さらにカラヴァッジョに関してこんな評論もありました。「アルガンはカラヴァッジョのリアリズムとは、『生ではなく死の側から眺めた世界のヴィジョン』であると評したが、それは、ありふれた現実を突如として奇蹟的なヴィジョンに変貌させる特異なリアリズムであった。現世の事象のうちに神の啓示を見るだけでなく、そのヴィジョンを誰にでも触知でき、どこにでも起こりうるものとして表現したのである。客観的なリアリズムを通して内面的なヴィジョンを表現しえた点にこそ、カラヴァッジョの真骨頂があるといってよいだろう。」今回はここまでにします。