2023.11.11 Saturday
週末になりました。今週も相変わらず陶彫制作に精いっぱい取り組んでいましたが、今週は何と言っても月曜日に映画「ゴジラ-1.0」を観に行き、水曜日に東京の美術館に「棟方志功展」に行ったことが印象的でした。「若い頃と向き合う」というタイトルは、ゴジラ映画は私が幼いころから慣れ親しんでいた世界で、映画館で見た初期のゴジラは、ゴジラの着ぐるみを着た人が獰猛に怪獣を演じて、ミニチュアの街を襲う設定に、子どもの私はリアルと錯覚して恐怖を感じていたため、こんなタイトルをつけたのでした。私はゴジラの撮影技術の進歩と一緒に成長してきたと思っています。版画家棟方志功は、私が高校生の頃にその世界を知った人で、当時の私はざっくり彫られた画面を見て、やった者勝ちという評価を下していました。それも私の若気の至りで、棟方ワールドの迫力や生命力を感じるに従って、評価も正当なものに変えていったのでした。ともかく自分自身の振り返りをさせていただいた映画であり、展覧会であったと思っています。一人の人間の成長には、その過程を通じて価値観の変動があり、そこで気づいたことを糧としていくものだろうと私は考えます。私は仕事を退職した後も幸いなことに創作活動に従事しているため、その時その場で得た糧を充分咀嚼するための手段が残されています。私は自分自身がまだ成長過程にいると信じていて、自分が学んだものが、自分の創り出すものに横の振幅と縦の深みを与えてくれると思っているのです。実技と鑑賞が車の両輪となって前に進んで行くイメージは、そこから生まれたもので、私が大切にしているものなのです。
2023.11.10 Friday
先日見に行った東京国立近代美術館で開催中の「棟方志功展」。回顧展としての代表作品が陳列する中で、いくつか自分の心に響いた作品がありました。有名な「二菩薩釈迦十大弟子」や「華狩頌」も久しぶりに眼前に登場したので、じっくり観させていただきましたが、本展で一番私が気になった作品は「鷺畷の柵」でした。この作品は1960年の作品で、青森県庁の知事室に飾られていたようです。図録によると当時の知事が「郷土の遠い遠い過去から連めんとつづいている風土と感情が、目の当たり そこにー深々と存在するのを感じるためであろうか」と書いています。棟方志功は青森県の出身で、郷里のねぶた祭りの豪放な雰囲気を作品に反映させていますが、国際的名声を得ても氏神を祀る土俗性を忘れることなく、一心不乱に己の表現するものに邁進していった稀有な芸術家であったと私は思っています。仏教の用語を散りばめた豊満な女体像を得意としていた作品群の中で、私は敢えて白黒版画の「鷺畷の柵」を選びました。この作品には何が描かれているか、ちょっと見ただけでは分からず、装飾が画面いっぱいに広がった世界がそこに存在しています。鳥形が繰り返し登場し、白黒が反転し、そこに具象的な説明は出来ません。何が描かれているかより、全身全霊で感じ取る究極の象徴があるのです。プリミティブな要素としては彫跡が生々しく残されているので、芸術家の生きざまが全画面に刻印されていて、全体構成の計算と芸術家が挑んだ熱情が巧みなバランスを保っていると私は感じました。この作品に出会えただけでも本展に来て良かったと思えたひと時でした。
2023.11.09 Thursday
昨日、東京竹橋にある東京国立近代美術館で開催されている「棟方志功展」を見てきました。副題に「メイキング・オブ・ムナカタ」とあって、版画家の個人史に沿った回顧展になっていました。私は若い頃から棟方板画に親しんでいて、神奈川県の鎌倉や青森県にある個人美術館を訪れていました。その頃の私は版画の細部に拘っていて、棟方板画を目の前にすると、その彫りの粗さに気落ちすることもありましたが、棟方板画は私のイメージの中では縄文土器と同じような武骨で朴訥さに溢れたものとして印象づいていて、暫くすると再び見たくなるのが何とも不思議でした。あれから40年も経って現在の眼で棟方板画に対面すると、自分の意識が明らかに変わってきているのを感じました。彼が表現しようとした世界は何と生命力が漲っているのか、私は20代の驕りを反省し、また私自身のつまらない微細を吹き飛ばす爆発がそこにはありました。どうしてこんな世界観が生まれたのか、図録から関連する部分を引用いたします。「民藝運動と棟方の出会いのきっかけが、1936(昭和11)年の第11回国画会展《大和し美し》のサイズ超過のための陳列拒否騒動だったのは象徴的である。結局、柳(宗悦)と濱田(庄司)のとりなしによって、額は二段掛けで無事展示されることになった。~略~一枚の版画を何枚も組み合わせて、一つの巨大な作品にするという棟方の考え方は、彼自身が作品のタイトルに名づけた『柵』という単位にも通じる。『柵』とは巡礼者が寺を廻る際に納めるお札のことで、1柵1柵と念願を込めて作った作品が、生涯を通じて連なっていくことを棟方は考えていた。~略~この屏風装という形状は、棟方が国際展の舞台に立つ際にも功を奏した。『世界のムナカタ』の名声を決定づけた1956(昭和31)年の第26回ヴェネチア・ビエンナーレの際、棟方の作品はすべて屏風装で出品。一部は天井の梁から吊られて展示されている。竣工したばかりの吉阪隆正設計による日本館のモダンで伝統的な空間のなかで、棟方の屏風は、見事な展示効果を上げたようだ。」(花井久穂著)
2023.11.08 Wednesday
今日は工房での作業を止めて、東京竹橋にある東京国立近代美術館で開催中の「棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」に行ってきました。工房は陶彫の焼成があったために電気が使えず、展覧会に行く契機としては都合が良かったのでした。展覧会には教え子で文筆活動を続ける子を誘いました。版画家棟方志功は、私が学生の頃より、折に触れて作品を見てきた作家で、当時彫刻と併行して木版画を作っていた自分は、棟方ワールドに注目してきたのでした。本展は多くの代表作品が並び、壮観な印象を持ちましたが、若かった20代の頃の私は、棟方板画の彫りの粗さが気になり、またカタチの構成も捉え難い要素があって、よく展覧会を見に行っている割には、常に残念な気持ちになっていました。ところが私も60代になり、同じ棟方板画が以前とは異なる要素を纏っていることに気づきました。作品は技巧ではなく、訴える力量に立脚していて、作家の思いの深さを充分に伝えていたのでした。本展の詳しい感想は後日に回しますが、私の観る側の意識の違いも書いていこうと思います。今日は教え子を連れていたため、まだ彼女が行ったことがない神保町古本屋街まで足を延ばすことにしました。実は岩波ホールが閉鎖されて以来、私も久しぶりに訪れる古本屋街で、懐かしい美術専門書を扱う複数の店に立ち寄りました。ちょっとした冷やかしのつもりで立ち寄った店で、私の目は「藝術解剖學」(中村不折著 崇文堂出版)に留まり、文語体の文章なぞ読めるはずもないのに、つい購入してしまいました。出版当時の金額で五円と記されていましたが、いやはや読めもしない書籍を手に入れたい癖は治らないものだなぁと思いました。教え子も豆本等を購入しており、満足そうな顔をしていたので、今日はこれで良しと考えました。
2023.11.07 Tuesday
今日付の朝日新聞の「折々のことば」にあった記事に気持ちが留まりましたので、NOTE(ブログ)に書いていきます。「一人が一度に背負う悲しみには限界があります。だから仲間が一緒に引き受けて、一人の深い憂いに寄り添うの。石井哲代」この人には何があったのか、深い憂いとは何のことなのか、鷲田精一氏の解説はその人の生涯に触れていきます。「人は死んだら終わりではない。同じ時間を過ごした仲間が覚えていてくれるなら、その人はまだ居る。年に一度開く『偲ぶ会』も、だから各自が背負う悲しみを共に乗り越えてゆく集いなのだと、元小学校教員は言う。そうして欠けた三日月のような自分を満月にしてゆくのだと。石井と中国新聞社の共著『102歳、一人暮らし。』から。」大きな悲しみを背負ったまま亡くなった人に、仲間たちがその人を偲び、背負った悲しみを分かち合う場面を思い浮かべることが出来ます。私は個人的には特別な悲しみがなかったとしても、解説にあった「人は死んだら終わりではない」という文章が心に刺さりました。人は何かを抱えたまま死んでも死にきれない、それは後悔なのか、誤解が解けないままなのか、何かしっくりこない死に様に、複雑な胸中になるのは私だけではないでしょう。自分の命が果てても仲間が引き継いでくれる、共有してくれると思うだけで、穏やかに旅立てるということなのかもしれません。「欠けた三日月のような自分を満月にしてゆく」という比喩は、生涯達せられなかったことに対する不思議な希望が感じられて、何とも言えない気持ちになりました。自分を振り返り、臨終の淵に立って自分を満月と思えることがあるのでしょうか。私には答えが見つかりません。