2023.04.24 Monday
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第二章 ローズ商会」について気になった箇所を引用いたします。本章は前章ほどボリュームがあるわけではなく、デュシャンの造形とは異なった表現分野を扱っていました。「本章には、さまざまな近似的言語に立脚する二種類のテクスト集を収めた。それらは同じ知的アプローチから生じているからである。二種類のうち一つは『ローズ・セラヴィ』で、1939年にG・L・M出版から『新しい財産』叢書の小冊子の選集として刊行されたものであり、もう一つは、デュシャンの言葉を借りれば『かびの生えた文集』と題して分類されたもので、ダダイズムやシュルレアリスムの雑誌、展覧会のカタログその他雑録集のあちこちから拾い集めたコントルペトリー〔言葉遊び〕や同タイプの言葉の『ブリコラージュ』〔ありあわせのもので作り変えること〕である。」この二種類のテクストの内容に関する趣意をまとめることは私には難しいので、ここでは序文にあった文章を引用いたします。「おおよそ、言語に関するデュシャンの激しい破壊熱は二つのレヴェルで、しかもたびたび交差するレヴェルで現われると言える。語のレヴェルと文のレヴェル、すなわちテクストの細胞構造の面でのレヴェルである。実際、全体的に再検討されているのはそうしたテクストの本文そのものではない。おそらく、文体論的文脈的攻撃はたぶんそれほど効果的ではないからかもしれないし、とりわけデュシャンは、文学的適性をもつ対象として構成された文章の効力に興味がないからである。」デュシャンが文学性を最初から排除しているのは表現活動を概観すれば、私にも理解できます。「芸術は彼にとって表現手段のうちで最も効果的なものなのである。それゆえに、創造者としては最小の努力でいずれ大きな効果を導くはずなのである。『詩的』行為は科学的たることを意図する原理や経験規則の力をかりれば、あらゆる情念を欠き、熱しない状態に置かれることになろう。」今回はここまでにします。
2023.04.23 Sunday
週末は現在進行している新作について書いていきます。新作の陶彫作品は日付のある立方体で、そのコンセプトは4月17日付のNOTE(ブログ)に記しました。陶彫作品を私は彫刻として考えていて、陶土という素材に彫り込みを加えて立体化しています。毎日昼間の時間帯は陶彫制作に当てていて、四方八方から作品を見つめ続けながら、可塑性のある素材の特徴を生かして、膨らませたり削り取ったりして造形にしているのです。一方、それと同じデザインで私は葉書大の厚紙に平面作品を描いています。これは2007年から一日1点ずつ制作をしているRECORDと称する作品です。日付のある立方体を陶彫で作る前までは、陶彫作品とRECORD作品は別々の内容でやっていました。RECORD作品は小さく鞄に入れて持ち運びができたために、職場の校長室や出張先の喫茶店でも厚紙を取り出して、下書きを描いていました。ある時のRECORD作品は大きな陶彫作品のアイデアスケッチであり、ある時は陶彫作品とは無関係な世界を表現していました。でも日付のある立方体をやり始めてから、RECORD作品もそれと関連した作品を描くようになりました。同じ日付の陶彫作品とRECORD作品を同じデザインで表現してみようと思い立ったのでした。つまり立体と平面の連携表現ですが、やり易いようでいて、実は始まってみるとなかなか難しいところもあるのが分かってきました。手間としては気軽なRECORD作品を先行させると、その立体化が難しく、また陶彫作品を平面にすると退屈なものになりかねないのです。彫刻には素材のもつ存在感があり、絵画では描写の自由度が大きく、加えて色彩もあります。その調整をしながら毎日立体と平面の連携表現を求めているような塩梅です。個展には立体と平面の両方を出しますが、並べてみたらどんな効果が得られるのでしょうか。まさに今流行りの二刀流です。
2023.04.22 Saturday
週末になりました。今週の創作状況を書いていきたいと思いますが、今週は4月とは思えないほど気温が上昇し、初夏を思わせる1週間でした。工房での作業はやり易くなったわけですが、汗が出るようになり、服装は半そでのシャツに替わりました。陶彫作品の乾燥も早まり、その関係で制作サイクルが早めに回るようになりました。毎日朝から夕方まで工房で過ごしていると、制作に集中する時間も増え、夜はその疲れが出ています。睡魔に襲われながら夜の時間帯にやっているRECORDはかなり辛いものがあります。読書も難解な内容は厳しいなぁと思っていて、マルセル・デュシャンの創作ノートを読み取るのは少々無理があるかなぁと思うようになりました。この気温上昇は、飼い猫のトラ吉を眺めていると、その仕草でどのくらい身体に負担がかかっているのかが分かります。ただでさえ猫は寝てばかりいるのですが、床にゴロンと横たわる姿を見ていると、自分もこのくらい怠けていていいんだろうなぁと思っています。つい気候が良くなって制作に励みをつけたがるのは、自分の生真面目な性格でもあるのですが、軽い強迫観念もあるのです。というのは、今年の個展を意識するようになり、その前段階で設定する図録用写真撮影のことが頭を過るからです。今週も2回の窯入れと窯出しを行いました。次の窯入れ予定の作品も乾燥が十分に進んでいて、作品としては準備万端なのですが、最後の仕上げと化粧掛けの作業が追いつかないのです。なかなか充実している1週間ですが、ふと立ち止まりたくなる時もあり、一息つけるのはいつになるのだろうと思っています。
2023.04.21 Friday
現在読んでいる「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)と並行して「グスタフ・クリムトの世界」(海野弘 解説・監修 パイインターナショナル)を読み始めました。本書の副題を「女たちの黄金迷宮」としていて、頁を捲るとクリムトを取り囲む当時のあらゆるウィーン美術界の動向が豪華な図版とともにまとめられていました。私の本音を言えば、デュシャンの創作ノートを読んでいるうちに、その思考回路についていけずに、かなり辟易していて、もう少し自分が癒されるものはないかと書店を探していたところで本書を見つけたのでした。クリムトが20世紀初頭に活躍したオーストリアの首都ウィーンは、私が30数年前に5年間住んでいた街でした。その街の空気感に触れていたことで、クリムトを身近に感じていたことは確かです。クリムトや同時代の画家シーレを私は学生時代に知り、アールヌーボーやアールデコというデザインの傾向を調べてみたりしました。ウィーンに行って本物を見た時は感慨一入でしたが、そのうちウィーンにやってくる観光客を案内する程度になってしまい、海外生活の慣れに苦笑することもありました。クリムトの有名な絵画はよく見ていましたが、ブルグ劇場の内装にあったアカデミックな絵画がクリムトが弟たちと共同のアトリエで制作したものと知って、古典的な手法で描かれた壁画に驚きました。クリムトが古典的なデッサンに支えられた描法で作品を作っていたことがイメージになかったので、俄かに信じられなかったのでした。その下絵やデッサンも本書には掲載されていました。本書を読むにあたって、クリムトのさまざまな側面を注視しながら楽しんでいこうと思っています。
2023.04.20 Thursday
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第一章 花嫁のヴェール」は、デュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」という大きなガラスを使った代表作品の思考経路やその思索を紹介した章です。本章を最後まで読んでみましたが、作家独自の視点とコトバによって分析された世界観に、なかなか馴染めなかった自分がいました。国際的に見ても稀な芸術家の創作ノートやメモを覗いてみたいという興味はありましたが、記述された文章を詩と捉えたらよいのか、作家自身の感性に立脚した論理が、通常の論理とは異なるもので、そこに入り込む能力が自分には足りないかなぁと思いました。おそらく著者も残された多くのメモから取捨選択をして「マルセル・デュシャン全著作」としてまとめたものかもしれず、本書は謎の多い書籍であるのは間違いないと思っています。単なるメモ書きというものであるならば、こんな箇所に興味が出ました。「『独身者たちによって裸にされる花嫁』のためのノート(習作『処女から花嫁への移行』)〈花嫁〉について、銀白と淡い黄土によって得られるライトモティーフとしてのバラ色。少量の金色の黄土。赤色にはより多くの淡い焼き黄土が加わる。暗い視野は、黒色と焼きシエナ土と金色の黄土、そしてまたキプロスの焼きアンバーによって得られる(赤くするには少量の淡い焼き黄土)。左側は、緑がかったところはヴェローナの緑土と明るい淡い黄土と黒色によって得られる。中心では、暗い部分はキプロスアンバーを含む。つくるべきもの、〈独身者たち〉について、暗い部分を得るために、プルシアン・ブルーを用いる。プルシアン・ブルーは、〈花嫁〉とともに熱くなり、〈花嫁〉とは十分異なるだろう。感覚で受け取るすべての色に対応する紙を、つまり一定の光(太陽光、人工光などなど)のなかのさまざまな差異ではなく、さまざまな色つき光源に対応する紙を探し出すこと」デュシャンは作品に使用する色彩や紙にも意味を持たせているのが分かります。これは単なる思いつきではなく、熟考した結果に導きだしたもので、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」は細部に至るまで思索がゆきわたっているのが、本章全体を通して理解できます。今回はここまでにします。