2023.05.09 Tuesday
今日付けの朝日新聞夕刊に、先日私が見てきた「ヘザウイック・スタジオ展」に関する記事が掲載されていました。ヘザウイック・スタジオが造り出す建造物は、近代建築を代表したバウハウスやそこで校長を務めたミース・ファン・デル・ローエが実践した「レス・イズ・モア(少ない方が豊か)」というシンプルな箱型建築からの懐疑から始まったようです。記事から引用をいたします。「その思想は、モダニズム建築を退屈と難じ、1980~90年代を席巻した、装飾性や物語性重視のポストモダン建築に重なる。後日この点を問うと、『ポストモダン建築は奇妙な造形が張り付くだけで魂を与えるものではなかった』とし、細部から生まれる感情や体験を重視したいと述べた。さらに構造や機能とかけ離れた表面的な造形や装飾性になりかねないのではないかという点については、『機能の再定義が必要だ。感情も機能として考えるべきだ』と回答した。」(大西若人著)そもそも建築の合理性を考えるなら、シンプルな造りになりそうだなぁと私は思っていて、造りが複雑になれば建築費が高額になり、そこを使って生活する人々に受け入れてもらえるかという課題も浮き彫りにされるのではないかと考えがちです。そこを乗り越えて人々が真に共感できるなら、波打つ構造を有する彫刻のような建造物も存在意義を見出せるだろうと思っています。私が建築ではなく彫刻を選んだ理由は、彫刻は人の共感を得られなくても自らの勝手な思索だけで成り立つ造形だからです。これから開業されるヘザウイック・スタジオによる東京・麻布台ヒルズは、彫刻的な視点で見たら大変楽しく刺激的な建造物ですが、果たして生活にどんな影響や効果が出るのか、私も訪れてみたいと思っています。私にとっては理想的な建築がそこにあるのですから。
2023.05.08 Monday
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第三章 批評家マルセル・デュシャン」について、実際に数多の芸術家を批評しているデュシャンの文章が残されていて、今回は前回の続きを取り上げます。まず画家クレー。「パウル・クレーの絵を前にして人が示す最初の反応とは、われわれがだれでも子供時代に描けたかもしれないものを改めて認めて心地よくなることなのである。~略~間近で見ればただちに分かることだが、こうした最初の印象は不完全であったのであり、たとえクレーがよく『子供じみた』技法を利用するにしても、一種非常に大人らしい思考にこの技法を適応しているのである。」次に画家レジェ。「芸術表現の刷新の彼の最初の試みは、力学的フォルムの方へといっそう進んで行きつつあった。彼は現代世界の機械化諸現象から着想を得て、これらを簡潔な断片で表現した。」次に画家マチス。「彼は、意図的な輪郭線の内部をベタ塗りしこれらを可能なかぎり強調するために適当と判断したデッサンならばすべて導入できるように、解剖学や透視図法のあらゆる慣習を断固無視したのである。」次に画家ミロ。「初期のタブローは、見かけは写実主義だが、強烈な非現実性にしるしづけられた一種の意味を特徴としていた。数年後彼は、パリにやってきて、ダダイストたちの仲間に入った。ダダイストたちは当時シュルレアリスムへの変貌途中にあった。ミロは、これらの接触にもかかわらず、いかなる直接的影響から隔たっていた。」最後に画家ピカソ。「ピカソと同時代の大部分の芸術家との最も重要な差異の一つとは、そのときまで彼が次々と休みなく傑作を生み続けても、衰弱や反復のいかなる兆候も決して表さなかったことである。彼の作品における変わらぬ唯一の方向とは、鋭い抒情性であり、これは時が経つにつれて残酷な調子を帯びてきたのである。」ここからは個人的な芸術家ではなく、全体的な芸術家に対する論考が掲載されていました。「〈芸術家〉は、容赦のない物質主義に基づく世界と対峙しています。その物質主義にあっては、すべてが〈物質的幸福感〉に応じて評価され、宗教が多くの活動領域を失い、もはや精神的価値の大きな分配者ではありません。今日〈芸術家〉は、日々の〈機能主義〉との絶対的対立をなす疑似精神的価値の興味深い貯蔵庫なのです。~略~思うに、今日は〈芸術家〉はかつてないほど果たすべきこうした疑似宗教的任務を持っています。つまり、芸術作品が素人にとって最も忠実な表現となるような内的視像の炎を照らし続けるという任務を持っています。言うまでもないことですが、この任務を遂行するには、最高度の教育が不可欠です。」今回はここまでにします。
2023.05.07 Sunday
日曜日の工房には、最近では定番になった後輩の彫刻家がやってきて、自らの制作に真摯に向き合っていました。昼食時間に彼と何気なく話をしているうちに、話題は当然のように彫刻のことになりました。私は気兼ねすることなく彼と気儘に話し合い、それによって自分の考え方がまとまっていくことがあります。彼も一方的に話を聞くだけではなく、積極的に彫刻の在り方に関わってくれるので、私としては有難い存在なのです。私の新作は同じサイズの陶彫立方体を数多く作っているのですが、展示のやり方を従来と変えていこうとしています。私としてはこれは大きな変化で、今まで試してみたかった方法なのです。従来の私の作品は多くの陶彫部品を順次組み立てていくもので、言わば完成図を予め用意した固定的な造形でした。図録撮影の時や個展の展示の時も同じように組み立てていったのですが、私の気に入ったところは周囲の環境によって同じ作品が違って見えるところでした。私はそれだけでも十分満足をしていましたが、今年の新作に関しては環境の変化どころか、全体完成図さえありません。陶彫立方体をどのように積んでいくのか、またはバラバラに点在させるのか、その場の環境を見て臨機応変に変えていくのです。最初の取り掛かりは私自身の考え方で設置をしていきますが、そのうちスタッフの意見を反映させていきます。つまり流動的な造形です。当然、図録用撮影の野外工房や室内工房、ギャラリーでの設置方法も変わってきます。積み方や点在の仕方はその場で変わってくるのです。どうしてそんなことを考えたのかというと、私は最小の物質で最大の空間を創出させたいと昔から考えていたからです。私にとって彫刻表現は空間表現でもあるのです。場を作ること、場を作る装置が私にしてみれば彫刻された素材なのです。私が昔からやってきた集合彫刻は、それが可能なのです。そんなことを今日は彼に伝えてみたかったのでした。
2023.05.06 Saturday
週末になりました。ゴールデンウィークも半ばを過ぎて、そろそろUターンラッシュが始まっている頃ですが、ゴールデンウイークも平日も関係ない私には、特別な感じはしていません。今週も毎日朝から夕方まで熱心に陶彫制作に励んでいました。今週は本当に特別なことは何もなく、只管制作に専念していました。まぁ、ゴールデンウイークなので、どこに行っても混んでいるだろうと考えて、敢えて制作のみの1週間にしていたのでした。そんな私の計画を知っている後輩の彫刻家は気兼ねなく工房を使っています。新作は、陶彫立方体を1年間の日記として365点作る計画でいますが、今夏、東京銀座の個展で発表する作品点数はそのうちの151点にしようとしています。現在は144点が焼成終了、ないしは乾燥を待っている状態で、残り7点が制作途中にあるのです。7点のうち成形が終わっているのが5点あり、最後の2点も土練りが終わっているため、来週には成形に入れます。まさに完成に向かって佳境を迎えようとしている状況なのです。ただし、陶彫は焼成が終わらないと完成とは言えず、糠喜びは出来ません。しかも乾燥には1週間以上を要するため、今月完成という目標には予断を許さないこともあります。私が朝から夕方まで休む暇なく作り続ける理由がここにあります。制作はあと一息という状況が一番苦しいし、気合も入るのです。もうひとつやらなければならないのが中規模の陶彫作品で、既にイメージは出来ていますが、陶彫立方体に時間を取られて、まだ何もしていません。厚板に下書きをしただけですが、これも来週には取り掛かる予定です。今週は陶彫制作以外に何も考えられなかった1週間でした。
2023.05.05 Friday
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第三章 批評家マルセル・デュシャン」について、実際に数多の芸術家を批評しているデュシャンの文章が残されていました。ここで取り上げた芸術家が多いため、私が気に留めた人を選びます。まず彫刻家アルキペンコ。「彫刻の彩色という考え方はそれ自体は革新的なことではないけれども、非常に驚くべき結末に至った。彼はその新しいフォルムの着想によって興味深い技術以上のものを表現できたのである。彫刻に対するアルキペンコの貢献とは、ヴォリューム〔量塊〕を捨てるというものになっていることだろう。」次に彫刻家アルプ。「アルプがもたらした最も重要な要素とは、この上なく微妙なフォルムを持つ『ユーモア』であり、幻想的着想の類なのだが、この幻想的着想こそダダ運動に旺盛な活気を与えたため、ダダ運動はキュビズムと表現主義の純粋に知的な傾向とは対立したのである。」次に彫刻家コールダー。「コールダーのやり方は、〔第一次〕大戦後に突然起きた芸術『革新』のさなかにあって、どの様式からも非常に隔たっていたので、彼自身の動くフォルムに新しい名前を考え出さなければならなかった。彼はこれらを『モビール』と名づけた〔名づけたのはデュシャンといわれている〕。」次に画家デ・キーリコ。「彼はフォーヴィスムもキュビズムも避けて、『形而上的絵画』と呼びうるようなものを創始した。抽象から生じる題材を活用するのではなく、『形而上的世界』でしか結合し合わない諸要素を画布の上で遭遇させたのである。」次に画家エルンスト。「その技法上の発見のなかでも、中国の古い『フロッタージュ』という手法の採用は木材の肌理やきわめて多種多様な素材の肌理を『自動的に』浮き上がらせる。マックス・エルンストは、シュルレアリスム運動が1924年に結成されるとき、シュルレアリスムの冒険に飛び込んで作家たちと同盟したダダグループの唯一の画家であった。」次に画家カンジンスキー。「のちにカンジンスキーは、職人的痕跡がいっさいない一層純粋な表現に至り着いた。彼はその手をもっと厳しく鍛錬したのである。カンジンスキーは定規とコンパスで線を引き、絵画の新しい見方を鑑賞者に与えた。それは、無意識の身震いに従うのではもはやなく、感情を断固断罪し、画布の上に思考を直接転写することだった。」紙面の都合で今回はここまでにします。