2023.04.29 Saturday
週末になりました。今週の創作活動の状況を書いていきます。この時期の気候が創作活動には向いていると感じています。そのため朝から夕方まで工房にいて制作を続けています。今週は窯入れも行ったのですが、翌日は電気の関係で照明を点けられず、自然光の中での制作になりました。陶彫制作を中心に一日の生活が回っています。夕方自宅に帰ってくると、平面RECORDの制作に入ります。読書をしたり、このNOTE(ブログ)を書く時間もあるので、一日のほとんどを創作活動に当てていると言っても過言ではありません。公務員として働いている時に夢見た創作活動一本の生活ですが、現実は決して夢心地ではなく、創作には自分の精神を追い込んで、カタチを導き出す行為があって、なかなか厳しい状態でもあるのです。贅沢な悩みかもしれませんが、給与は入ってこなくても、人はそれだけで満足できるものではなく、自分の精神状態を良くするためにも、何かに打ち込む必要があるのだろうと考えています。彫刻は骨の折れる作業であるのは百も承知で、それでもこの作業を止められない麻薬的なものがあるのかもしれません。今週は窯に作品が入っている焼成中に、東京の映画館と美術館に鑑賞に出かけました。それも癒される内容ではなく、自分に何か啓示を与えてくれるようなものを敢えて求めて出かけたのでした。私にとっての鑑賞は、遊びの要素が少ないと思っていますが、制作行為と裏表なので、つい生真面目な研鑽を積もうとしてしまう自分の癖が出てしまうのです。最近では、満足は自分が創り出したものにしか得られなくなっていて、一般の人との感覚が少しずつズレていくのを感じます。仕事をしていた時は、組織があったので、その都度バランスを考えながら働いていましたが、もう後戻りできない我儘な自分がいるのです。
2023.04.28 Friday
昨日、東京渋谷のミニシアターに出かけて、リトアニア・フランス・ドイツ合作による映画「マリウポリ7日間の記録」を観てきました。嘗て私の実家には祖父母や両親がいて、第二次大戦中の横浜の状況を話してくれましたが、戦争を体験した人が今はいなくなって、世界情勢を扱うマスコミなどで戦争の実態を知るだけになってしまいました。戦争とは何か、戦争は私たちに何を齎すのか、戦争になると私の周囲にはどんな変化が生じるのか、ネット等によって世界が身近に感じる今だからこそ、その過酷な現実を見取りたいと私は思っています。本作によって人々の生活が死と隣り合わせになり、それでも不測の事態を何とかやり繰りして生きていく状況を見て、私には重い課題が与えられた気がしました。図録の文章を拾います。「『マリウポリ7日間の記録』では、避難所となったバプティスト教会の窓から見た街の風景が繰り返し映される。砲弾の音が響く中、街のどこかで煙がもくもくと立ち上がり、ときに炎が目立つこともある。~略~避難所にいる人々は、日々食事を作り、祈り、犬と戯れ、車や機械を整備する。爆撃のせいで中庭に散らばるガラスの破片や土砂をきれいに掃除する。日常生活は変わったようで、日々の仕事には変わらないものがある。絶え間なく爆撃の音が鳴っている。避難所の近くには遺体が放置されている。」(上田洋子著)本作はこんな風景をずっと追って撮影していました。監督のクヴェダラヴィチウスは、脱出する人々を助けるために歩いている途中で、親露派の見張りに見つかって殺害されました。彼がリトアニアのパスポートを有していたのが原因だったのではないかと考えられています。監督と一緒に助監督を務めていた妻のビロブロアによって本作は映画としてまとめられ、カンヌ国際映画祭で特別賞を受けました。映画はファンタジーを与えてくれる創作がある一方で、冷徹な事実を記録する媒体として歴史の証言を担う役割もあります。「マリウポリ7日間の記録」に登場する人々に涙はありません。激しい戦闘シーンもありません。思想は語らずとも観ている私たちが感じる何かは、途方もないパワーをもって私たちを凌駕するのです。
2023.04.27 Thursday
今日は朝のうちに工房に行って、一昨日窯入れをした作品の窯の扉を開けて焼成具合を確認しました。いつになっても窯を開ける時は緊張して、動悸がやってきます。これは何百回やっても慣れることはなく、作品を左右する瞬間と捉えています。今回は何とかうまくいっているようで、ホッと胸を撫で下ろしました。今日は東京の映画館と美術館へ鑑賞に出かけました。家内は和楽器の演奏があるため、私一人で行きました。映画は渋谷にあるミニシアターで上映している「マリウポリ7日間の記録」で、テレビの情報番組で紹介していたので、早速観に行ってきたのでした。映像内容の性格上、本作は大手の映画館では上映されないと私は思っていて、しかも多くの街にも波及しないのではないかと考えます。というのはこれは面白みのある映画ではありません。ウクライナ侵攻によりロシア軍に破壊された街マリウポリ。瓦礫となった街の片隅で暮らす人々のドキュメントで、映画のドラマとしての起承転結もなければ、いきなり始まり、いきなり終わるという生活そのものの記録だからです。私情も感傷も交えず記録に徹した本作は、そのリアルさ故に私の胸に重く響きました。撮影した監督は同地の親ロシア分離派に拘束され、殺害されています。ここでは語りつくせない部分もありますので、改めて別稿を起こして感想を述べたいと考えています。次に向かったのは六本木ヒルズにある森美術館でした。開催していたのは「ヘザウイック・スタジオ展」で、まるで現代彫刻のような建造物を世界各地に作っているロンドン設立の建築家集団でした。創設者トーマス・ヘザウイックの有機的な形態の美しさがポスター等で、私にも伝わってきて、これは観に行かなくてはならないと決めていたのでした。会場は東京シティビューという屋内展望台で、東京の都市空間が広々と見渡せる場所に、ヘザウイック・スタジオの雛型作品や実際の映像作品が展示されていて、大変心地よく感じられました。本展も詳しい感想は別の機会に設けたいと思っています。今日は充実した鑑賞時間を過ごせました。
2023.04.26 Wednesday
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第三章 批評家マルセル・デュシャン」について、さらに気になった箇所を引用いたします。まず、1955年にNBC放送が撮影したインタビューからデュシャンが答えている記事の抜粋を取り上げます。「当時の現在というのは、キュビスムでした。あるいは少なくともキュビスムの搖籃期でした。それにこの運動は、それまでのあらゆる運動とは異なっていたので、私はこの運動の方へ強く惹かれていくのを感じました。私はキュビスム絵画をやり始め、ついには『階段を降りる裸体』に到達したというわけです。」デュシャンは画業の他に仕事を見つけたようで、こんなことも言っています。「芸術家は二種類存在します。社会を相手にして仕事をするために社会に統合されるのを避けられないプロの画家とその他の画家、義務から免れた、それゆえに束縛から解放された自由契約者です。」デュシャンは「レディ・メイド」の着想に関してその経緯を語っています。「当然のことですが、芸術作品のこうした非人間化から結論なり帰結なりを引き出そうと試みているときに、〈レディ・メイド〉を着想するに至ったんです。~略~芸術というのは、あるがままの人間が本当の個人として自己を見せるときに用いるような唯一の活動形式だと私は信じてます。この形式によって初めて人間は動物的段階を越えることができるのです。芸術とは、時間も空間も支配しない領域への出口だからです。生きることは、信じることです。少なくとも、それが私の信じることです。」次の単元は創造過程というタイトルがついていて、芸術家と鑑賞者の関係が述べられていました。「要するに、芸術家は一人で創造行為を遂行しない。鑑賞者は作品を外部世界に接触させて、その作品を作品たらしめている奥深いものを解読し解釈するのであり、そのことにより鑑賞者固有の仕方で創造過程に参与するのである。こうした参与の仕方は、後世がその決定的な審判を下し何人かの忘れられた芸術家を復権するときに、一層明らかになる。」今回はここまでにします。
2023.04.25 Tuesday
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第三章 批評家マルセル・デュシャン」について気になった箇所を引用いたします。まず序文で著者からこんな一文がありました。「この頑固な聖画像破壊主義者が、われわれの世紀を作った人や作品に対して極めて的確にして公平無私なる判断を下しえたことにわれわれは気づき驚いている。」デュシャンは造形制作をしなくなっても批評をノート類に書き込んでいたようです。「1915年にアメリカに来る直前に私は自分固有の仕事をしていたが、その根底をなすものは、諸々のフォルムを打破したい、つまり少しキュビスト風に『分解し』たいという欲望であった。しかし、私はもっと遠くにーもっとはるかに遠くにー実際はもっと別な方向に行きたかった。それは、『階段を降りる裸体』に、さらにあとになって『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』に到達したのだった。~略~私の目的は、動きの静態的表現であった。つまり、動くフォルムが取る多様な姿勢の静態的素描からなる静態的コンポジシオンであったが、運動学的効果を絵画によって作ろうとするものではなかった。動く頭部を単なる一本線に還元することは、私には支持できることのように思えた。あるフォルムが空間を横切るならば、このフォルムは一本の線を横切ることになろう。そしてこのフォルムが移動するのに応じて、このフォルムが横切る線は、別の線に置き換えられるだろう。次に別な線に、さらに別な線に。その結果、動くシルエットを一個の骸骨よりは一本の線に還元することの方が巧妙であると私は感じた。」デュシャンはダダイズムに関しても独自な考えを持っていました。「ダダは、絵画の物理的側面に対する抗議の極点になった。それは形而上学的態度である。ダダは緊密にそして意識的に『文学』と混じり合った。それは一種のニヒリズムであり、私はいまだにこのニヒリズムに強い共感を覚える。それは、ある精神状態から脱出する手段だった。直接的環境からあるいは過去から影響を受けることを避ける手段、つまり紋切り型から遠ざかる手段、そして解放される手段だった。ダダの無意味の力は非常に有益であった。ダダは言う。『あなたは自分が考えていることほど空っぽではないことを忘れてはならない』。通常、画家は自分自身の標尺があることを隠さない。画家はある標尺から別の標尺へと移る。実際は自分の虜になっているものである。たとえ標尺が同時代的であっても。」今回はここまでにします。