2023.07.22 Saturday
週末になり、今日が個展の最終日になりました。今回の個展ではコロナ渦が落ち着いた影響があってか、例年より多くの人に来廊していただきました。ギャラリーせいほうがある東京銀座は、外国人観光客の姿も増えて活気を取り戻しつつあるように思えました。ただし、連日30度を超える暑さとなり、公共交通機関を使って毎日横浜から銀座まで通っていた私は、ちょっぴりしんどい思いをしていました。そんな中をわざわざ銀座まで足を運んでいただいた皆様に心から感謝申し上げます。今回はそれぞれ時間をたっぷり取ってお話ができたことを嬉しく感じました。個展は勿論作品を販売することが目的ですが、私の現時点の活動をお付き合いのある皆様にお知らせることもあるのではないかと思いました。とりわけ今回は作品に対してさまざまな意見や感想を聞かせていただきました。勇気を奮い立たせられたことや反省すべきこと、私にはたくさんの課題が残されました。それをまた1年間かけて解決していこうと思っております。搬出時間になって、懇意にしている運送業者や後輩の彫刻家、美大生等のスタッフがギャラリーに集まりました。陶彫作品を木箱に収めたり、パネルをビニールシートで包んだり、手間のかかる仕事を黙々とやってくれました。こういう人たちがいてくれるおかげで、私は個展が開催できるんだなぁと思います。搬入には半日以上時間をかけて展示しましたが、搬出はスタッフの素早い行動もあって、僅か1時間半で終了しました。トラックと乗用車で横浜の工房に帰って来たのは20時を回っていました。また来年、長いようであっという間にやってくる来年、業者やスタッフの皆さん、引き続きよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
2023.07.21 Friday
「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)は単元で分けず、内容として私の興味関心を惹いたものを順次取り上げようと思います。「われわれが巡礼しようとするのは『美術』に対してであって、衆生救済の御仏に対してではないのである。たといわれわれがある仏像の前で、心底から頭を下げたい心持ちになったり、慈悲の光に打たれてしみじみと涙ぐんだりしたとしても、それは恐らく仏教の精神を生かした美術の力にまいったのであって、宗教的に仏に帰依したというものではなかろう。」という私好みの断り書きがあって、著者は奈良東大寺内にある戒壇院に足を運びます。戒壇院は四天王が置かれているところで、私も度々訪れたことがあります。「四天王はその写実と類型化との手腕において実に優れた傑作である。たとえばあの西北隅に立っている広目天の眉をひそめる顔のごとき、きわめて微細な点まで注意の届いた写実で、しかも白熱した意力の緊張を最も純粋化した形に現したものである。その力強い雄大な感じは、力をありたけ表出しようとする力んだ努力からではなく、自然を見つめる静かな目の鋭さと、燻しをかけることを知っている控え目な腕の冴えとから、生まれたものであろう。だからそこには後代の護王神彫刻に見られるような誇張のあとがまるでない。しかし筋肉を怒張させ表情のありたけを外面に現わしたそれらの相好よりも、かすかなニュアンスによって抑揚をつけた静かなこの顔の方が、はるかに力強く意力を現わし、またはるかに明白に類型を造り出している。~略~仏菩薩はインド風あるいはギリシャ・ローマ風の装いをしているのに、何ゆえ護王神の類はシナの装いをするか。それに対してわたくしはこう答えたい。ガンダーラの浮き彫り彫刻などで見ると、一つの構図の端の方にはギリシャの神様がいたり、哲学者らしい髯の多い老人がいたりする。干闐の発掘品などにも、干闐の衣服らしいのを着た人物を描き込んだのがある。大乗経典の描いている劇的な場面などを視覚的に表象しようとする場合には、仏菩薩などの姿はハッキリきまっているが、あとの大衆はどうにでも勝手に思い浮かべるほかなかったために、国々でそれぞれ特有な幻影が生み出された、というわけであろう。従ってシナ風の装いをした四天王や十二神将の類は、特にシナ美術の独創を現わしているかもしれない。」今回はここまでにします。
2023.07.20 Thursday
今日、ギャラリーせいほうに読売新聞社の記者がお見えになり、いろいろな話をしている中で、「大変残念なことですが…」と切り出された話が、表題になった公共作品廃棄に関することでした。彼は新聞のコピーを持参していました。7月18日付の中国新聞から引用いたします。「旧広島駅ビル(広島市南区)の壁面を55年間にわたって飾った、日本を代表する彫刻家舟越保武さん(1912~2002年)の作品『牧歌』が、2020年の同ビル建て替え工事に伴い廃棄されていたことが分かった。広島の玄関口で長年愛された作品の消失に、市民からは残念がる声が上がっている。」というもので、廃棄されたのは高さ約1.5メートルの2体のブロンズ像だったようです。横笛を吹く少年と花を持つ少女と数羽の鳩で構成された作品は、平和を祈願する広島に相応しいテーマでした。彫刻家舟越保武は長崎市にある長崎26殉教者記念像で知られた文化功労者で、この記念像は私も実際に見ていて、特定宗教というより平和全体を象徴するものになっていました。中国SC開発の総務部長は「作品の存在と芸術的価値について認識できず、作品を失う事態を招いた。再発防止策を徹底したい」と説明していますが、撤去する前に、これは何だろう、壊していいものかどうかを、何故美術館なり専門家に聞かなかったのか、私は甚だ疑問に感じます。芸術の世界は広く市民に行き渡っているものではなく、彫刻界の巨匠も一握りの人だけが知っていることは私も理解しています。それでも公共作品に対する尊重姿勢はあるべきだろうと思っています。今後ますます芸術表現が街へ出ていき、公共作品として存在するようになると私は思います。これは豊かな文化を育むものであり、街に氾濫する看板とは異なるものです。どうか、多くの人の理解を求めたいと考えます。
2023.07.19 Wednesday
NOTE(ブログ)の2021年7月21日付に「個展に来廊してくれた旧友」という記事があります。旧友とは高校の同級生で、ベテラン俳優で映画監督をやっている竹中直人さんのことです。NOTE(ブログ)には「さん」をつけていますが、高校時代から敬称なしで呼び合っているため、彼とは他人行儀ではないことを断っておきます。先日、彼が監督をした映画「零落」を観て、感想をラインで送り合っていました。本人が出演していないにも関わらず、竹中ワールドを感じさせるのは、彼の個性が際立っているからかもしれないと、私は直接本人に伝えました。彼は高校時代から情感豊かなところがあり、映像の端々にそれが現れているのです。竹中監督の映画は一般受けがなく、大きなヒットもないので、映画としては地味なところもありますが、反面クオリティは高く、とりわけ人物描写の丁寧さには観る人を惹きつける要素があります。彼自身が歩んだ人生の深みを感じさせる部分です。今日の夕方、ギャラリーに2年ぶりに来てくれて、いろいろ話が出来て嬉しかったのですが、やはり同級生同士なのでお互い素に戻ってしまい、余計なことも喋ってしまいました。彼が多摩美術大学、私が武蔵野美術大学に進んだのは確かですが、それでも高校の仲間に強烈な表現者がいることは、私の心の支えになっています。映画監督として組織を作って臨むのはどうなんだと聞いたら、もう撮影や音響等スタッフは長い付き合いなので気心が知れているという答が返ってきました。私は彫刻制作には組織がなく、たった一人でやっているので気楽な反面、竹中が羨ましいなぁと思いました。私が掌った組織は学校教育なので、自己表現とは遠い存在でした。それはともかく、お互い表現活動に長く関わってきたので、生涯を全うするべく頑張っていこうと誓い合いました。
2023.07.18 Tuesday
まだ「風土」(和辻哲郎著 岩波書店)を読んでいる途中ですが、私は毎日、東京銀座のギャラリー通いがあるため、文庫本を携帯することにして、同じ著者の「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)を読み始めました。「古寺巡礼」は古い出版ですが、最近購入しました。私は昔から乱読の悪癖がありましたが、若い頃に比べると落ち着いてきたように思っています。同じ著者の2種類の書籍を読むのは私としては珍しいことです。「風土」はその論理思考や文体からして、自宅でじっくり読むのが相応しいと感じています。それに比べて「古寺巡礼」は旅先の印象記なので、比較的気楽に読めるかなぁと思っています。とりわけ私は仏像が好きなので、「古寺巡礼」はその興味関心を満たしてくれそうで、楽しみでワクワクしています。さっそくこんな文章が私を虜にしました。「種族が異なるに従って、理想の顔や体格がどういうふうに変わって来るかという問題は、文化の伝播と連関して、興味のある問題である。たとえば仏画は、東へ来れば来るほど清らかに気高くなって行くが、このことは仏教の教義の変遷とどう関係するか。あるいはまた当時の諸民族の内心の要求や問題とどう関係するか。これらは考究に値する問題であろう。~略~一体あの弥勒は我が国の仏像のうちで最も著しくガンダーラの様式を現わしているものである。その肉づけの写実的なことと言い、その重々しい、大きい衣のひだの、小気味のいい大胆さ自由さと言い、シナ風の装飾化の動機にわずらわされずに、端的に人体を作り出している。特に塑像としての可能性は、極度に生かし切ってあると思う。我が国の仏像で西洋彫刻に最も近いものは恐らくこれである。しかもそのギリシャ的な様式にもかかわらず、この仏の与える印象は完全に仏教的である。」これは広隆寺にある弥勒菩薩像で、修学旅行でよく訪れる定番の仏像です。私も教職にいた時に修学旅行の引率で度々見ていました。威厳のある美しさに仕事の多忙さを忘れさせてくれた仏像で、どんなヤンチャな生徒でも弥勒菩薩像の前では静かに鑑賞していました。美しさを感じる心には理屈はなく、ふと足を止めてしまう魅力があるのです。