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  • 寒さが緩んだ2月最終日
    今日で2月が終わります。今月は横浜でも珍しく雪が降りましたが、気温は次第に上昇して寒さが緩んできました。2月の最終日である今日は工房から満開になった梅の花を見ることができ、春の訪れを楽しんでいます。今月も工房によく通いました。28日間のうち27日は工房に行っていました。工房に行かなかった1日は、東京の2つの美術館に鑑賞に出かけた日でした。今月も工房では陶彫制作に励みました。朝から夕方まで工房で作業している日が多く、寒さで手が悴んでいたため、ストーブで暖を取りながらやっていました。今月は若い人たちが頻繁に工房に来ていました。そのうちの一人は、大学が長い春休みになったために自らの課題をやりに来ていたのでした。来月から彼女はバイトが始まるので、今月ほど工房に顔を出せなくなるかもしれません。美術館鑑賞では「エゴン・シーレ展」(東京都美術館)と「佐伯祐三展」(東京ステーションギャラリー)に行ってきました。2人とも夭折の画家だったので、短かった生涯に輝きを放った作品群を見て、痛いくらいの感銘を受けました。作者がいなくなっても作品が雄弁に語りかけてくる凄さを目の当たりにして、作品に込めた思いの強さを実感しました。今月は映画館に行かなかったので、鑑賞は美術作品だけになりました。読書はシュルレアリスム関連の書籍を読み続けています。アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」を読み終えて、現在は「アンドレ・ブルトン伝」という伝記を読んでいます。創作活動以外の点で言えば、最近花粉が活発に飛んでいるらしく、花粉症の私は辛い思いをしています。コロナ渦はマスクを外していこうとする風潮に変わってきていますが、私は花粉症でとてもマスクが外せる状態ではありません。私事では両親が遺してくれた集合住宅があるため、税理士を呼んで年度末申請を行いました。親の代から付き合いのある税理士で、2月になると連絡が入ります。半年に一度、行きつけの歯科医院で歯のメンテナンスもしてきました。2月は28日間しかないので、あっという間に過ぎていきますが、大きな病気もせずにやってこられたのが幸いでした。
    「旧式の芸術への告発」について
    「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅰ部 現代の美への目覚め」の「第四章 旧式の芸術への告発」についてまとめます。本書では大戦後のブルトンと詩人たちとの交流を描いていましたが、雑誌「リテラチュール」発刊が重要な出来事だったように思います。「雑誌を読む前から、ツァラは『リテラチュール』の寄稿者たちの傾向を見抜いて、ブルトンにこう書いている。『あなたの雑誌は旧い文学から新しい文学への移行を強調しているように、私には思われます。それは(とても)必要なことですが、むしろ批評家や歴史家の仕事なのではないでしょうか。』それはともかく、創刊号の発行部数は五千部に達した。旧世代の支持を受けて、雑誌の予約が殺到した。そのことには敬意を表しておかなくてはなるまい。ブルトンは今後数号分の原稿をあらかじめ集めておく努力を怠らなかった。」また当雑誌は「なにしろ、ヴァレリー、ジッド、アポリネールらの錚々たる名前を表紙につらね、新しい才能を呼び出し、忘れられた作家を再発見し、エスプリ・ヌーヴォーの端緒となったのだから。」とありました。この頃のブルトンは「アラゴン、スーポーとともに、ダダの手法をもちいて、彼は一大クーデタを敢行する期が熟すのをじっと待つことにした。」とありました。「ブルトンはツァラへの手紙で、こんな警告を発している。『われわれはつねに詩人だと思われている必要があります。近代主義があらゆるものに到達し、あらゆるものを明るみに出すことがわかるでしょう。これほど深刻なことをけっして書いたことがないと、つけ加えるまでもありません。私は事態を悲劇的に受けとめています。背徳行為を、流産した企て同様、私はきびしく罰するでしょう。そして、私は何も恐れてはいません。…追信ーさしあたり、私が何も望んでいないことに気づいてください。金持ちや偉人になったりする野心さえもありません。そのことが私を危険な存在にしているのです。』」そして自動記述に繋がっていくのですが、「その後の広まった見方とは逆に、当時自動記述は誇らしい勝利でも、無意識の啓示者でもなかった。せいぜい、二人の記述者(ブルトンとスーポー)によって必然的に競りあげられる加速された速度によって、当人たちにもその論理を知覚しえないようなひどく濃密なイメージをもたらす、新しい詩的方法といったところだった。」というのが当時の状況だったようです。今回はここまでにします。
    週末 日記としての小さな手帳
    私は教職にあった頃から、バインダー形式の小さな手帳を使っています。最初の頃は時間割や教材の準備などをメモしていましたが、授業内容等の詳しいことは大きめの週案を使っていました。週案は管理職に提出を求められることもあったので、外向きの内容にしていました。小さな手帳は自分なりのメモとして重宝しており、管理職になってからは出張のことや提出書類や校内の状況などを簡略して書き込むようになり、週末には創作活動のことも書いていました。学校を退職してから手帳には専ら創作活動の状況ばかりを書き込むようになりました。この日は土練りをしたとか、成形や彫り込み加飾、仕上げや化粧掛け、焼成についてもメモしています。画材の注文や調達した材料のことも書いています。工房に朝何時に出かけ、夕方何時まで制作していたとか、近隣のスポーツ施設に水泳に出かけたことも書いていて、その日の行動が一目でわかるようにしてあるのです。とくに美術館や映画館に鑑賞に出かけたことも書いていて、後で振り返ると、その時の記憶や感銘を受けたことが思い出されてきます。家内を演奏会場まで送り迎えしたことも書いていて、これを見ると私が退職したことで、家内は結構助かっているのではないかと思います。私はこのNOTE(ブログ)はパソコンで作っていますが、手帳には当然手書きで書き込んでいます。仕事を退職すると文字を書かなくなると人から聞いていますが、私の場合はそんなことはありません。生真面目な性格なので、几帳面な文字をコツコツ書き込むのが好きなのです。今日は朝、家内を演奏会場に車で送った後、美大生を乗せて工房にやってきました。夕方まで工房で彫り込み加飾をやった後、美大生を送り届けました。そんな日常をメモして明日へ作業の積み上げを行っていくのです。
    週末 工房で過ごす日常
    週末になりました。今日は土曜日なので、今週を振り返ってみたいと思います。今週も相変わらず朝から工房に通い、陶彫制作に精を出していました。工房で過ごす日常があり、その中で現在は同じサイズの立方体を作っていますが、彫り込み加飾を変えることで、個々の立方体に個性を持たせています。まるで日記のように立方体を作る行為は、行為そのものを創作的視野から考え出し、日々の時間を積み上げていくことを新作のコンセプトにしようと思っています。日々流れる時間は、創作行為の多少気分の違いはあっても、今までのように大きく緊張が高まったり、落ち込んだりしないように調整しています。作業や労働の単調な繰り返しの中で何を得ていくのか、今まで緊張感を制作の基盤に据えてきたことを、一旦止めてみようと思っているのです。今週もそんな日常を過ごしてきました。今週は金曜日の午後に工房での作業を休んで、昔から通いなれた歯科医院に出かけ、歯のメンテナンスをしてもらいました。私は歯の磨き方が悪いのか、歯に歯石が付着してしまい、半年に一度くらい歯のクリーンアップに出かけています。本来なら先々週に出かける予定だったのが、横浜でも珍しく降雪があり、予定を今日に変えてもらったのでした。歯科医院に行った日もそうですが、他の日もずっと陶彫制作をしているせいか、夜はボゥとしてしまって睡魔が忽ち襲ってきます。仕事を退職すると夜眠れなくなると人から聞いていましたが、私はそんなことはまったくありません。夜の読書が辛くなる時もあります。退職前に比べると仕事への心配事がなくなる分、睡眠時間が多く取れるようになりました。ただし、週末もウィークディも同じになって生活にメリハリがなくなりましたが、創作活動が大好きなので、精神的モチベーションは保ったまま、日々過ごせていると感じています。
    「生の現代的観念」について
    「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅰ部 現代の美への目覚め」の「第三章 生の現代的観念」についてまとめます。「戦時下のヨーロッパにとって、1917年はいちばん暗い年だった。軍隊は塹壕から出られず、冬の寒さは近年になくきびしく、チフスが流行した。」とある通り、戦争がかなり激化していたようです。その最中にブルトンは医師補の資格を取り、陸軍病院に勤務していました。そうした中でブルトンは、アポリネールをはじめとする詩人仲間と交流をしていました。「現代性の観念にとりつかれてはいたが、ブルトンにはそれがいかなる形態を取るべきなのか、まだわからなかった。けれども、彼は疑っていた。そして、この疑いこそが彼の解放の端緒となる。アポリネールは、その文学と美術への好奇心ゆえに、その行動と大胆さゆえに、より真実に近づいているように、彼には思えた。」さらに生涯のテーマがここに登場してきます。「ブルトンはーその後の彼の態度を理解するには非常に重要なことだがーアポリネールがジャン・コクトーの『バラード』のリアリズムに対抗して、自作を形容するのにもちいた『シュル=レアリスト』の概念の生成に、自分〔ブルトン〕が他の誰よりも貢献しただろうと考えていた。~略~『人間は運動を再生しようとして、まるい車輪を創造した。蒸気機関車の動力装置には、その発案者の思考の出発点となったあの〔人間の脚と車輪の〕連結作用を再び見出すことができる。シュルレアリスムはこの発明とこの完成を同時にふくんでいるのだ。』〔アポリネールが『ティレジアスの乳房』の序文にこう書いていたことはよく知られているー『人間は歩行を模倣しようとして、似ても似つかない車輪を発明した。こうして、人間は自分でも知らないうちにシュルレアリスムを創造したのである』。この箇所が『シュルレアリスム』という語の初出例となった。〕」やがて戦争が終わり、ブルトンの新たな時代が始まろうとしていました。「戦争が終わり、今後は完璧に新しい発想を展開できるのだという確信、そして熱のこもった友情、強固な思想、生きることのいっそう直接的な実感、それらがブルトンを輝かしい先輩たちから解放することになったのだ。その上、彼は誠実な副官であるアラゴンとスーポーの力を借りて、旧い芸術にたいする攻撃を開始しようとしていた。彼らにたいして、ブルトンは天性の支配力を行使していたのである。」今回はここまでにします。