2023.03.15 Wednesday
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅳ部 革命の警鐘」の「第一章 彷徨から遭遇へ」(前)についてまとめます。「第Ⅳ部」にはシュルレアリスムを推進していく上でさまざまなエピソードが書かれているので、まず「第一章」を前編と後編に分けてまとめることにしました。「個人的な地平を離れて集団的な地平に向かうブルトンは、『もっとも広範な人間的な義務から革命の義務を演繹する』というシュルレアリスムの意思を再度確認しているのであって、その逆ではない。言い換えれば、他のすべての関心事に勝るような革命についての特有のモラルを彼は見出せずにいる。」とありましたが、この頃はブルトンは個人的な恋愛沙汰に揺れている状況もありました。「自動記述、偽装の試み、剽窃、模倣、これらは同一の地平におかれるべきものだ。詩的創造のさまざまな様態なのである。こうした状況では、尽きせぬ宝や神秘の源泉となる作品の推敲に半年だけで事足りたというのも納得できる。『革命に奉仕するシュルレアリスム』第二号は十月上旬に発売された。別丁図版で掲載されたマン・レイ、タンギー、ダリの挿絵、バンジャマン・ペレの詩、エリュアールとブルトンの共作、マルセル・デュシャンのチェスに関する本の抜粋のほかは、この号は全体として論争または理論的分析に当てられている。~略~ブルトンのもうひとつの論文『シュルレアリスムを前にした精神医学』は、『ナジャ』および『第二宣言』の序文以来、精神科医との間に開かれた論争を敷衍して、精神科医の退行的な働きー彼らが医者であるだけにそれは深刻な問題なのだがー、そしていくつかの法廷において専門家として所見を述べるさいの彼らの権力の乱用を非難する。その行間には、戦時中、軍事法廷において軽視されていた診断書ーナジャの運命は彼にそのことを苦痛とともに思い出させるーを書く必要に迫られブルトン自身が何度も体験した混乱がみてとれる。」次に私が留意した箇所はダリに関するものです。「ダリがある一枚の写真なりデッサンなりを自己流に解釈し、そこに見られるいくつもの層をなしたさまざまな要素をばらばらにして、一種の精神錯乱に身をゆだねるその仕方はわれわれも知っているが、それを彼自身はのちに、『精神錯乱的な連想ならびに解釈の組織的かつ批評的な客体化に基づき、非合理的な知識を自然発生的に扱う方法』と理論づけている。」とあり、これはダリの絵画と並行した有名な言葉になっています。今回はここまでにします。
2023.03.14 Tuesday
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅲ部 シュルレアリスム革命」の「第四章 汚れた生活とすばらしい愛」についてまとめます。ブルトンの浮名は幾度となく流れ、やがて恋愛対象が突如やってくる運命に抗えないこともありました。「31歳のブルトンは、相思相愛の恋に胸を燃やしていた。問題は、社会的な役割もそれなりに担うようになったいま、この恋をどうやって長続きさせるか、だった。二人の男の間で揺れ動くシュザンヌは、この1928年を夢の中でのように過ごしてゆく。さまざまな憧れもなんとか両立させつつ、シュザンヌの夢を現実のものにしてやろうとブルトンは努力した。」また、ブルトンは娼婦という職種を認めていなかったのでした。「金で愛を買うのは嫌いで、娼婦宿を閉めるべきだと主張する人間のひとりだった。『娼婦宿ではすべてが金で売り買いされるし、こうした場所は精神病院か刑務所を思わせる。』『ナジャ』に書かれていることと一貫しているが、ただ、いまではナジャの代わりにシュザンヌという魅力的な女性が登場してきている。シュザンヌとともに生きるうちに、ブルトンは、愛は必ず相思相愛になる、と述べるようになった。」ここに赤軍の組織者でありながらソ連から排除されたトロツキーとの関わりが出てきます。「ブルトンの立場は、シュルレアリストとその友人たちがこれまでそのおかげで自分たちを認知できていた『積極的な無垢さ』に訴えかける、というものだった。この『積極的な無垢さ』は、言い換えれば、一種の暴力となりうるのだが、それが個人の利益のためだとか、不毛な争いのためにもちいられるのをブルトンは残念がっているのである。」そのうち「シュルレアリスム第二宣言」が著されることになりました。「シュルレアリスムの中ですでに死んでしまったものと、いままで以上に生き生きとしているものを見分ける基準が、『第二宣言』によってあきらかにされた。破壊というすばらしい目的を各個人のあらゆる便宜に優先させ、もっとも厳密な精神の防腐法によって偽りの証言の専門家を徹底的に排除するブルトンは、本書において、精神の権利と義務の総和を出してみせたのである。」今回はここまでにします。
2023.03.13 Monday
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅲ部 シュルレアリスム革命」の「第三章 ナジャ」についてまとめます。この章はブルトンの代表的な著作「ナジャ」についての記述ですが、本題に入る前に、私の愛読書「シュルレアリスムと絵画」についての文章がありました。「音楽における表現がつねに混乱を引き起こすのにたいし、『眼は野性状態で存在する』と彼は言う。眼が知覚するものはわれわれを惑わせることがない。ただ、絵画は、『純粋に内的なモデル』を前にした場合は別だが、模倣にとどまってはならない。」というブルトンが言った箇所は今までも幾度となく私の胸に去来しました。さて、「ナジャ」に話を戻しますが、物語の概要は知っているものの私は未だ読んだことがなく、読む前にブルトンの伝記によってその背景を探ってしまうことに躊躇がありました。薄幸で魅惑的な少女に翻弄され、そこから幻想に導かれる物語は、著者がどんな心理状態で著したものか知りたい欲求が沸々と湧いていました。「ブルトンにとって、もっともシュルレアリスム的かつ衝撃的なエピソードはナジャとの出会いである。~略~貧しい身なりのその若いブロンドの女性は、面をあげ、軽やかに歩き、さながら両眼を劇場用に化粧したダンサーだった。」ここから始まる事実に関して伝記では小説の内容を取り上げることはなく、ナジャの後日談を載せていました。「後日譚をブルトンはつつみ隠さず語っている。ホテルで幻覚の発作に襲われ、彼女は1927年3月21日に留置所に、つぎにサン=タンヌ病院に連れていかれ、セーヌ県にあるペレー=ヴォークリューズ精神病院〔パリ近郊〕に監禁された。翌年彼女の両親の希望、彼女は北フランスに移された。ナジャは、1941年に亡くなるまで、精神医療施設の中にとどまることになる。この悲痛な恋愛事件の語り手であり主人公であるブルトンは、自分の責任を問うた。問題は、避けがたい運命を変えられたのかどうかを知ることではなく、作品の題材をそこから引き出してもよいかどうか、ということだった。ところでこの点について、手紙の中身から証明された当事者の意向ははっきりしていた。悲劇的結末のせいで、その意向にしたがう義務を彼はモラル上負わざるをえなかった。」今回はここまでにします。
2023.03.12 Sunday
いつも土曜日のNOTE(ブログ)に1週間の振り返りを行っていますが、昨日は美大の卒業制作展に行った関係で、振り返りは今日のNOTE(ブログ)で行うことにしました。先週の日曜日から金曜日まで毎日工房に通い、陶彫制作に精を出していました。ここにきて春らしい気温になってきたので、作業がやり易くなりました。陶彫制作をしていると一日が短く感じられて、朝9時に工房へ入ったかと思うと、あっという間に夕方3時を回っています。充実した時間を過ごしている証拠だと思いますが、彫り込み加飾のバリエーションに悩みつつ、精神的には追い詰められていることも確かです。今週は水曜日の午後に駅前のドコモショップに出かけ、スマートフォンの買い替えをしてきました。これは家内の願いに応えたもので、私自身は情報機器に特別な思いはなく、知り合いと連絡さえ出来ればそれで満足なのです。土曜日は工房に出入りしている2人の女子を連れて美大の卒業制作展に行ってきました。美術館の展覧会に出かけることも美術鑑賞としては大切なことですが、若い学生たちの生々しい作品を見ることも刺激を受ける上では大切なことと私は思っています。学生作品には完成度が足りないにしても伸びしろを感じさせるものがあり、その頑張りが私の心に響くのです。なかにはよく理解ができないものもありますが、それも含めて若い息吹は感じられます。今週の夜はWBCの試合が連日あって、普段は野球を見ない私もテレビにクギ付けになっていました。サッカーのワールドカップの時もそうでしたが、野球も国際試合には独特な雰囲気があって、日本代表選手団の応援に明け暮れてしまいました。その分、読書時間やらRECORD制作の時間が厳しくなって、時間的には慌ただしい1週間になりました。
2023.03.11 Saturday
工房に出入りしている美大生を誘い、彼女の先輩たちの卒業制作展を見に行きました。同じく工房に出入りしていて来月から多摩美術大学に入学を決めている教え子も連れて行きました。出かけた場所は相模原にキャンパスがある女子美術大学です。普段工房に来ている子は工芸学科で染織を専攻しています。女子美の中では染織の作品はなかなか見応えがあるなぁと思いました。美大は専攻によってそれぞれ雰囲気が違い、おそらくそれは指導者の違いなのかもしれませんが、彼女が女子美で染織を専攻したというのは良い選択だったと思います。卒業制作展に出品している作品の中には労作が多く、内容も優れたものもありました。毎年、卒業制作展に訪れていて感じていることですが、素晴らしい施設と教授陣に囲まれて、4年間、または6年間を過ごした学生は、これから社会の荒波に揉まれていくことになり、そのギャップに悩むのだろうなぁということです。美術の制作は各人の個性に立脚した自己研鑽に尽きるといっても過言ではなく、それを数年やってきた学生にとって、社会のために尽力することはなかなか大変なことです。私の教え子たちも社会に出ることに悩みつつ、何人かは私と同じ二束の草鞋生活を送っています。つまり表現活動をそのまま続けながら、就職もして多忙な中で頑張っています。それがやり切れるのかどうか、人生に後悔を残さないためにブレずにやっていける持久力が必要なのです。私は大学時代に彫刻の師匠に恵まれたことで、彫刻を続けるという姿勢が身につきました。私の場合、卒業制作は人体塑造を石膏にして展示していましたが、それを発展させることはなく、ヨーロッパで表現内容の出直しを図りました。それも大学の4年間があればこそ、彫刻に対する思索を深めることが出来たと思っています。そんなことを思い出しながら、今日は卒業制作展を見ていました。