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    飛び石連休とはいうものの暦通りしか休めない自分は、ゴールデンウィークに入っている気がしません。朝から職員に関する人事管理の仕事があって、午後は職場をサポートしてくれるアシスタントを探しに担当者と大学を回りました。4月に始まってから大学生数人と面接を行いました。ボランティアセンターがある大学では、そこから紹介された大学生がやってきます。インターンシップのようなもので、現在の職場はここ数年この制度をフルに活用しているのです。公務員として仕事をしながら創作活動をしたいという大学生に出会いました。まさに自分と同じなので親近感を持ちましたが、現状は大変厳しく、本人の頑張りがどこまで続くかわかりません。夢と現実の差に愕然とする若者も多いと思います。創作活動が軌道に乗るまで、自分は何度も厳しい思いをしてきました。言うなればこの連休も制作が続くので心休まる日がありません。何もなくボンヤリ過ごした日はほとんどなく、いつも何かに急き立てられているような感覚を持っています。図録撮影を控えた最近はなおさらで、公務をしている時も常に頭を過ぎります。全てを忘れられるのは近隣のスポーツ施設で水泳をしている時か、通勤時に読書をしている時でしょうか。明日は休日なので制作続行の予定です。
    週末 休日出勤&制作あれこれ
    今日の午前中は職場関係の仕事が入って休日出勤になりました。これは管理職になってから度々あることで、立場上仕方がないと決めています。その分、限られた午後の時間を有効に使うことで、制作ノルマを解消しています。今日も午後は工房へ行って、昨日仕上げておいた陶彫部品の化粧掛けを行いました。夕方時間が出来たので、陶彫部品を円錐状に加工した厚板に接合するためのボルトナットを買いに出ました。修正用の埋め込み剤も買ってきました。夜に窯入れをして明後日を待ちます。明後日は「昭和の日」で休みなので、そこで厚板に接合するための作業を行う予定です。厚板の塗装もやっていこうと思います。陶彫部品に貼り付ける番号をつけた印も必要です。細々とした作業がこれから始まります。間に合うかどうか微妙なところです。明後日作業再開です。
    週末 陶彫仕上げ一辺倒 そのⅡ
    先週末に「仕上げ一辺倒」というタイトルをつけて、「発掘~層塔~」の成形に関するNOTE(ブログ)を書きました。今週も継続して陶彫部品の仕上げをやっているので、「そのⅡ」としました。ただし、今日は朝から疲労が残り、焦る気持ちとは裏腹に身体が動きませんでした。朝早く工房に行ったものの2時間程度で自宅に戻り、少し休みをとりました。昼ごろから体調が戻り、それから工房でいつものように全てを忘れて制作に没頭しました。気がつくと周囲が暗くなっていて、今日のノルマは何とか達成できました。明日は化粧掛けと窯入れを行います。明日の午前中は職場に行かねばならず、朝から工房に篭ることはできません。制作時間のやり繰りは慣れていますが、この時期の休日出勤は厳しいと感じます。世の中はゴールデンウィークに入っていますが、例年のことながら自分には新作完成までのカウントダウンが始まっていて気が休まることがありません。それも楽しめるような心の余裕が欲しいものです。
    「言語都市・ベルリン」を読み始める
    「言語都市・ベルリン」(和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田佳子共著 藤原書店)を読み始めました。副題に1861ー1945とあるので、本書は第二次世界大戦を終えるまでのドイツ帝国の首都ベルリンの変遷と、そこに関わりを持った日本人たちを描いています。自分は大学を卒業する頃、ドイツに行きたいと漠然と思っていて、西ベルリンを考えていました。当時ドイツは東西に分かれていて、西ベルリンは東ドイツの中にある陸の孤島と言われていました。知り合いの海外駐在員に西ベルリンはやめた方がいいと言われ、それならば大戦を経ても古い伝統に押し潰されそうなオーストリアの首都ウィーンを選んだのでした。その頃、自分が目指していた現代美術とはまるで逆な方向へ進む結果になりましたが、今となってはそれで良かったと思っています。戦前のドイツであれば、自分はきっとベルリンに行っていたと思うのです。美術や演劇史を通して戦前のベルリンの果たした功績を書籍によって窺い知ることがあったからです。本書はまとまったカタチで戦前のベルリンの魅力を伝える一冊だと思っています。若かりし頃の自分が憧れた戦前のベルリン。暫し自分がまだ生を受けていない古き時代をイメージしながら、本書を楽しみたいと思っています。
    「夜と霧」読後感
    「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房)を読み終えました。読み終えた時には心が震撼して何とも言えない感慨に包まれました。本書は万にひとつの奇跡で生き残ったユダヤ人精神医学者が、強制収容所の中での壮絶極まる体験を通して、その精神的内面の分析を含めて語ったノンフィクションです。そこには生命の極限状態とともに崇高な思念が描かれており、当時の被収容者の心理が、たとえば現在起こりうる震災で、仮に自分が全てを失い、閉塞感に陥るであろう心理と重なるような読み取り方をしてしまうと、何ともやりきれない思いが伝わるのです。2人の翻訳者のあとがきから引用します。まず、霜山徳爾氏の一文です。「彼の一家は他のユダヤ人と共に逮捕され、あの恐るべき集団殺人の組織と機構を持つアウシュヴィッツ等に送られた。そしてここで彼の両親と妻は、或いはガスで殺され、或いは餓死した。彼だけが、この記録の示すような凄惨な生活を経て、高齢まで生きのびることができたのである。」次に池田香代子氏のあとがきを紹介して本書のまとめにしたいと思います。「ある全国紙が2000年の年末におこなった『読者の選ぶ21世紀に伝えるあの1冊』という大がかりなアンケートで、翻訳ドキュメント部門の第三位に挙げられたと記憶するが、それも、この本がこのくにの戦後の精神風土に与えた影響の大きさを物語っている。~略~受難の民は度を越して攻撃的になることがあるという。それを地でいくのが、21世紀初頭のイスラエルであるような気がしてならない。フランクルの世代が断ち切ろうとして果たせなかった悪の連鎖に終わりをもたらす叡智が、今、私たちに求められている。そこに、この地球の生命の存続は懸かっている。」