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  • 横浜の「プーシキン美術館展」
    ロココ主義や古典主義さらに印象派の作品は、とりわけ日本人に人気が高く、表題の展覧会を企画した横浜美術館は連日大勢の鑑賞者で賑わっています。愛くるしく微睡むような女優を描いたルノワール快心の絵画を使ったポスターの宣伝効果もあって、私もつい女優ジャンヌ・サマリーの瞳に誘われて同展に行ったのでした。ロシアの皇帝に続く大富豪とりわけシチューキンとモロゾフが集めた作品の数々は、当時のフランス画壇を網羅するほど充実したもので、とくに印象派以後の絵画に自分は興味が湧きました。その中で自分はゴーギャンが好きで、ゴーギャンらしいカタチや色彩に触れて満足でした。そのうちの1点にエジプト美術を彷彿とさせる絵画がありました。図録によると「頭部は横顔で、目と肩は正面向き、両脚は真横から描かれている。これは古代エジプトの人体表現にほかならない。ゴーギャンは、大英博物館の古代エジプトの石棺の表現から、このポーズを借用している。~略~老いた西欧文明へのゴーギャンの問いかけ、あるいは野生と文明の豊麗な総合~以下略~」(岡 泰正著)と結論付けています。西欧美術を否定していたゴーギャンが西欧美術に囚われ、やがて豊麗な総合に辿りつく様子が鑑賞や論評により知ることができました。この展覧会を通じて絵画における人物描写の特異性を感じた一面もあり、時代とともに表現が変わり、美的価値観が移っていく様子が解りました。
    週末 お礼状の宛名印刷
    先日、カメラマンから個展の画像をお礼状に仕立てた葉書が届きました。今日個展に来ていただいた方々の宛名を印刷し、明日投函しようと思います。芳名帳には多くの方の記帳をいただいていますが、実のところ住所がわかる方は少ないのです。こちらが把握している方々はともかく、ギャラリーせいほうが招待した方々や飛び込みで来られた方々の住所が書かれていない場合があって、お礼状が出せない状況です。このNOTE(ブログ)をご覧になっているのであれば、お礼状は出せませんが、個展に来ていただいたことに心より感謝申し上げます。来年も7月に個展を企画していただいています。毎年ギャラリーせいほうで個展を開催していただいているので、自分は何年もの間、制作スケジュールが定着していて、この好ましい状態がいつまでも続いてくれれば幸いと思っています。制作継続にはギャラリーの都合だけでなく自分の心身の健康状態もあります。毎年のことですが、今年も個展が出来たという感慨があります。来年に向けて今日も工房で朝から制作をしていました。来年の9回目の個展を目指して頑張っていこうと思っています。
    週末 嬉しかったことで弾みをつける
    昨晩は横浜市管理職の絆の会がありました。そこで自分と専門が同じ管理職の方と同席になりました。その席で自分が昔から延々と創作活動をしていることに対し、彼から敬意を払われました。立体造形は手間がかかり、ましてや二束の草鞋生活を継続していることは確かに尋常ではありませんが、今までそこを人から褒められたことはなく、私は自分がやりたいようにやってきた実感があるだけなのです。昨晩はそんなことがあって正直嬉しくて、これで創作活動に弾みをつけようと思いました。今日は朝から工房に出かけ、夕方まで制作をしました。気温もやや下がって作業がやりやすくなったせいか、彫り込み加飾に集中し、暫し時間を忘れました。RECORDの彩色も行いました。週末の制作時間はあっという間に過ぎていきます。微々たる進捗状況に苛立ちもありますが、まずは丹念な積み重ねから創作が始まっていくので、逸る気持ちを押さえながら、気力が尽きる夕方まで作業を行いました。明日も制作続行です。
    見えるモノだけが彫刻か?
    若い頃に読んだ「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)の中で、ブランクーシの彫刻に触れて「彼が創造した鳥たちの影像は空間に永遠の静止を姿態で完結しながら、その放物線はやみがたい無限運動の彼方を示す。また、彼が故郷に建てた『無限の柱』は、その名の示す通り無限の彼方を指し示すことが目的なのであって、人の眼に見える部分は、目に見えない部分を指示するための手段と化したかのようである。」とあり、またムアに関しても同様に「彼の初期から現在までのほとんどすべての作品に一貫している主題は、眼に見える当のものを指示しながら、内なる動機は、当のものを超えて遥かなる眼に見えない世界へとわれわれの意識を導いて行くということであり、その世界は地上的なものでもまた天上的なものでもなく、何か名状し難い超現実の世界、時間と空間が一点に収斂して死者と生者が同一のもののように出会う地点とでも形容したいそういう世界である。」とあります。彫刻を思索の産物として捉え始めた当時の自分にとって「見えない彫刻」は恰好の論評でした。目の前に見える立体だけをもって彫刻と言えるのかという問いかけを抱きつつ、20代の自分は人体塑造の習作に励んでいて、粘土で捉える立体構造だけに終始して、モノの存在や周囲の空間を考えることがなかったのでした。近視眼的な視座しか持ち合わせがなかった自分は、彫刻とは写実的に人体を解釈して具体化する手段と思っている節があり、空間の変容なるものは論外でした。自分の中で何かが変わったと思えたのは滞欧中で、物質と空間の関係をようやく感じ始めたのでした。それは思考であっても、むしろ空間を感覚で理解したといった方が相応しい体験でした。武蔵野美術大学美術館で見た「墓は語るか」展で、この考え方に近い彫刻的意図を感じ、また現在の自作を鑑みると、見えない部分が彫刻として意識の上で確かに存在していると確信したのでした。昨日NOTE(ブログ)にアップした故若林奮の作品を考えるにあたって、同世代の故飯田善国著による「見えない彫刻」を思い出してNOTE(ブログ)にしました。
    「雨-労働の残念-」雑感
    既に終わってしまった「墓は語るか」展で印象に残った出品作に故若林奮による「雨-労働の残念-」がありました。彫刻のもつ「隠された場所」を提示した同展では、まさにぴったりのコンセプトを有する作品ではなかったかと思いました。床に置かれた平たい矩形の立体は、表面を金属板で覆い、その内部にはどんなものが存在するのか、ほんの少し顔を覗かせている連続する小さな矩形以外には手掛かりがない作品というのが「雨-労働の残念-」を見た感想です。自分は若林ワールドを決して饒舌ではない無口でサービス精神を欠いた造形と決めつけていますが、そこには深い思索に富んだ骨太な造形をも感じています。若林奮は頑固で一徹な理論を持った作家だったのでしょうか。自分が学生だった頃に若林先生の講義を聞いても理解できなかった思い出とともに、痩せて神経質そうな先生の雰囲気が浮かんできます。タイトルにある「雨」は若林先生の他の代表作にも使われていて、自然現象を人工的な物質に置き換えて表現する若林ワールドの常套手段と思われます。しかも私たちが目にする自然と到底考えもつかない材質を用いて、それがそのまま詩情を醸し出すところに私自身は魅力を感じてしまうのかもしれません。鉄工場から生まれた詩魂、しかも自分の造形の痕跡を隠してしまうので、鑑賞には隠された思索を暴く謎解きが必要だと思っています。