2024.03.28 Thursday
昨日、町田市立国際版画美術館で開催されている「版画の青春」展に行ってきました。副題を「小野忠重と版画運動」と称して、「激動の1930-40年代を版画に刻んだ若者たち」というフレーズもありました。展示作品数はかなり多く、小野忠重版画館から貸し出されている作品が目立ちました。私も20代の頃、欧州にいてドイツ表現派に心酔して木版画を始めていましたが、当時の東欧諸国で盛んだったプロレタリア美術に作風が近くなって、自作に違和感を覚えるようになりました。私は本展の図録を読んでそんなことを思い出しました。「版画の大衆化という目標を達成するために、小野(忠重)が集団結成以前に加盟していたプロレタリア美術家同盟による、プロレタリア美術の大衆化のための方策をモデルとして活動を展開させた。具体的には、地方で展覧会を開催することや、批判会や講習会を開催すること、『組織的生産』をスローガンに掲げたことなどを採り入れた。政治活動の実態はなかったが、このことからも新版画集団は左傾化した版画グループとも見られていた。」プロレタリア美術を版画普及に利用した小野忠重に対し、私は逆に自己表現が政治色を持つことを嫌った時期がありました。そのことで私は版画表現に距離を置いたのでした。「1930年代初めに新版画集団から始まって造型版画協会へと展開した版画運動は、その質的向上と普及のために、小グループが全力で臨んだ、純粋に版画のための運動であったといえよう。その版画運動は、1930-40年代の主要な版画家組織であった日本版画協会をはじめ、春陽会や国画会の版画部など、さらに1910-30年代に全国各地で発行された創作版画誌に集った版画家グループと比較しても、最も組織的に、求心力と高い熱度をもって進展したと考えられる。」(引用は全て滝沢恭司著)版画は複数印刷して頒布できるという特徴があります。リーダー格であった小野忠重が大衆化を狙ったのも版画のそうした特徴を生かしたものと考えられます。創作版画によるポスターが頻繁に作られているのもその一旦と言えるでしょう。
2024.03.27 Wednesday
今日は午前中は工房で陶彫制作に精を出していました。いよいよ3月も終盤になり、私は7月の個展で発表する陶彫立方体の完成状況に焦りを感じています。そのため美術館へ行こうと決めていた今日も、午前中は陶彫制作をやっていました。工房には春休み期間中の美大生が植物デッサンをやりに毎日顔を出しています。彼女も私に負けじと熱心に制作を続けています。工房に制作者がもう一人いることは、私にとって大変有難く、お互いが張り合いになっていると感じています。その美大生を誘って、今日の午後は東京町田市にある町田市立国際版画美術館に行きました。そこで開催されていたのは「版画の青春」展で、副題を「小野忠重と版画運動」と称していました。展覧会に出品されていた作品は1930年代からのもので、関東大震災から復興したばかりの首都圏を舞台に展開された、創作版画運動を扱ったものです。創作版画とは、自画(じが)・自刻(じこく)・自摺(じずり)を基盤とした、自ら原画を描き、版を彫刻し、紙に摺る工程を一人で行うものです。現在では当たり前のことですが、浮世絵の伝統がある我が国では、版画は分業制になっていたため、敢えて創作版画と呼んでいたのでしょう。私は学生時代にドイツ表現派の影響で、ざっくりした白黒木版画を作っていました。その際に日本の戦前の創作版画運動を知り、創作に向かう作家の意欲を自分の青春時代に被せていたのでした。版画家の中では小野忠重がクローズアップされていますが、私は水船六洲という版画家の作品に興味があり、版画家集団にその名前を見つけて、本展を見に行こうと決めたのでした。作品がいずれも地味だったためか、20歳そこそこの美大生にはピンとこなかったらしく、彼女からたいした感想は出てきませんでした。この展覧会は私が懐古に浸りたかったために訪れたので、美大生を付き合わせてしまったようです。それでも詳しい感想は後日記します。
2024.03.26 Tuesday
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)を読み終えました。バロック期の西洋美術に疎かった私にとって、画家カラヴァッジョの存在は重要なものでした。カラヴァッジョ作品に導入されて、バロック期の宗教美術を知る手掛かりになったからです。本書を読むまでカラヴァッジョに関して私が知らなかったことが多く、とりわけ代表作品の丁寧な分析は役に立ちました。私の浅はかな知識としては、カラヴァッジョは不埒で横暴な性格で、どこでも乱闘事件を起こし、ローマでは殺人を犯して逃走した画家として、半ばゴシップ記事のように画家の歩みを理解していました。画業ではレンブラントの先達のような光と影のコントラストが激しい絵画を描いた画家として認知していたに過ぎません。その画家が宗教画を描いていたことに私は違和感を覚えていましたが、本書を通じてバロック絵画の新しい門扉を開いた世界観を知り、とくに光が差し込むところに神の存在を示唆した設定に、現代に通じる表現を見取りました。著者のあとがきにこんな文章がありました。「タイトルについてひとこと説明しておくと、副題の『聖性とヴィジョン』は、現実的でありながら聖なるものを表現するカラヴァッジョ芸術の本質を表そうとしたものである。第4章(幻視のリアリズム)で述べたように、カラヴァッジョの作品世界は、観者が画中の人物とともに見るヴィジョン(幻視)であるととらえられる。オッタヴィオ・パラヴィチーノ枢機卿は1603年にカラヴァッジョのことを『聖と俗の間にある』と評したが、カラヴァッジョ作品は俗に見えて俗ではなく、その現実的・触知的なヴィジョンはあくまでも高い聖性を備えているのである。」これがカラヴァッジョ作品の本質であり、私にも理解できた箇所でした。カラヴァッジョは享年38歳。いわゆる早世ですが、殺人事件による処刑ではなく、熱病による死亡だったようです。
2024.03.25 Monday
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第10章 失われた最後の大作 」の「4 《キリストの復活》再現の試み 」の気になった箇所を取り上げます。本単元をもって本書は全て終了となります。画家カラヴァッジョの最晩年の作品は「生誕」と「キリストの復活」ですが、その双方とも失われています。「生誕」は盗難に遭い、「キリストの復活」は礼拝堂の倒壊に遭いました。「第二次ナポリ時代の作でもっとも重要な大作は、サンタンナ・デイ・ロンバルディ聖堂のフェナロリ礼拝堂に設置された《キリストの復活》である。この作品は、1805年にナポリを襲った大地震で教会が倒壊したときに失われたとされる。」そこでさまざまな人が、カラヴァッジョに関連した同時代の別の画家の作風から「キリストの復活」の再現を試みましたが、決め手となるものは未だにありません。「(《キリストの復活》は、)マルタ時代の《洗礼者ヨハネの斬首》からシチリア時代の《聖ルチアの埋葬》や《ラザロの復活》を経て、先ほど考察したパレルモの《生誕》にいたる構成の延長線上にあると考えられるのである。とはいえ、マルタ・シチリア作品ほど茫漠とした広い空間ではなく、パレルモの《生誕》のように、ある程度、人物が画面の表面近くに配されていたであろう。薄暗い空間にひそやかにたたずむ聖母を囲む二人の聖人と天使という構成が、中央に立つキリストとその周囲に横たわる兵士たちという構成に継承され、同じような静謐な印象を与えたと推定できるのである。カラヴァッジョが最後に示した新たな様式展開は、マルタ・シチリア時代の茫漠とした空間構成から、より人物の比重の大きなローマ時代のそれに回帰する傾向にあったといってよいだろう。画家自身もローマへの帰還を切望していた頃であった。しかし、画家のローマ帰還が果たせなかったように、この新たな様式展開も途絶され、わずかではあったがその見事な成果たる作品も、皮肉なことに画家の淡い夢と同じく消失してしまったのである。」これで本書の幕引きとなりますが、後日改めて読後の感想をアップし、私が感じたカラヴァッジョについて述べさせていただきます。
2024.03.24 Sunday
今日は日曜日ですが、昨日書くはずだった1週間の振り返りが出来ていなかったので、今日書くことにしました。先週の日曜日から昨日の土曜日までの1週間のうち、工房での陶彫制作が出来なかったのは木曜日だけでした。木曜日は先月開催した横浜でのグループ展のメンバーによる懇親会があって、今年からグループ展に参加した私はその懇親会に出席しました。グループ展は退職中学校校長会が母体となって組織されていて、懇親会も元校長の一人が昔から懇意にしていた店を借りていました。店の営業が始まる前の特別な時間に、店側の懇意で始まった懇親会では、鯛の塩釜焼を提供していただきました。鯛そのものも美味しかったのですが、それを雑炊にしていただいて、私は久しぶりに海鮮料理を堪能しました。私が校長を退職する時は、コロナ禍で歓送迎会が出来なかったので、本当に久しぶりに仲間が集まった感じを持ちました。その後で横浜駅のデパートを会場にした書展にも行きました。出品している人にも会えて、有意義な一日だったなぁと思い返しています。昨日は春彼岸の最終日だったので、家内と墓参りに出かけました。家内の両親も私の両親も横浜市内の墓地に葬られているため、午前中に2ヶ所の墓地を回って墓掃除と彼岸花を手向けることができました。ここ数日は寒の戻りがあって、真冬のような日が続いています。工房も寒くてまだまだストーブが活躍しています。桜の開花予想が先に延びて、来月を待たないと横浜の桜は咲かないかもしれません。