2024.01.16 Tuesday
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第3章 回心の光」の中の「3 死からの覚醒」の気になった箇所を取り上げます。この単元ではカラヴァッジョの「ラザロの復活」を取り上げています。「メッシーナに移ったカラヴァッジョは、ジェノヴァの商人ジョヴァン・バッティスタ・デ・ラッザリの注文を受け、おそらくは1609年初めにクロチーフェリ修道会の主礼拝堂に設置する《ラザロの復活》を制作した。」前単元にもありましたが、カラヴァッジョの宗教画は、光を通して内面を描くことが多く、当時多く描かれた壮大な宗教画の中で、現実性を強く打ち出しているように感じています。「キリストの周囲には、ラザロを覗き込む人物のほかに、三人の男が驚いているように後ろを振り返っているが、その視線は不思議なことにキリストにではなく、画面の外に向けられている。彼らはキリストとともに入ってきた一条の光を驚愕して見つめているようだが、そこにはラザロを蘇生させた超越的な存在がいるのであろうか。あたかもラザロに息を吹き込んだのは、暗がりに屹立するキリストではなく、墓室に差しこんできた光であるかのようであり、人々には実はキリストが見えていないのではないかと思わせる。この画面では、キリストの存在は象徴的・暗示的なものにすぎず、光こそが奇蹟をもたらす存在となっているのである。~略~キリストは光を背に受け立っているが、その全身は陰となって目立たず、蘇生したラザロもキリストを見ていない。ラザロは神の声を聞き、それに感応して歓呼のポーズのように右手を上げて光を受け止めている。ここでもやはり、彼の内面の覚醒が光によって表現されているといってよいであろう。」今回はここまでにします。
2024.01.15 Monday
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第3章 回心の光」の中の「2 天からの声」の気になった箇所を取り上げます。サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂に描いたカラヴァッジョの宗教画《聖パウロの回心》と《聖ペテロの磔刑》の2点、これはヴァチカンにあったミケランジェロ作品が念頭にあったものと思われます。こんな記述が印象に残りました。「画家がおそらくはいったん設置したカンヴァスを大幅に修正したのも、礼拝堂に差し込む光を画面に効果的に導入しようとしたからだろう。聖堂内の光と画面内のそれとの一致、斜めから見られるべく設定された構成によって作品は現実空間に接続し、奇蹟が実際に観者の目前で起こっているような錯覚を覚えさせるのである。奇蹟が現前で起こるというイリュージョンによって、礼拝堂内の日常的な地平が昇華され、観者は宗教的な感情に包まれる。従来の図像のように天の軍勢と光線がパウロを襲撃するような壮大なスペクタクルよりも、この改宗劇のほうがより現実的で深い説得力をもって理解されるのだ。カラヴァッジョはしばしば宗教画を卑俗な次元に引きずり下ろして冒瀆したと非難されてきたが、もっとも現実的な表現がもっとも神秘的な宗教性を与えうることに彼は気づいていたのである。~略~《聖パウロの回心》では、やはりパウロが神の声を聞いているが、画面にはもはや神の姿はなく、馬丁も馬も神の存在にも光にも気づいていない。パウロの閉じられた眼の内側でのみ奇蹟は静かに生起しているのである。神の姿を描かず、目を閉じたパウロの姿をクローズアップすることで、《聖マタイの召命》における内的な覚醒という意味が、より一層あきらかになっているのである。カラヴァッジョの斬新な聖書解釈がここでさらに深化したことがわかる。」今回はここまでにします。
2024.01.14 Sunday
工房に出入りしている美大生の中で、多摩美術大学でグラフィックデザインを専攻している子がいます。その子からラインが来て、卒業制作展に誘われました。今日は朝早く工房に行って窯内の温度を確認してから、工房に出入りしているもう一人の美大生とともに、東京都八王子にある多摩美術大学に向いました。工房に美大生が複数出入りしているおかげで、私には毎年こんな機会が訪れます。卒業制作展に行くと、様々な思いが去来し、溌溂とした作品群に接することができると同時に心身ともに疲れることも確かです。卒業制作は4年ないし6年間の集大成で、力の漲る作品がある一方で、何がしたかったのか分からない作品も見受けられます。絵画や彫刻は旧態依然とした表現の方が、分かり易く伸びしろが感じられるのは私だけでしょうか。最近多くなったインスタレーションは、表現の充実も作者の人間的成長もよく見えず、その意味するところを汲み取るのが難しいと感じます。失礼な言い方をすると、卒業制作期間になったので、その場の思いつきで作ったとしか判断できない作品もあるように思えます。勿論、思索を重ねて辿り着いたインスタレーションもあるのでしょうが、造形哲学を持つのは経験が足りない気がします。ともかく頑張った作品には拍手を送ります。と同時に卒業後も制作活動を継続できるかどうかが分かれ道で、大学の設備が素晴らしく、仲間たちに囲まれて制作できた環境が、この先なくなっていくことに対する心配は尽きないと思います。学生によっては制作は大学時代だけと割り切っている人もいるように聞いています。それはそれでいいと思いますが、後悔はないのでしょうか。前述した、様々な思いが去来するというのは、そんな私的な事情によるもので、私自身も経験した人生の一大転換期を思い出したからでした。創作の魔力に憑りつかれた私は、諦めの悪い人間だったと今も振り返っています。
2024.01.13 Saturday
週末になりました。今週のことを振り返ってみたいと思います。寒さが一段と厳しくなり、内壁のない工房での過ごし方を考えるようになりました。夏もそうでしたが、この冬も工房で一日中制作するのは気温を考えると無理があります。ストーブ1台で暖を取るのは大変で、まして水を扱う陶彫制作は手が悴んでしまい、作業時間を短くすることにしました。今週、作業時間を長く設定したのは今日だけでした。今日は後輩の彫刻家や美大生が工房に来ていたので、普段工房に来れない彼らのことを考えると、長めの作業時間を取ったのでした。そのおかげで私の作業も進みました。乾燥した陶彫作品8点の仕上げと化粧掛けを行い、窯入れをしました。明日は焼成中のため工房は使えませんが、美大生から卒業制作展の誘いを受けているので、久しぶりに美大に行くことにしたのです。今週は時間短縮でも毎日制作をしていましたが、木曜日の午後には東京駅ステーションギャラリーで開催している「みちのく いとしい仏たち」展に行ってきました。そこで肩肘張らない民間仏に触れ、仏たちと何気ない対話をして、心に癒しと安らぎを与えられたように感じました。私は組織だった特定宗教の前では、身構えして合掌することはありますが、野の片隅にある地蔵や林に囲まれた祠に鎮座する仏が結構好きで、つい手を合わせることが暫しあります。地蔵や民間仏は造形物ですが、美術とはまた違う趣があって、地元に愛されている由縁がよいと感じているのです。私の住む横浜では宅地造成のため、そうした小さな守護神がひっそり失われていっているのだろうと思っています。山間に点在していた墓地もなくなりました。私の家もそうした墓地を持っていましたが、住職に魂抜きをお願いして、墓地を菩提寺に移しました。それによって風景が変わってきましたが、相続を考えると昔のような風景を残すことは出来なくなったのです。墓地の近くにあった地蔵も消えてしまいました。そんなことを思い出した展覧会だったと思っています。
2024.01.12 Friday
先日、東京駅にあるステーションギャラリーで開催している「みちのく いとしい仏たち」展を見てきました。仏像鑑賞と言えば、私は運慶や快慶が大好きで、慶派の仏像展にはよく出かけます。今回の展覧会は慶派とは真逆にある造形で、専門の仏師が彫ったものではなく、地元の大工や木地師が作ったであろう仏たちで、それでも村人に大切に扱われてきた祠などに鎮座する像なのです。陸奥(みちのく)は青森県、岩手県、秋田県あたりを指し、この分野の調査は最近になって行われているようです。図録より引用いたします。「多くの像が樹木そのものの形状を活かすような木取りや彫刻をしていて、上方や江戸における、形が優先で用材はヒノキの寄木を標準とする仏像観とは違う発想が、土地に根ざした民間仏の根底にはあるようです。本展出陳像の多くが奥羽山脈や北上山地の山襞から運ばれてきていることを思い起こせば、城下町の寺々にまつられた仏像と異質なわけが見えてきます。~略~本来仏像を刻むことは僧籍にある者にしか許されない行為です。民間仏は、それぞれ集落や民家の少人数のために刻まれましたから、正しい図像やおごそかさなど仏像本来の資質に欠けていることは問題にならなかったのです。~略~みちのくの山村漁村農村を問わず、日々の暮らしのかたわらに仏像や神像がありました。囲炉裏の煙に煤けたり、年中変わらぬ湿気に足腰を腐らせたり、子どもに手をもがれ、明治政府の命令で放り出されたり。およそ『宗教美術』とかけ離れた扱いをされてきましたが、一体一体汗と涙が染みつくした尊い遺産です。きわめて地方性の強い造形ですが、方言の通訳はいりません。複雑な図像、由緒来歴、作者の系統など多くの知識が必要な京都や奈良の仏像にくらべるとき、みちのくの民間仏たちが訴えるものはわかりやすく、その表現は今も私たちの心に響きます。」(須藤弘敏著)私の地元ではほとんど失われてしまった仏たちですが、幼い頃、雑木林にあった小さな神社で遊んだ記憶が甦ります。神社にはどんな仏像が鎮座していたのか確かめることもなく、私は手を合わせていました。