2024.01.06 Saturday
週末になりました。2024年は月曜日から始まったので、今日は新年最初の1週間が過ぎたことになります。週末には振り返りを行うのがNOTE(ブログ)の定番になっているので、今週を振り返ってみたいと思います。元日の月曜日は毎年定例になっている自宅脇に鎮座する祠にお札を奉納するため、東京赤坂にある豊川稲荷に出かけました。工房では大晦日に窯入れを行なったために、元日も温度確認のために工房に出かけました。毎年、家内の知り合いから小さなおせちを購入しているので、雑煮とともに食べました。火曜日は工房に行って、座布団大の大きなタタラを数枚用意しました。午後は菩提寺に出かけ、墓参りと清掃をやってきました。水曜日は工房で成形を行い、窯出しもやりました。午後は従姉妹会に参加するため、東京渋谷のフランス料理店に出かけました。親戚の集まりもコロナ禍の時はなかったのですが、昨年から再開して、皆で新年を祝いました。人が集まれる幸せを感じました。木曜日は工房で2点目の成形を行い、午後は自家用車を6ヶ月点検に出しました。ディーラーの方からドライブレコーダーの装備を勧められて、事故があると記録映像が重要であることを最近のテレビ報道で知っていたので、ドライブレコーダーを取り付けることにしました。金曜日は工房で彫り込み加飾を行い、午後は近隣のスポーツ施設が平常に戻ったので、水泳と水中筋トレをしてきました。夕方は横浜駅近くの歯科医院に出かけ、歯のメンテナンスをしてきました。私は虫歯でなくても半年に1度は歯のメンテナンスに出かけているのです。今日の土曜日は朝から夕方まで工房での作業を行いました。いつも来ている美大生が来たので、彼女に背中を押されるように一日中陶彫制作に励んでいました。今年最初の1週間も、結局毎日工房に通っていたことになります。そして最初の1週間でやるべきことを全て済ませたことになりました。今月も陶彫制作に捧げる1ヶ月になるのでしょう。
2024.01.05 Friday
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の第2章「1600年前後のローマ画壇とカラヴァッジョ」の中の「5 ジョヴァン・バッティスタ・ポッツォとその他の画家たち 」の気になった箇所を取り上げます。この単元で第2章は終わりです。この単元ではカラヴァッジョと同郷の夭折画家について書かれていました。「28歳で夭折したため作品数も少なく、その美術史的位置づけや研究もほとんどされていないが、カラヴァッジョと同じロンバルディア(ヴァルソルダ)出身で優れた才能をもっていたジョヴァン・バッティスタ・ポッツォ(1563-1591)との関係についてふれたい。~略~もしこの画家が長生きしていたら、カラヴァッジョやカラッチの革新性はもっとちがったものに見えていたにちがいない。~略~作品数は膨大だが画家の個性のきわめて乏しい1590年から1600年の聖堂装飾のうちで、ポッツォのこの壁画は小規模ながら強い個性をもって異彩を放っている。~略~上京直後に多くの聖堂を見て回ったにちがいないカラヴァッジョが、大規模な装飾が施されたばかりのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂や改築なったばかりで様々な絵画で埋め尽くされたサンタ・スザンナ聖堂を訪れ、ポッツォの才能に目をとめたことはきわめて自然である。そして彼は、自分の上京前年に志半ばで逝った郷里の先達の革新的な事業を継いだといえなくもないのである。」定説ではカラヴァッジョはルネサンスの巨匠から影響を受けたとされていますが、同時代の画家たちとの交流や刺激し合う関係もあり、様々な人間模様が展開されていたようです。「カラヴァッジョの作品には、明らかに同時代の画家たちの影響が見られるのだが、ただしそれは彼がラファエロやミケランジェロを引用するときと同じく、図像や構成の上に限定されており、それらは自然主義的で明暗対比の強い彼独自の様式によって処理されているため、一見その影響が判別しがたいのである。」今回はここまでにします。
2024.01.04 Thursday
今日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「自分が頭で考えたようなものではなく、自分でも予測がつかないようなもののほうがいいんです。宮崎駿」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「人前で話す時は、凶暴で破滅的なことは控え、前向きでいたいが、映画作りではそうはいかないとアニメーション監督は言う。いろんな人の思いや考えが軋む中で、『こうしたい』というより『こうせざるをえないから、こうなった』というふうに進むと。ぶつかりが激しいほど道は必然となる。『折り返し点 1997~2008』から。」映画は一人ではできず、組織としての分担作業があり、物語の意図を理解してもらうために、スタッフとのぶつかり合いがあるのだろうと察します。他者の理解と共感を得るために『こうせざるをえないから、こうなった』という説得材料を用意して、何とか自分の発想やら展開の手法を推し通していくのではないでしょうか。創作活動は自分の描くイメージから発し、自分が思うように進めていかれるのが一番ですが、そこにはさまざまな葛藤があり、他者との軋轢も存在します。私は個人制作なので、他者の意見は気にしませんが、大きなプロジェクトになると骨が折れることもあるだろうと考えます。ただ、個人制作の場合でも、計画通りにスムーズに進むと、出来上がった作品は底辺の浅いものになってしまいます。と言って、あまりにも紆余曲折し過ぎると、作品は苦労した割には実りのないものになってしまいます。組織にしろ個人にしろ、これは創作活動の難しい側面で、うまくいった前例を模倣しても愚作になるだけです。慣れも禁物で、慣れた技法で饒舌に語っても愚作の上塗りに過ぎません。創作活動は何と厄介なものだろうと思いつつ、だからこそ面白いのかもしれません。「予測がつかないもの」の中に次なるステップが潜んでいるとも考えられます。
2024.01.03 Wednesday
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の第2章「1600年前後のローマ画壇とカラヴァッジョ」の中の「4 アンニーバレ・カラッチ 」の気になった箇所を取り上げます。以前のNOTE(ブログ)に書きましたが、バロック時代の美術史に弱い私は、当時活躍した画家の名前を知らず、また流派も知りません。手探り状態で本書をとつおいつ読みつつ、カラヴァッジョ以外の画家による作品を思い起こすことに難儀しています。「『革新者』カラヴァッジョとともにローマ画壇に衝撃を与えた『改革者』アンニーバレ・カラッチ は、しばしばカラヴァッジョと比較されてきた。~略~より具体的に影響があると思われるのは、アンニーバレの《聖ロクスの施し》である。1594年から95年頃に描かれたこの作品はアンニーバレのボローニャ時代の集大成といわれ、また偉大なバロックの群集構成を示す最初の作品であるともいわれる。~略~1607年にカラヴァッジョがナポリで描いた《ロザリオの聖母》にも、聖ドミニクスの持つロザリオに向かって人々が殺到する情景が見られ、このダイナミックで力強い集中する手の表現にアンニーバレの作品を研究した痕跡が認められるようである。」カラヴァッジョの絵画修業には師匠だけでなく、好敵手となる同僚などもいて、当時のローマ画壇は活気に満ちていた様子が伺えます。私の若い時に出かけたイタリアで、教会や礼拝堂に収蔵された宗教画の数々を見て回りましたが、当時はただ漫然と眺めていたに過ぎなかったことを改めて恥じています。しかしながら、その質量の多さに異文化からやってきた私は辟易していたこともありました。「若い頃からフレスコの大画面で習練していたアンニーバレと比べ、カラヴァッジョが群像処理を苦手としていたことはあきらかであり、強い明暗対比によってその弱点を隠そうとしたといってもよい。いずれにせよ、アンニーバレのモニュメンタルな《聖ロクスの施し》の記憶は、カラヴァッジョの《ロザリオの聖母》と《慈悲の七つの行い》という、1607年のふたつの大画面に投影されたと考えられるのである。」今回はここまでにします。
2024.01.02 Tuesday
NOTE(ブログ)の本題に入る前に、昨日石川県能登を襲った大地震と津波を心配しています。被害が甚大だった輪島は、以前輪島塗を見に訪れたことがあり、そこで何軒かの店で店主さんに伝統工芸について話を聞かせていただきました。美しい佇まいの町に思いを馳せ、そこの被害が映し出される度に心が痛みます。正月のゆっくりしていた時間帯に突如やってきた災害に、我が国にいれば決して他人ごとでは済まない状況に私も複雑な思いを抱きます。亡くなった方にお悔やみと一刻も早い復興を祈願しております。さて、今日1月2日は書初めを行う日ですが、私は書初めならぬ作初めを行いました。書初めは元々宮中で行われていた儀式で、若水で墨を摺り、恵方に向って詩歌を書く習慣があり、江戸時代以降に庶民にも広がったとネットで知りました。教職に就いていた頃は、生徒による書初めを、新学期になって教室の内壁全体に吊るしていて、私はそれを鑑賞するのが好きでした。今日から私は工房に籠って、作初めとして座布団大のタタラを数点作りました。成形はタタラ作りと紐作りの併用なので、まずは大きめのタタラを作り、そこをビニールで包んで一日放置するのです。工房は昨年大晦日に窯入れをしているので、昨日は窯内温度の確認に来ました。元旦に作業をしなかったとしても工房は稼働しているわけです。今日は窯内温度が下がってきたので、電気を復旧し、陶彫の作業をしたのでした。実は昨日やっていた相原家の正月行事で忘れていたことがありました。昨日菩提寺の住職に挨拶に行った時に、墓地の清掃をしていないことに気づきました。今日の昼頃に家内と菩提寺に出かけて、墓地を清掃し、花を手向けてきました。これは先祖への供養ですが、今日は作初めをしましたよという報告でもありました。今年も健康で日々陶土と接していきたいものです。