「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)を読み始めました。本書は1978年に発刊されたもので、横浜駅の古本ワゴンセールの中から見つけました。自宅の書棚に「瀧口修造コレクション」(みすず書房)があり全巻揃えようとして、実は第7巻「シュルレアリスム」の一冊が欠落しています。私は一気に全巻を購入することはせず、1巻ずつ読みながら揃えていく癖があるため、これは瀧口全集だけに限らず、その他にも全巻が揃わない全集が数多くあるのです。全集と言えば中学校入学時に母親から百科事典を贈ってもらいました。全巻揃っているのはこの百科事典くらいで、職人家庭だった実家には、まともな書籍がなく、読書好きだった私に母親がプレゼントしてくれたのでした。それからというもの私は興味のある作家や評論家の全集をコツコツ集め出したのでした。瀧口全集は、私が教職に就いてから集め出したもので、学生時代から関心のあったシュルレアリスムについて系統立てて学習しようと考えたのでした。その頃、第7巻については問い合わせもしましたが、結局手に入りませんでした。古本で手に入れた本書は第7巻の埋め合わせになるかもしれず、改めてシュルレアリスムについて瀧口修造の評論を紐解こうと思います。私はアンドレ・ブルトンを初め、さまざまな機会にシュルレアリスムに関する書籍を購入し、また展覧会に出かけています。最初の頃に手に入れた「シュルレアリスムと絵画」(瀧口修造・巌谷國士監修 人文書院)の冒頭の一文「眼は野生の状態で存在する。」が妙に記憶に残り、そこから私のシュルレアリスムの遍歴が始まったと言ってもよいと思います。先日まで読んでいたバロック時代の宗教画に関する書籍から一転してシュルレアリスムになり、多少なり日常に戻った感じを私は持っています。
note
2024.04.02 Tuesday
2024.04.01 Monday
今日は4月1日で、新年度へ変わる日です。私は教職にいた時の習慣で、4月1日になると特別な思いが去来します。教職にいた時は転勤が決まり、私は新しい学校へ赴任したことを今も思い出します。大手新聞社が昨日の新聞で、神奈川県内の教員の人事異動を掲載していました。他の都道府県では早い時期に人事異動を知らせていることがネットにありましたが、神奈川県は従来から3月最終日に人事異動情報が新聞に挟んでありました。気持ちが左右されるのはそんな習慣に、私が今も囚われているせいかもしれず、逆に言えば、ここで私自身生まれ変わったつもりで頑張っていくとすれば、新年度は有効な時間の使い方が出来るかもしれません。実際に私の一区切りは7月個展です。個展に向けて精魂傾けていくのが4月の創作活動の在り方だろうと思います。まずは陶彫制作を精一杯やっていくつもりです。勿論見たい展覧会もあるのですが、陶彫制作の具合で決めていく予定です。一日1点ずつ作り続けているRECORDも夜の時間帯を有効に使いたいと考えています。読書も続けます。次に読む書籍は、最近横浜駅でワゴンセールをやっていた古本の中から購入した美術の専門書に挑戦しようと思っています。専門書と言っても私にとっては手の内に入るようなものなので、気楽に考えています。先日、東京では桜の開花宣言がありましたが、横浜の開花宣言は今日でした。工房周囲の桜はちらほら咲き始めているので、暫くは花を楽しめるかなぁと思っています。美大生がデッサンのために花を摘んできていました。私も美大生の傍らで夢中で陶土を練っていました。久しぶりに工房の窓を開け放し、快適な温度の中で作業を行いました。
2024.03.31 Sunday
今日は日曜日で、3月の最終日でもあります。私は教職を長く勤めた習慣で、年度末という意識がいまだに抜けません。私が日々メモしている小さな手帳も今日が最終日になっていて、明日から新しい手帳に切り替わるのです。3月末になると、今年の7月個展のことが頭を過ります。個展の前には図録用の写真撮影があり、それまでには1年間分の陶彫立方体が完成していなくてはなりません。そんな意味で今月の陶彫制作には拍車をかけていました。12月までの陶彫立方体が終わるのかどうか微妙なところで、来月からはさらに陶彫制作を頑張っていこうと決めています。今月を振り返ると、31日間あったうち30日間は工房に通って陶彫制作をやっていました。休んだ1日は、教え子を誘って女子美術大学の卒業制作展に行った日でした。その他にも展覧会は行っていましたが、工房で午前中は制作をしていました。今月の鑑賞を振り返ると、前述した卒業制作展(女子美術大学)、「カール・アンドレ」展(DIC川村記念美術館)、「今をえがく書かながわ」展(そごう美術館)、「版画の青春」展(町田市立国際版画美術館)に行きました。今月は映画や演劇には行っていません。その他では栃木県益子町にある明智鉱業に陶土560㎏をお願いし、工房に搬入していただきました。例年ならもう少し後で陶土を調達していましたが、現在作っている陶彫立方体は例年より多くの陶土を必要としている証でしょう。読書ではじっくり丁寧に読んでいた画家カラヴァッジョに関する書籍を読み終えました。私はバロック時代の芸術家に疎く、カラヴァッジョを切り口とするバロック時代の知識を増やす一助となりました。ウィーンにいた頃は街中に施されたバロックの建築装飾に些か食傷気味で、自分が育った国と文化が異なる世界に辟易していたことがありました。教会に設置された宗教画もよく味わうこともなく、自分の中にすんなり入ってこなかったこともありました。異文化を咀嚼できるようになるには時間が必要でした。書籍を読みながらそんなことが頭を過りました。
2024.03.30 Saturday
週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。今週は毎日工房に通い、陶彫制作に明け暮れていました。水曜日は午前中だけ陶彫制作を行っていて、午後は町田市立国際版画美術館に出かけました。ここで開催されていた「版画の青春」展で、私は版画に思いを馳せました。私も若かりし頃に版画を作っていて、大学の友人たちとグループ展を開催したことがありました。私は当時ドイツ表現派が好きで、とりわけエルンスト・L・キルヒナーやケーテ・コルヴィッツ、エルンスト・バルラッハに心酔していました。そのうちコルヴィッツとバルラッハは彫刻家でもあり、私も大学で人体彫塑をやっていたので、自分も表現派気取りでいましたが、自分の思想や精神性があまりにも幼稚で、また政治的な要素もあって、次第に版画から離れていきました。そんな頃を思い出す展覧会を見て、一入感慨に耽ってしまいました。現在の陶彫表現に辿り着くまでに、私にも振り幅があり、また海外での鬱積した生活も思い出し、決して真っ直ぐな道を歩いてこなかった自分がいたことを見つめ直した1週間でした。とは言え、現地点での私は、陶彫という素材に長い間取り組んでおり、その展開にまだ満足がいかないので、それは生涯を賭けてやっていくのだろうと考えています。さらに陶彫によって具象表現の説明的要素を取り除いた表現を求めたこともありました。それは抽象化というものと少し意味合いが異なり、従来の抽象表現のように、具象表現の形態を取捨選択して純粋化したものではありません。作品に説明的要素がないだけで、時に具象と見られても、私は可としています。発掘された出土品とも架空都市とも評される私の陶彫は、厳密な意味で抽象作品とは違います。地中から掘り出されたモノに彫刻的美しさを感じ取り、その場を空間演出する試みが私の求める世界です。そこに向けて今日も陶彫制作に精を出していました。
2024.03.29 Friday
町田市立国際版画美術館で開催されている「版画の青春」展の展示作品の中に、版画家水船六洲の作品が数多く展示されていることがわかり、それが契機になって私は同展に足を運びました。私が水船六洲の作品を知ったのは20代の頃、版画の専門雑誌からで、それは斬新で抽象的な作風でした。前衛的な書を見るような趣もあって、その構成に忽ち惹かれました。オリジナルに接したのは銀座の老舗画廊で、意外に大きな作品だったのと、版画とは思えない厚手の色彩が摺りこまれていたのが印象に残りました。これを木版画でどう作るのだろうと素朴な疑問がありました。2016年に横浜美術館で開催されていた「複数技術と美術家たち」展にも水船作品が展示されていて、私は暫くその前に佇んでいました。呉市立美術館の宮本真希子氏による作家研究レポートがあり、内容は彫刻を中心にした論考でしたが、版画作品にも触れた箇所があり、水船作品の「背後に一種の諦観」を見取り「呉での少年時代に親しんだ海辺の生物や漂流物」が抽象の構成要素になっていると述べられていました。私自身失われていくモノの哀れさは水船作品の作風から感じられませんが、瑞々しく深い詩情を湛えた画面は理解しています。「版画の青春」展の出品作品は水船六洲の初期のものだろうと思われ、具象的な人物像などを木版画にしていました。その中に「ピエタ」や「天使ガブリエル」を版画にしていたので、水船六洲はキリスト教信者だったのでしょうか。横浜の学校法人「関東学院」に美術科教員として勤めていたことも信者と関係があったのでしょうか。最終的に関東学院小学校の校長職に就いた水船六洲でしたが、私も高校は関東学院で学んでいます。おまけに私も市立中学校の校長職にあり、しかも彫刻をやっていたことで、見ず知らずの作家なのに、私は勝手な親近感を抱いているのです。因みに私は関東学院の六浦校出身で、蛇足ですが同期の俳優竹中直人君もそこに学んでいます。