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  • 青山の「アンゼルム・キーファー展」
    昨日は東京都港区北青山にあるファーガス・マカフリー東京で開催されていた「アンゼルム・キーファー展」に行ってきました。ファーガス・マカフリー東京を私は初めて訪ねました。そこは2部屋の手ごろな空間があったので、美術館と言うよりギャラリーとして、現代アートを扱っている場所なのかぁと思いました。現代ドイツを代表する芸術家アンゼルム・キーファーは79歳になり、その制作現場を撮影した「アンゼルム”傷ついた世界”の芸術家」が現在映画館で公開されているようなので、近いうちに観に行こうと思っています。監督は「ベルリン天使の詩」や「パーフェクトデイズ」を作ったヴィム・ヴェンダースで、私の好きな映画監督です。アンゼルム・キーファーの作品を、嘗て私は箱根にある彫刻の森美術館の大きな室内を使って展示されていたのを見ています。ナチス・ドイツによる崩壊した社会体制、そして瓦礫と化した街に生まれたキーファーは、経歴によるとヨーゼフ・ボイスに師事しており、インスタレーションが物語る崩れた風景と生々しい物質感は師匠の影響かもしれないと思いました。本展では立体作品や平面作品を合わせて20点ほど展示されていて、立体作品は全てガラスケースに収まっていました。ガラスケースを通して見る風景は、コンパクトになっているとは言え、その主張するところは衝撃的で、かなりインパクトがありました。罅割れた大地、枯れて風化した植物群、無造作に積まれたレンガ、薄手の衣類が上から吊るされていたところは日常性が垣間見えて、具現化された終末の世界を描いているように感じました。戦後のドイツ復興とともに心から消し去ることが出来ない第二次世界大戦の反省と罪悪感、何がキーファーをここまで突き動かしているのか、時代の移り変わりでリセットされて、人々が次第に忘れかけていく惨劇を、象徴性をもって私たちに突きつける作品は、世界が不穏な動きを見せている現代だからこそ、私たちが考えていく必要を感じていくべきだろうと思いました。
    AM木箱作り PM画廊散策
    昨日は乾燥した陶彫作品にヤスリ掛けをして、化粧掛けを施して窯に入れました。NOTE(ブログ)で何度も書いているように、焼成中は窯以外のブレーカーを落とすために、今日は自然光の中での作業になりました。今日は個展搬入準備のために陶彫作品を入れる木箱作りを行ないました。まだ7月初めだというのに関東でも熱中症警戒アラートが出るほどの酷暑になり、空調設備のない工房はあっという間に30度を超えて、頭に巻いた手ぬぐいやシャツが汗でびっしょりになりました。焼成中の窯の周辺には近づけない状況で、これ以上工房に長居するのは危険かなぁと思いました。また自然光の中での作業で、終日やっているのはなかなか厳しいものがあるので、午後から搬入のための材料購入も兼ねて、東京のギャラリーに出かけていくことにしました。先日の新聞記事で知った「アンゼルム・キーファー展」は、ちょっと見てみたい衝動に駆られていました。ずいぶん前に箱根の彫刻の森美術館で、アンゼルム・キーファーは大掛かりな展覧会をやっていて、巨大なインスタレーションの前で私は立ち竦んでいました。会場に運び込まれた木材や藁が圧倒的な迫力で所狭しと置かれ、物質を取り込んだ空間全体が訴えたい主題を鮮明に語っていました。私の記憶ではそこにあった炙った木材の炭化した姿が妙に美しく、廃墟のような残像が私の心に残りました。このキーファー・ワールドというべき傷ついた世界は、私たちに何か警鐘を鳴らしているように感じました。彼が生を受けた1945年は第二次世界大戦終戦の年で、ドイツに生まれた彼はナチス・ドイツの忌まわしい惨状の中で育っていったのでした。彼の造形は何を意味するのか、別稿を設けてその意味を探ってみたいと思います。
    「卵のエチュード」について

    「瀧口修造 沈黙する球体」(岩崎美弥子著 水声社)の第4章「卵のエチュード」の気になった箇所をピックアップしていきます。「この作品はシネポエムという映画の形式で書かれていることと、そこに画家ダリが展開したフロイト的オブジェ論が反映されている面において興味深く思われる。そして、この作品からは瀧口のオブジェ観がどのようなものであるかが理解できるばかりでなく、『妖精の距離』(1937年)に通ずる喪失と閉塞の心理がはっきりと見て取れるのである。」瀧口修造にとって映画とは何だったのか、こんな文章もありました。「『悲痛の前で微笑することができる』。現実が苛酷なものになればなるほど、瀧口は視覚によって具体的に捕えることのできる暗闇のなかの超現実的な映像世界へと向かっていく。そして、超現実的な映像は現実描写に匹敵する力でひとのこころを摑むことを確信するのである。」本章の最後にこんな文章がありました。「『卵のエチュード』が書かれた頃、瀧口は象徴としてのオブジェについて考えていたのである。象徴には対象物からじかに感受する感覚の力が深く関わっているのであるが、瀧口の考えではそれは必ずしも花鳥諷詠のような美的な言葉や夢幻として表現する必要はないのである。むしろ、絵画にしろ山などの物体にしろ、ぽん、と目の前に投げ出されている対象から受ける自分の感受性や直感を信じることで、その価値を決定していくという方向に瀧口は向かったのである。~略~この時期の瀧口にとって超現実的な世界は『悲痛の前で微笑む』ためのものだったのである。このことについては、慎重に考慮されなくてはならないであろう。~略~悲痛も微笑みも人間が有する生命の発露であろう。そこには、目には見えない生命力というものが表面に現れているのである。」今回はここまでにします。

     

    「妖精の距離」について
    「瀧口修造 沈黙する球体」(岩崎美弥子著 水声社)の第3章「妖精の距離」の気になった箇所をピックアップしていきます。「瀧口の詩画集『妖精の距離』(絵・阿部芳文〔展也〕/1937年)には、重量のない、物質の持つ重力の束縛から離脱した世界が描かれている。それはこころの深層部にある重苦しさを強調しがちなシュルレアリスム全体が次第に衰退していくのとは別に、瀧口の新たな展開を待つものであった。」さらにこんな論考が続きます。「『妖精の距離』には、こころの深層部に踏み込むのではない、何かを内観しようとする姿勢が見られる。さまざまな物質は『奇妙な線で貫かれ』、危ういバランスを保っている。『距離』とは、このバランス感覚に支えられている物質同士の距離のことでもあるだろう。このような距離感というものは、目に見えるものではない。この詩には夜が登場せず、『夜曲』のような暗さはないが、死の影は『浮標』という言葉で暗示的に扱われている。透明な均衡の下には死の世界があるのだが、それは現実の世界に住む私たちには見えない。しかし、目には見えなくとも確かに存在しているものたちが、ここでは静かに均衡を保っているのである。」私は個人的な感覚として、瀧口修造の詩の世界に造形美術の匂いが立ち込めていると感じることがあります。それは美術家との交遊が多く、とりわけシュルレアリスムを体現しようとする美術家を瀧口修造が批評を通して助言してきたことと無縁ではないと考えます。「『象形と非象形の問題』の章において、瀧口は20世紀芸術が克服するべき課題は抽象と超現実の対立ではなく、象形と非象形の不可避な分裂であると結論づけた。そのような現代絵画の領域から提起された『形』の問題は、絵画という狭い範疇だけでなく、詩や音楽、建築なども含んだ『造形』というものに対して現代人が持っている欲求全体に関わっているのではなかろうか。」今回はここまでにします。
    7月は特別な月
    暦の上で年末年始の1月や年度の変わる4月に対しては、私たちは誰しも特別な感覚を持ちますが、私にとって特別な月は7月です。それは毎年、東京銀座のギャラリーせいほうで個展を企画していただいているからです。個展での発表を目ざし、私は1年間を制作に明け暮れます。個展が終わると、また来年の7月を目ざして私は創作活動に邁進していきます。7月は自分の成果を見定めて、作品が自分にとってどうだったのか、その立ち位置を見つめ、表現力の不足があれば、それを反省する機会でもあるのです。学校に勤めていた頃は年度の変わる時期に、学校運営や組織を見直して、その反省を次年度に生かしていました。3月から4月というのは管理職にとっては人事を含めて苦しい時期だったと述懐していますが、個人制作においては今月が個展発表を境に自己を見つめ直す契機になっているのです。私は個展期間をギャラリーにお願いして定例化させてもらっています。学校運営と同じで、その同じ時期に同じイベントがある方が自分にはやり易いのです。創作活動をしていると1年間はあっという間に過ぎていきます。彫刻家は他分野に比べると長寿の人が多いのですが、それでも生涯は何て短いのだろうと思うことが暫しあります。彫刻が一気呵成に作れない造形である以上、時間がかかってしまうのは当然ですが、初期のイメージを持続させるためのエネルギーも必要になってきます。例年の7月ならば、既に来年に向けた新しいイメージが出来ていますが、今年は余裕がなくて、今も今月発表する作品に拘り続けています。個展が終われば、肩の荷が下りて自由な発想が出来るのではないかと期待しています。今月も身体を労わりながら創作活動をやっていきます。