2024.06.12 Wednesday
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)を読み終えました。本書に掲載された評論は1930年から1940年の間に発表されたもので、第二次大戦前から大戦に至るまでの、社会的には緊迫した激動期に当たります。戦争に向かうキナ臭い世相の中で、よくぞシュルレアリスムについて書けたものだなぁと思っています。日本が強いた軍国主義は多様な価値観は認めず、美術作品は戦意高揚のために使われました。同じようにナチスドイツも革新的な表現に対し、退廃美術の烙印を押したのは余りに有名です。著者も案の定、警察に検挙される憂き目に遭っています。それでもシュルレアリスムの運動を信じて疑わなかったのは筋金入りの信念があったからでしょう。本書最後の覚書にこんな文章がありました。「当時の私にしても、芸術運動としては画壇の一角から起こりうる可能性をつよく感じていたし、事実、太平洋戦争の前夜にかけての数年間、若い画家たちの動きは活発をきわめた。しかし、いま読み返してみて、私の書いたものにそれほど具体的に反映していないようである。もちろん今日と比較すれば、それはジャーナリズム圏外の動きであり、文章による反映は小さなパンフレットか機関誌に限られていたのであり、それ以上に、時代はつるべ落としに暗さを増し、発言の機会は抑えられつつあった。若ものたちは相ついで召集され、その多くは帰ってこなかった。本書について言えば、『ホアン・ミロ』を書き、『シュルレアリスム十年の記』を書いた翌年の1941年の春まだ寒いころ、私は検挙されるにいたる。しかし私自身はすでにシュルレアリスムへの熱中期から十年のあいだに『シュルレアリスムは、いま日本の夜の中へ、溶解の一途を辿っているかも知れぬ。それは超現実がひとつの純粋性に達する一形式でもあるからだ…』といった、捨てぜりふともとれるような言葉でしか本音を吐けなかったところまで落ちてしまう。」著者は戦後になっても一貫した姿勢でシュルレアリスムの思想を広めていったことは、後世に生きる私にとって、大変ありがたい存在だったと思っています。
2024.06.11 Tuesday
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「前衛芸術の諸問題」について、気に留めた箇所をピックアップいたします。本書はこれが終盤になります。「私のもっとも遺憾とするのは、超現実主義批判といえば、多くはフランスの画集や紹介記事を根拠とした批判であって、日本にかくも浸潤した、いわゆる超現実主義的傾向の底に流れる歴史的な欲求の生理を読み、その点に立って指導的な意見を吐露する人の皆無であったことである。わたしは盲目的な超現実主義擁護者よりは、むしろこのような真摯な、洞察ある、直観的な批判家を尊重したいと思う。」著者がフランス発祥の超現実主義について、日本の現状を鑑みて論考するのに、かなりの手厳さはあったとしても、当時の状況はこれによってよく理解できます。また著者は日本文化の特徴を次のようにも語っています。「わたしだけの見方かもしれないが、日本人がやや『超現実性』に近い観念を、民族としてもつようになったのは、禅学的な教養によって一種の詩的弁証法を摂取(創造といった方が適切であろう)しえて後のことであって、これが世阿弥の努力ー能芸術の創造となり、俳諧連歌の創造となってからであろうと思われる。象徴芸術としての能の偉大さはいうまでもないが、わたしは何といっても俳諧における日本人の詩的飛躍力に、『超現実性』への跡絶えない暗示の一線を認めることができると思う。なぜなら、それは日本人が『超現実性』にも通ずる観念連合の新しい世界を感得しえた画時代的な出来事であったからである。」最後にこんなことも述べられていました。「さてわたしはダリやエルンストの絵画は現代の空気のなかに、現代の夢と狂気とをあきらかに可視的に、具象化していると信じている。少なくともわたしには、ブレイクやファン・ゴッホをかつて理解しえたと信じたと同じように、あるいはそれ以上に、しかも同時代的に理解しうると信じている。~略~わたしは元来、いわゆる純粋絵画と応用美術という、形式的な差別にたいして、多くの疑問を抱いているものであるが、それは別としても、超現実主義の、かかる訴求力をもった造型的な認識が、新しい芸術の発展の少なくとも動機にならないとどうしていえるのであろう。」本書は以上で終わりになります。
2024.06.10 Monday
先日、東京都新宿区の初台にある東京オペラシティアートギャラリーで開催している「宇野亜喜良展」に行ってきました。図録が売り切れとなっていて、予約注文をしたので、そのうち図録は郵送されてくると思いますが、その時に改めて作者や作品の背景について探っていきたいと思います。ともかく現在90歳になる宇野亜喜良氏の10代の習作デッサンから展示されていた本展は、その圧倒的な作品数で、見応えは充分ありました。私が学生時代から第一線で活躍されている宇野氏の画風は一貫していて、少女の風貌に特徴があり、眉を剃り落とした顔は無表情でありながら、強烈なインパクトをもっていました。また華奢な肢体からは頽廃的なムードが漂っていました。先日放映されたNHK日曜美術館で美術家横尾忠則氏と対談していて、横尾氏が宇野氏のことを90歳まで少女を描いているのはヘンタイだろうと言っていましたが、これは明らかに褒めの言葉です。常軌を逸した表現まで追求すれば、作者はヘンタイやヲタクと呼ばれて、創作活動の名誉であると私は考えるからです。900点を超える作品の中で、私が気に留めたのは何と言っても鉛筆によるデッサンで、ここで考え抜かれた雛型が、やがてポスターや絵本等になっていく過程を知りました。少女とともに馬の絵もよく登場してきて、巧みに空間に配置されたそれらのものが美意識を醸していました。これはグラフィック・デザインの仕事で、見る側の眼を瞬時にキャッチする効果があるのです。イラストレーションもグラフィック・デザインも消耗されていく美術作品なので、時代を反映し、また風俗に敏感になる傾向があります。そこが絵画と違うところですが、私は宇野ワールドを見て、若かった頃にアングラ劇に夢中になった時代を思い出したのはそんな要因があったのかもしれません。図録が送られてきたら、もう一度NOTE(ブログ)に書いていこうと思います。
2024.06.09 Sunday
日曜日になり、6月も中旬に差し掛かっています。そろそろ梱包用木箱を作ろうかと考えています。素材が陶彫であるがために破損が心配であり、おまけに陶彫立方体を複数配置して展示することもあって、作品の運搬には気を使います。昨年から2年越しのテーマをもつ作品なので、昨年の梱包用木箱と同じものを用意すればよいと考えます。梱包用木箱は2人で持ち上げるのに適した大きさにして、さらに重量も考慮して、ひとつの箱に8点の陶彫立方体が入るようにしています。図録用の写真撮影の際に昨年の木箱を開けて、昨年作った1月分から5月分までの陶彫立方体を出しました。ひとつずつエアキャップに丁寧に包んであって、搬出時の短い時間の中でもスタッフたちのきちんとした仕事ぶりが伺えました。今年はその倍以上の梱包が必要なので、搬出時は大変になることが予想されます。先日は撮影が終わった後で、元の木箱に戻しましたが、家内と美大生がきちんと包み直してくれました。さて、今年分の梱包用木箱をいつから作るか?今日の夕方は木箱製作に必要な垂木等を買いに出かけました。板材も垂木もクギもまだまだ不足していますが、木箱の出来具合を見て追加購入をしてこようと思います。因みに梱包用木箱が創作活動ではないので退屈な作業ですが、こればかりはやらなければならない大切な作業でもあります。梱包用木箱は自分流に作っていた私を見かねて、美術品の運搬業者が箱の作り方を教えてくれました。補強として垂木を加えて、丈夫なものになりました。昨年この時期に作っていた梱包用木箱の作り方を思い出しながら、来週には作り始めようと思います。
2024.06.08 Saturday
週末になりました。今週の振り返りを行ないます。日曜日は雨が心配されましたが、何とか晴れの合間をぬって図録用の写真撮影を行いました。今回は陶彫立方体の作品数が多かったので、手伝ってくれたスタッフたちに感謝いたします。撮影時間も長かったのですが、多様な視点から撮影場面を設定して、自分の思うようにさせていただきました。私としては図録を毎回全力投球で作成していますが、今回は疲労度が高く、その分満足いくような図録が出来てくれることを切望しております。撮影日から2日間おいて火曜日の夜に2人のカメラマンが多くの撮影画像を持って我が家にやってきました。画像選びは毎年やっているので慣れたものですが、例年との違いを出そうと私は懸命に考えました。個展案内状と図録の表紙は、工房の黒壁に陶彫立方体を積み上げて、独特な景観を作ろうと考え、本作品の在り方のひとつとして、私は捉えています。普段作っているアナログと、撮影されたデジタルが揃ってくると、愈々個展が近づいてきたなぁと私は実感するのです。さて、制作のことはひとまず置いて、木曜日には東京都新宿区の初台にある東京オペラシティアートギャラリーに行ってきました。そこで開催されていた「宇野亜喜良展」は平日にも関わらず、大変混雑していました。私も含めて年齢の高い鑑賞者が多く、その人たちの外見で言えばデザイン業界や演劇業界の人も多くいたのではないかと察しました。私の若い頃は、宇野ワールドと言えばアングラ劇やらエロス漂う映像表現に通じる世界観があって、およそ一般的とは言えない癖の強いものでしたが、その過激性に世間が追いついてきたと感じたひと時でした。そんなこともあって、今週は刺激的な1週間だったと振り返っています。