Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 週末 鑑賞が充実していた1週間
    今日は週末であり、三連休最終日です。いつもなら土曜日にその週の振り返りを行うのですが、昨日は家内と映画館に行ってしまった関係で、先週日曜日から昨日の土曜日までの1週間の振り返りを今日行います。先週日曜日は「如月展」の最終日で搬出作業がありました。来月にメンバーで本展の打ち上げをやろうと言う話になり、友好を深めたい私には良い機会になります。水曜日は教え子と東京と横浜の博物館・美術館を回ってきました。「本阿弥光悦の大宇宙」展と「中尊寺金色堂」展は東京国立博物館、「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」は横浜そごう美術館で開催していて、じっくり見てきました。同行した子は感受性が豊かなので、展覧会鑑賞後の感想が私には刺激になります。土曜日は家内と映画「ゴールデンカムイ」を観てきました。家内も感想が面白いので、作品に豊潤さを齎すなぁと感じています。この1週間は鑑賞が充実していたと思います。残りの日は相変わらず制作三昧でしたが、実技と鑑賞が車の両輪のようにバランスよく回っていると、自分の充実度が増すのです。なかなか理想的な1週間を過ごすことは出来ませんが、機会があれば実践していきたいと願っています。土曜日には親の代から懇意にしている税理士がやってきました。集合住宅を所有している私は、確定申告を個人でやることが出来ず、しかもその書類が年間を通じて我が家に送られてくるので、家内がその都度保管しているのです。その整理を前日になって家内が、床一面に書類を広げてやっていました。税理士に提出した日に、家内のストレスを映画鑑賞で和らげていたのです。そんなことがあった1週間でした。
    週末 映画「ゴールデンカムイ」雑感
    週末になりました。今日は午前中工房で作業を行い、午後に確定申告の関係で自宅に税理士がやってきました。毎年恒例になった税務の打ち合わせの後、家内と映画に行くことにしました。確定申告の資料を整理したのが家内だったので、その負担を和らげるために楽しい映画を観てこようと私が誘ったのでした。横浜鴨居にあるエンターテイメント系映画館で観たのは「ゴールデンカムイ」で、教え子に勧められていた映画でした。私自身もアイヌの文化に興味があったので、是非観てみたいと思っていました。内容は日露戦争を戦った元軍人が、北海道で砂金採りを行っていた際に、アイヌ民族が埋蔵した金塊の存在を知るところから物語が始まります。そんな折、主人公がヒグマの襲撃を受け、間一髪のところをアイヌの少女に救われます。そこから二人の協働生活がスタートしますが、金塊を狙うのは彼等だけではなく、帝国陸軍第七師団の面々が、金塊を探る主人公とアイヌの少女に絡んでくるのです。私は映画の荒筋よりもアイヌのコタン(村)の生活に関心がありました。若い頃に私が北海道を旅していた時に、アイヌの村に立ち寄り、そこで見た衣装のデザインや木彫り雑貨のデザインに惹かれました。図録にはアイヌの生活再現の撮影裏話が掲載されていて、それも興味津々でした。現在もアイヌ文化を色濃く残す地(二風谷)にコタン(村)を作り、チセ(家屋)職人として有名な人に再現してもらった木造の家は、撮影が行われた場所として残して欲しいなぁと思いました。今後も続編が作られそうな「ゴールデンカムイ」ですが、また是非観たいなぁと思っています。一緒に行った家内は「キングダム」に似ていると言っていました。主人公が同じ俳優なので、なおさらそう感じたのかもしれません。
    矛盾を抱えた宗教画家
    現在読んでいる「カラヴァッジョ」の伝記で、彼が作り出した宗教画以上に関心を持っていることが私にはあります。私が画家カラヴァッジョを知ったのは信じ難いエピソードがあったためで、そんな彼が生きた時代背景が知りたかったこともありました。宗教画は、キリストの教えを、文盲だった当時の人々に絵画を通じて分かり易く伝えたアイテムだったはずです。宗教画家は全員が聖人君子であることもないと思っていますが、殺人を犯した人がキリストの教えをどう他者に伝えようとしたのでしょうか。まさにカラヴァッジョは矛盾を抱えた宗教画家だったのではないかと推察しています。「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)によると「1606年5月29日、乱闘の末にラヌッチョ・トマッソーニを殺害し、自らも深手を負ったカラヴァッジョは、夜陰に乗じて馬を走らせ、ローマから逃走し、二度とローマに戻ることなかった。最初はフィレンツェに逃げたという噂が流れ、画家もそれを企てたのかもしれない。しかし結局コロンナ家の領地のあるローマ南東部の丘陵地帯に逃れ、以後、同年10月6日にナポリに現れるまでの約四カ月を、カラヴァッジョはコロンナ領の山岳都市、ザガロロ、パレストリーナ、パリアーノを点々と潜伏して過ごす。ローマでは、逃亡したカラヴァッジョに対して、見つけ次第だれでも処刑してよいという恐るべき『死刑宣告』が出され、以後、画家は死と隣り合わせの不安な逃亡生活を余儀なくされたのである。」とありました。逃亡中に画家には悔恨があったはずであり、自ら犯した罪をキリストに繰り返し懺悔したこともあるだろうと思います。悔い改めたことが絵画表現に影響したことは間違いなく、その後のカラヴァッジョの作品をチェックするのが本書の最終章になるのかなと考えます。
    新聞記事より「音楽は声から出発する」
    21日付の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「音楽はまず声から出発するんだ。全部の楽器は全部人間の声の代理なんだ。小澤征爾」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「メロディを奏でるヴァイオリンやフルートのみならず、リズムを刻むティンパニーにだって『人間の声がやりたい願い』がこもると、指揮者は言う。そしてその演奏や伝わり方も、人それぞれに異なる。音楽は『公約数的』なものではなく、どこまでも個人的なもの。大切なのは巧拙ではなく、人と音楽とが『どこでつながるか』だと。作曲家・武満徹との共著『音楽』から。」AIがどんな正確な音を再現したとしても、人間の声のような音色は作れないと私は思っています。そこに生き生きとした感情が生まれ、個人の心に響くのです。演奏する人も人間、聴く人も人間だからこそ通じ合うものがあるのだろうと思います。話は逸れますが、作曲家・武満徹の著書を私は数多く持っています。武満徹は西洋音階とは異なる音そのものを作曲の要素にしていて、音と音の間に沈黙があり、彼はそこに意味を見出していました。その頃、私は彫刻を学び始めていて、人体塑造の正確な量感を捉えようとしていました。ちょうど五線譜に示された西洋音楽のように彫刻もまた構築性が重要なのでした。やがて、私は音と音の間に沈黙があるという表現方法を、モノとモノの間に空間があると置き換えて、現在の彫刻表現に立ち向かっていくことにしたのでした。モノは人間の声かもしれず、空間のあちらこちらから聞こえてくる声に耳を傾ければ、空間の広がりを捉えることが出来るのではないかと認識しています。声が空間にこだまする作品が出来れば、私は満足を覚えるのだろうと思っています。
    3つの展覧会巡り
    今日は工房での作業を休んで、東京と横浜の3つの展覧会を見て回りました。文学に関心の高い教え子が同行してくれて、展覧会を見た後でレストランやカフェに寄って、彼女のユニークな感想を聞いて、私は楽しい時間を過ごしました。最初に訪れたのが東京上野の東京国立博物館平成館の「本阿弥光悦の大宇宙」展で、現代で言うアートの総合プロデューサーのような存在だった本阿弥光悦とはどんな人物だったのか、また自らも創作活動をした光悦のもとに参集した工匠たちが作り上げた世界観が、日蓮法華宗の信仰によって裏打ちされていたことも、私は本展で初めて知りました。一緒に鑑賞した教え子は蒔絵や陶器に魅了されたようで、彼女なりの感想を漏らしていました。次に訪れたのは同館本館で開催されていた「中尊寺金色堂」展で、建立900年の特別展として仏像の数々が展示されていました。ここは外国人観光客が多い印象がありました。私は若い頃、平泉に立ち寄って金色堂を見ていました。そこに安置されていた仏像を、東京の博物館で眼のあたりに見ることができ、至福の時を過ごしました。「本阿弥光悦の大宇宙」展と「中尊寺金色堂」展の詳しい感想は後日改めて述べさせていただきます。上野駅に隣接するレストランで食事をした後、横浜に戻って来て、そごう美術館で開催している「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」を見ました。テーマがテーマだけに家族連れが多く、子どもたちも妖怪の絵の前ではしゃいでいました。漫画家水木しげるは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」や柳田國男の「妖怪談義」に影響を受けて、連載漫画の傍ら日本古来から伝わる妖怪の絵を描くようになったようです。妖怪絵画はいずれも力作ばかりで、私は惹き込まれていきましたが、同行した教え子も相当面白かったようで、満足な表情をしていました。これも感想は後日に回します。3つの展覧会を回ったのは、私は久しぶりだったため些か疲れましたが、充実した一日を過ごしました。